2011年 10月 の投稿一覧

おさらい会・2。

ca6f204e.jpg立派に舞台をつとめてくれた子供達から
終演後、思いがけず綺麗な花束と可愛いお手紙をいただきました。
私の宝物です。

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『おどりの寺子屋』始動。

来年の『おどりの寺子屋』開催にむけて
企画実行委員会が動き始めました。
今日は昨年も大変なご尽力をいただいた、目黒区選出の都議会議員・伊藤ゆう先生の事務所を訪問させていただき
来年の『おどりの寺子屋』開催に関していろいろとご相談にのっていただきました。
私達の、拙いボキャブラリーの羅列のような要領を得ない説明にもかかわらず
即座に、さらに驚くほど的確に内容を理解してくださる伊藤先生には
毎回本当に『すごいなぁぁ』と感動してしまいます。

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『かぐや』・イン・シンラドーム。

131d5de4.jpg7月に国立劇場で上演した新作舞踊公演『かぐや』が
時間を20分に短縮し
出演者も6人にして
九段下の科学技術館内シンラドームで再演され
私も出演させていただきました。

国立劇場ではスクリーンを使用した、冒頭と最後の宇宙の映像ですが
今回はドームの天井に映し出されたりして
国立劇場とはまた違った効果や雰囲気がありました。

イタリアからのお客様がたくさんおみえになっていて
客席と上演スペースの距離が近いこともあり
かなり緊張しましたが
貴重な体験をさせていただいた一日でした。

出番前、出演者の皆との楽しいショット。

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きっと、何度でも。

また
絶対に会える
と思うから
「さよなら」が言えるんだよね。

ずっとずっと
気が遠くなるほど待って
魂だけの宇宙になるまで待ち続けて
それでも
『私』が『私』のまま
『君』が『君』のまま
同じ記憶を抱いて巡り会うことが
絶対に絶対にないのなら
どんなみっともない悪あがきをしたって
「さよなら」なんて
死んでも言うもんか、と思ってしまう。

でも

ふと何かの折に

ずっとずっと
気が遠くなるほどの昔
愛しくて愛しくてたまらない君を見ながら
今と同じことを思っていた私を
心のどこか
耳をふさいだまま聞く音楽のようなもどかしい場所で
感じることがあるんだ。

私はすごく『人間』になっちゃって
神様からはうんと離れたところまで来ちゃったから
毎日毎日わからないことばかりで
きっとそれは死ぬまでそうなんだろうけど
君は魂そのもの、みたいな命だから
きっと神様とも町内会くらいに近いんだよね。

一年で一番まぁるくてまばゆい月を
神様からこっそりゆずってもらったような君の金色の瞳には
たよりない記憶の海で溺れそうになっている私が
どんなふうに映っているのだろう。

百万の言葉と忘却を引き換えにした愚かで臆病な私を
君は許してくれてるのかな?
ちゃんともう一度
君のことを誰より愛した私を
君は評価してくれてるのかな?

私は今度もきっとまた
いつか来る君との別れの刹那
「さよなら」を言えずに
グズグズと往生際の悪い抵抗をすると思うんだ。
『忘却』は自ら望んだことなのにね。

困ったことに
神様との取り引きはなかなか変更がきかないから
当分私はあきれるほど『人間』でいるしかなくて

ということはつまり

捜し当てる苦労はいつもいつも君になっちゃうんだけど

だけど

見つけてさえくれれば

私は必ず

何度でも

君を

愛していくからね。

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子供教室だより。

3b69fc6d.jpg今日は発表会前の最後のお稽古。
3曲で約15分ほど踊るのですが
今日はそれを3回通してみました。
3回も通しで踊った、というのは立派なこと。
集中力と踊りの成長は必ず比例します。
楽しみな三人娘ですね。
写真には写っていませんが、今日はシェリー・メイが一緒でした。

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ハチ・イン・浴衣。

3931a545.jpgハチが錦吾先生宅を二度目の訪問。
おなじみお孫ちゃんのHちゃんの浴衣を拝借して着せてみました。
ちょっと(かなり)迷惑そうですが・・(^_^;)。

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アトムの色鉛筆。

強く記憶に残っている人生最初のプレゼントは
卵色のケースに鉄腕アトムの絵が描かれた12色セットの色鉛筆。
まだ小学校にあがるかあがらないか、くらいの時の誕生日に
兄が買ってきてくれた。
よほど嬉しかったのか
そのプレゼントを買って家の庭に自転車で戻ってきた兄の姿まで鮮明に覚えている。

