強く記憶に残っている人生最初のプレゼントは
卵色のケースに鉄腕アトムの絵が描かれた12色セットの色鉛筆。
まだ小学校にあがるかあがらないか、くらいの時の誕生日に
兄が買ってきてくれた。
よほど嬉しかったのか
そのプレゼントを買って家の庭に自転車で戻ってきた兄の姿まで鮮明に覚えている。

色にまつわる記憶はどういうわけかたくさんある。
私は父と二人だけで『お出かけ』したことがあまりないのだが
その数少ない(というか唯一?)『父と二人のお出かけ』が
小学校3年か4年の冬休みだったと思う。
その日私は冬休みの課題である、今で言う【自由研究】に取り組んでいた。
休み中に読んだ「母をたずねて三千里」という小説の中で
印象に残ったシーンを視覚化し、絵に描くというもので
読書も絵も好きな私には楽しい作業だった。
その時私はパレットではなく大きなお皿に絵の具を溶き
お皿の中央でいろんな色を混ぜ合わせて
自分なりの色を作っていたのだが
パレットの代わりにお皿、というのは
のちに美大に行き、さらにそのまま絵が職業になった兄のやり方の影響で
24色とか36色セットの絵の具ではなく
少ない色数のセットを使いこなしてみる、というのも(実際使いこなせていたかどうか、は別として)
同様に兄のやり方の見よう見まねだったように思う。
絵の完成が近づいた頃
突然父が映画に行こう、と言いはじめた。
あまりにも珍しいことだったので
私は絵を途中にしたまま出かける準備をすることにした。
そのあと映画館で父と見た映画はさっぱり覚えていないが
絵を描いていた部屋を出る直前
振り返って見た自分の絵の色調は鮮やかに記憶に残っている。
赤や黄色や緑、といった絵の具そのままの色はひとつとしてなく
ブルーグレーやサーモンピンク、それこそ日本舞踊で使う手ぬぐいの色である『瓶のぞき色』など、今考えると小学生にしては面白い色使いだったように思う。
この絵はその後学校からちょっとしたご褒美をいただくことになるのだが
たぶんその理由は色だったのではないかと思っている。

同じ頃
巷ではいわゆる『合成繊維』というものが出回り
比較的安価なこともあって学校でもパステルカラーの可愛いセーターやスカートが流行っていた。
が、母はその頃自分が編物にはまっていたこともあって
セーターと言えばウールのもののみ
スカートも叔母や母の知人に縫ってもらった、混じりっけのない布でできたジャンバースカートとかだった。
今の私なら村八分にされるくらい自慢しそうな話だが
当時の私はその価値がわからないどころか
取っ替え引っ替え皆が着てくるピンクや水色の洋服が羨ましくて仕方なかった。
なぜなら母が着せてくれる洋服は素材はよかったかもしれないが色は渋い色ばかりで
その中でもブラウンと焦げ茶が基調のチェックのジャンバースカートとカーキのカーディガンは
私がもっとも恥ずかしく感じる組み合わせだった。
『けっこうオシャレじゃん』と今でこそ思えるのだが
ベビーピンクのカーディガンを着ているクラスメイトと比べると
間違っても自分のいで立ちが可愛いとは思えなかった。
小学校の頃の自分を思い返すと
私は自分のことを『あまり女の子らしくない女の子』と感じていたようなフシがあって
多分にそれは
あのブラウン基調のジャンバースカートとカーキ色のカーディガンが原因ではないか、と思う。
ベビーピンクのカーディガンを着ていない自分=女の子らしくない、という単純な理屈なのだが
絵では渋い色を使っても
自分が着る服の色は別だったのだろうか。

ところでアトムの色鉛筆だが
その後その色鉛筆を使ってどんな絵を描いたかは覚えてないが
同じ長さできれいに並んでいた色鉛筆が
それぞれが短くなって並びがデコボコになった様子は
今でも写真のように記憶に残っている。

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