タイトルは忘れてしまったが
国民性をテーマに書かれた興味深い本の抜粋を読んだ。
遭難し沈みかかった船にアメリカ人、(当時の)ソ連人、ドイツ人、イギリス人、日本人が乗っている。
このままでは船は沈んでしまうのだが、一人だけ船を降りて救命ボートに移ってくれれば五人全員助かる。
が、なるべくなら皆たよりないボートの方ではなく、船本体の方に残っていたいと考えている。
そんな状況の中、各国の人に一番有効と思われる(一人だけ下船してもらうための)説得の仕方とは?、というような内容だった。
うろ覚えなので多少ちがっているかもしれないが
アメリカ人には<パイオニア精神にのっとって、あなたが降りていただけませんか?>。
ソ連人には<降りてくださったら、レーニン国民栄誉賞をさしあげます>。
ドイツ人には<艦長の命令です、降りなさい>。
イギリス人には<英国紳士の誇りにかけて、あなたが降りていただけませんか?>。
そして日本人には<皆さん降りられるみたいですよ>。
事実はともかく、少なくとも日本人はそのような(右へならえの)民族だと思われている(その本の著者が言うには)ということだった。

私は九州の田舎で育ったので
ごくごく小さい頃はまだ近所に田んぼがあったのを覚えている。
春になるとその田んぼにれんげ草が咲き
ほんのり紫がかった薄紅色のじゅうたんがしかれているようになった。
その可愛いじゅうたんに分け入ってれんげを摘み花の首飾りを作るのが
当時の女の子の定番の遊びだった。
そしてたまに
いちめんの薄紅色のれんげの中に
真っ白のれんげを見つけることがあって
そんな時はなんだかものすごくラッキーな気がして
お友達に自慢したりしたものだった。
四葉のクローバーのようにそれが幸福を呼ぶもの、という言い伝えがあるわけでもないのに
他のれんげと違うその白さがわけもなく素敵なことに思えた。
他と違うこと、稀少であることの価値、というのはどんな小さな子供でも本能的に知っていることなのかもしれない。

他と違うこと、といってもいろんな意味合いやパターンがあるから一概には言えないが
確かに欧米諸国と比べれば
その違いをとりあえずまず受け入れてみる、とか
いい意味でおもしろがる、というのが
あまり得意ではない民族と思われている、というのはわからなくもない。

私は良くも悪くもあまり群れることが好きでないタイプの大人になったが
幼稚園か小学校低学年の時
<お母さんの絵を描いてきましょう>という宿題で
はじめて自分の描いた母の絵を学校に持って行った日のことをよく覚えている。
当時母は家の中でもよく着物を着ていたので
その母をそのまま絵に描いていったのだが
40人程いたクラスメイトの絵を教室の後ろに貼りだした時
着物らしきものを着ている絵は私のもの以外一枚もなかった。
その瞬間私はなぜか<恥ずかしい>と思ってしまった。
皆と違う様子の母がいけないことのように思えたのだ。
今ならむしろ素敵なこと、とさえ思えるのだが
なぜかあの時の私は
いつこの絵の展示が終わってくれるのか、ということばかりを考えていた。
白いれんげ草は自慢しても
着物姿の母の絵は早くしまってしまいたかった、その違いは何だったのだろうか。

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