村上春樹さんの話題作【1Q84】に
『説明しなければわからない人は、結局説明したってわからない』といった記述が出てくる。
全くその通りだな、と思う。

前々回のブログの記事『道案内の下手な人云々』にも通じることだが
要は「想像力」の問題だろう。

何か物事に対処する時に
『こうしたらこうなるだろう』という客観的な想像ができない、またはやろうとしない。
そしてそんな人に限って
他人の話を聞かない。

経験不足等のせいで客観的な想像ができないだろうな、と思われる相手がいて
ささやかながら多少はその相手よりは経験や知識において勝るものがこちらにある場合
『こうしたらこうなるだろうから、このように対処したらどうか』と
よけいなお世話ながら懇切丁寧に説明をさせていただくのだが
おそらくその真意を理解しようとするほどには聞いてない。
そしてやっぱり『こうなって』しまい
大変な騒ぎになる。
だからあれほど説明したじゃないか、と言いたくなるのだが
そんな時の言い訳は大抵
『こんなことになるとは思わなかった』。
『こんなことになるとは思わなかった』というのはその人独自の判断であり
つまり自分個人の物差しで計ったものだ。
その判断が、こちらが説明した客観的事実や社会常識上の判断よりも適している、と思う、その自信はいったいどこから来るのか。
その人なり、その人独自の価値観は何よりも大切であり
もっとも尊重されるべきものであることは言うまでもない。
が、それはもっと
1人の人間としての生き方にかかわるような、根元的な価値観での話ではないかと思う。
たかが説明した、とか、しない、とかで伝わる程度の物事に関して
自分なりの判断がどうしたこうした、など
ただの横着にしか私には思えない。
一概には言えないが
たいていそのような日常の些末なこと(が、同時に何か事が起こってしまうと、間違いなく人様にも迷惑が及ぶようなこと)で
想像力がかけていたり、他人の話を聞かない人間ほど
人としての生き方の部分においては
たいした価値観も持ち合わせていなかったりする。
面倒このうえない。

だから、思う。
村上春樹さんの言わんとしたこととは違ったラインになるかもしれないが
『説明しなければわからない人には、結局説明したってわからない』。