私の両親はすでに二人とも他界している。
父も母も田舎でそこそこ成功し(?)
それなりにそこそこ平凡な人生を送り
母はいささか若いうちに
父は少なくとも平均寿命は全うして亡くなった。

歴史に名前が刻まれるような偉人でも極悪人でもない二人だった。
そのうち二人のことを語る人間も亡くなり
長い長い時が過ぎれば
二人が生きた証も消えて
いつか二人のことを誰も知らない時代も来る。

だがそんなごくごく平凡な小市民の二人でも
『死』という人生最後の難業をちゃんとやり遂げた(妙な言い方だが)。

当たり前のことだが
死は本当に万人平等なんだな、とも思うし
同時に
死というものをくぐり抜けた二人を(うまく説明はできないのだが)尊敬してもいる。

残念ながら親子としては決して縁の深いほうではなかったし
存命中に『尊敬する人は両親です』と言えることもなかった。
が、亡くなった今、両親への思慕とは別のところで
なんというか、言ってみれば客観的な畏敬の念を持っている自分に気づくことがある。
両親に対してもっと主観的で、身近な強い思いを持てない自分を寂しくも感じるが
二人の命日が近づく冬から早春にかけて
いつもそんなことを考えてしまう。