色にまつわる記憶はどういうわけかたくさんある。
私は父と二人だけで『お出かけ』したことがあまりないのだが
その数少ない(というか唯一?)『父と二人のお出かけ』が
小学校3年か4年の冬休みだったと思う。
その日私は冬休みの課題である、今で言う【自由研究】に取り組んでいた。
休み中に読んだ「母をたずねて三千里」という小説の中で
印象に残ったシーンを視覚化し、絵に描くというもので
読書も絵も好きな私には楽しい作業だった。
その時私はパレットではなく大きなお皿に絵の具を溶き
お皿の中央でいろんな色を混ぜ合わせて
自分なりの色を作っていたのだが
パレットの代わりにお皿、というのは
のちに美大に行き、さらにそのまま絵が職業になった兄のやり方の影響で
24色とか36色セットの絵の具ではなく
少ない色数のセットを使いこなしてみる、というのも(実際使いこなせていたかどうか、は別として)
同様に兄のやり方の見よう見まねだったように思う。
絵の完成が近づいた頃
突然父が映画に行こう、と言いはじめた。
あまりにも珍しいことだったので
私は絵を途中にしたまま出かける準備をすることにした。
そのあと映画館で父と見た映画はさっぱり覚えていないが
絵を描いていた部屋を出る直前
振り返って見た自分の絵の色調は鮮やかに記憶に残っている。
赤や黄色や緑、といった絵の具そのままの色はひとつとしてなく
ブルーグレーやサーモンピンク、それこそ日本舞踊で使う手ぬぐいの色である『瓶のぞき色』など、今考えると小学生にしては面白い色使いだったように思う。
この絵はその後学校からちょっとしたご褒美をいただくことになるのだが
たぶんその理由は色だったのではないかと思っている。

同じ頃
巷ではいわゆる『合成繊維』というものが出回り
比較的安価なこともあって学校でもパステルカラーの可愛いセーターやスカートが流行っていた。
が、母はその頃自分が編物にはまっていたこともあって
セーターと言えばウールのもののみ
スカートも叔母や母の知人に縫ってもらった、混じりっけのない布でできたジャンバースカートとかだった。
今の私なら村八分にされるくらい自慢しそうな話だが
当時の私はその価値がわからないどころか
取っ替え引っ替え皆が着てくるピンクや水色の洋服が羨ましくて仕方なかった。
なぜなら母が着せてくれる洋服は素材はよかったかもしれないが色は渋い色ばかりで
その中でもブラウンと焦げ茶が基調のチェックのジャンバースカートとカーキのカーディガンは
私がもっとも恥ずかしく感じる組み合わせだった。
『けっこうオシャレじゃん』と今でこそ思えるのだが
ベビーピンクのカーディガンを着ているクラスメイトと比べると
間違っても自分のいで立ちが可愛いとは思えなかった。
小学校の頃の自分を思い返すと
私は自分のことを『あまり女の子らしくない女の子』と感じていたようなフシがあって
多分にそれは
あのブラウン基調のジャンバースカートとカーキ色のカーディガンが原因ではないか、と思う。
ベビーピンクのカーディガンを着ていない自分=女の子らしくない、という単純な理屈なのだが
絵では渋い色を使っても
自分が着る服の色は別だったのだろうか。

ところでアトムの色鉛筆だが
その後その色鉛筆を使ってどんな絵を描いたかは覚えてないが
同じ長さできれいに並んでいた色鉛筆が
それぞれが短くなって並びがデコボコになった様子は
今でも写真のように記憶に残っている。

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子供教室だより。

983c74cf.jpg10月30日の発表会にむけて
三人娘のお稽古にも熱が入ってきました。

今日もダッフィーはじめ三匹のぬいぐるみが見学(?)に来てました。
チビAちゃんは学校のバザーだったそうで
キャンディーのネックレスをしています。
三人が三人とも
どうしてこういちいちいちいち可愛いんでしょうね~(^0^)/。
最近は可愛いだけじゃなくて
なにげない会話のふとしたやりとりに(子供どおしのやりとりだったり、大人とのやりとりだったりいろいろですが)
(いい意味で)ハッとさせられることがよくあります。
子供は大人が想像する以上にいろんなことを考え
ちゃんと自分なりのこだわりを持って行動しているんだな、と気づかされます。
以前も書きましたが
『子供』とか『ポテンシャル』とか『無限大』とかは
すべて同義語のような気がしてきます。

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モノクロ写真じゃないですよ~。

c0957aaf.jpgグレーのアスファルトの道路と完全に同化している、グレーの毛並みの猫。
近所でよく見かける猫で
まちがいなくノラちゃんなのですが
人間(少なくとも私)が近づいても
逃げないどころか身体を擦り寄せてくる
警戒心ゼロの変なコです。
今日も道路の真ん中で気持ち良さそうに爆睡していて
そこそこ車の出入りもある道なので
『危ないよ~』と声をかけたのですが
『車のほうがよければいいんじゃん』とでも言いたげな表情をチラリとむけたきり
寝返りをうってほぼ仰向けになり
再びふかーい眠りの中へ。
写真下に写っているのは足袋を履いている私の足なのですが
ここまで近づいても寝続けている、ちょっと危なっかしいくらい人懐っこいグレーちゃん。
もしかして飼い猫だったことがあるのかな?
だったら少し哀しいかな~。
本人(本猫)が幸せならいいんですけどね。

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