65f2a882.jpg毎日バタバタですっかり更新が遅くなっちゃいました~。
子供教室のSちゃんに旅行のお土産をいただきました!
うれしいですね~。
品物そのものもですが、誰かの旅先でふと思い出してもらえる、というのはうれしいものです。

ところで
以前「人は二度死ぬ」という話を聞いたことがある。
一度目は生物学的に生命が尽きた時(つまりいわゆる亡くなった時)、
二度目は生存している全ての人々の記憶からその人の存在が忘れ去られた時。
人の生死に関する私の宗教観らしきものは別のところにあるが
それはそれとして
「二度死ぬ」というとらえ方もわからなくもない。
そしてそのとらえ方を前提として考えるなら
ある意味一番恐いのは
一番目と二番目の順番が入れ替わった時ではないか、とも思う。
必死に生きているのに、誰からもその存在を認識してもらえない、という状況、
いてもいなくなっても誰一人気がつかない、という状況が日常だとしたら。
誰かの心の中に居場所を確保することが生存の証し、とするなら
誰の心の中にもその居場所を見つけられなかった時
現実に呼吸をし、お腹もすけば眠くもなるその命は何者なのか。
どの円からもはじき出されてしまったどこにも属さないそのいのちの炎と
どこかの円の中で燃え続けている炎には
いささかの違いもないはずだと思うのだが。

最近何かのCMで、年老いた母親が都会で暮らす息子のところを訪ねてきて、嬉しそうににっこり微笑む、という映像を見た。
私の母は20年近く前に亡くなったので
私の中での母の姿はそこて止まったままだが
ふと
すっかりおばあちゃんになった母に会ってみたいな、という強烈な思いにかられる時がある。
想像でしか会えないおばあちゃんの母。
私の心の中に住む年をとった母は何者なのだろうか。

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