君が歩く。
一歩足を差し出すそのたびに
《好き、好き》という
足音がする。
君が眠る。
寝息にあわせてふくふくと膨らむお腹が
《だぁぁぁいすき~、だぁぁぁいすき~》と言っている。
君はどこから来たのだろう?
小さな心と体を
《好き》でいっぱいにしている
幸福の使者。
ついにたくさんの《好き》が抱えきれなくなって
ダムが決壊したように
君の口から
《すきぃぃぃ》という鳴き声が
あふれだした。
君が歩く。
一歩足を差し出すそのたびに
《好き、好き》という
足音がする。
君が眠る。
寝息にあわせてふくふくと膨らむお腹が
《だぁぁぁいすき~、だぁぁぁいすき~》と言っている。
君はどこから来たのだろう?
小さな心と体を
《好き》でいっぱいにしている
幸福の使者。
ついにたくさんの《好き》が抱えきれなくなって
ダムが決壊したように
君の口から
《すきぃぃぃ》という鳴き声が
あふれだした。
今年の翠の会で
常磐津の《乗合舟》から[柱立て]の部分を上演してくださった
常磐津文字東久さん。
お願い申し上げている仕事があって
今日はその二度目の打ち合わせでした。
一緒の舟で行こう。
向こうの岸まで。
並んで水面をすべるのも楽しいけれど
でも
一緒の舟で行こう。
君の荷物を
私の荷物の隣において
同じ風を感じながら
一緒の舟で渡ろう。
久々の休日だったが
一気に疲れが出たのか
そこはかとない頭痛と肩凝りで
一日中ゴロゴロしていて
なんだか人としていかがなものか、という一日だった。
ウトウト、ゴロゴロ、の超怠慢ぶりは
ハチといい勝負で
そんな調子でDVDで映画を一本見ていたら
いつのまにか夜になっていた。
ところで
始めて我が家を訪れて
始めて生ハチに対面した人が必ず言う言葉がある。
ひとつは《ハチってこんなに大きいんだ~》。
それまでハチを写真でしか見たことのない人は
ハチのあまりの可愛さやあどけない表情に(←飼い主バカ健在)
なんとなくまだまだ子猫のイメージをもってしまうらしい。
ところが実際は男ざかりの4才で
しかもかなり筋肉質で
オスネコの中でも相当遊び好き、悪戯好きのヤンチャなタイプなので
どうもそのギャップに驚くらしい。
もうひとつは《大きな目だね~、まんまるじゃん~》。
碁石みたい、と言われたこともあるし
吸い込まれそう、とも言われる。
また先日の満月の夜には
漆黒の夜空に銀色に輝くまんまるの月が
やはり黒い毛にふちどられたハチが片目をつぶった時の目のよう、ということで
《このような月をハッチ・ウィンク・ムーン》と呼ぶことにしては?というメールを知人からいただいた。
飼い主バカ、の心情を実によく心得ている。
ついに月のブランド名にまでなった(対外的には全く認知されてないが)ハチ。
やっぱりハチはすごいっ!!
8月10日
国立大劇場で
第31回日本舞踊協会東京支部城南ブロック舞踊会が開催されます。
私は藤間藤太郎先生振り付けの《四季の花》に出演させていただきます。
昼の部11時開演。
皆様ぜひおいでください!!
友人の家にやってきたミニチュア・シュナウザーの健太郎君。
生後二ヶ月。
とにかく甘えんぼうで片時も人の側を離れません。
もうべらぼーに可愛い・・。
最近なんだかやたら忙しい日が続いている。
踊ったあとの筋肉のクールダウンのためにエア・サロンパスは必帯。
整体の先生にも以前にも増してお世話になっている。
舞踊家は体が資本だが
私くらいの年代になると
腰や膝などに多少の故障があってもそうめずらしくもなく
あたりまえみたいになってしまっている。
だからこそ
その資本のメンテナンスも仕事のうち、という意識が強い。
私は以前体を壊し
三ヶ月程全く踊れない時期があった(この時も整体の先生に大変お世話になった。
またスポーツトレーナーの先生には筋力を落とさないための自宅でできる筋力アップ体操のメニューを作ってもらった)。
肉体的のみならず精神的にも(私なりには)かなりシンドイ三ヶ月だったが
復帰して最初の舞台で
ある先生に言っていただいた言葉が忘れられない。
《舞踊家は一度体を壊すと用心することを覚える。
体が資本の仕事をしているのだから、それも大切なこと。
怪我や病気もそういう意味では悪いことばかりじゃないんだよ。》
以前大病をなさった経験がおありになる先生(そしてその後、以前にも増してすばらしいご活躍をなさっている)の言葉だけに
復帰できてよかったね、という言葉以上に重く、胸が熱くなった。
人目がなければわんわん泣いていたと思う。
(未熟ながらも今の自分に精一杯の)いい踊りを踊るために
いい体の状態を保ち続ける努力は
舞踊家としての責任、と考えて
あー膝痛い、腰痛い、とブツブツぼやきながら
今日もまた
エア・サロンパスを吹き付け
せっせと整体に通いつづけている。
ハチとよく似た《靴下ネコ》とかいうキャラクターのパスケース。
それにしても副都心線は混乱してますね・・。
直接の恩恵はあまりないのですが
とりあえず試しに乗ってみたところ始発駅でなかなか発車せず
渋谷・池袋間が40分程かかりました。
まいったまいった・・・。
秋葉原の事件をニュースで見て
《人が動けば、それが例えば近所に買い物に行くくらいの小さな行動でも、危険しか生まれない。安全は結果でしかない。》という
知人の言葉を思い出した。
事件そのものも胸がつぶれそうな思いがするが
被害にあい
血だらけになって倒れている人達に向かって
携帯のカメラをむけている通行人達の姿に
鳥肌がたってしまった。
なぜか今頃
《あ、こんな写真撮れてた~》と
若柳公子さんが送ってくれた新春舞踊大会表彰式の写真。
せっかくなので載せてみました。
なーんかすごい短足に見えますが・・・。
写真は正直ですね。
秋からまた映画の仕事をさせていただくことになりそうです。
微力ながら少しでも作品創りのお役にたてるよう
一生懸命やらせていただこうと思います。
大手町にあるPASONA O2(パソナオーツー)に行ってきました。
パソナオーツー、というのは
《太陽光の届かない地下で植物栽培を行う新しい都市空間》、として開設された施設の名称で
大手町のオフィス街にそびえたつ野村証券ビルの地下2階に
写真のような稲や薔薇、草花、野菜、ハーブなどなどが
それぞれに適した環境のもと
6つの部屋に分けて栽培されていました。
テアトル銀座の創作舞踊劇場を拝見しに行ってきました。
《欲望という名の電車》、本当にすばらしかったです!!
最後まで舞台にくぎづけでした。
何度でも見たい、と思ってしまいます!!
《青春》、のほうも若いエネルギーが舞台から伝わってきました。
6月8日(日)まで。
混んでいる電車で
二人分のスペースを占領して座っていて
後から乗ってきた人に《つめていただけませんか?》と言われた時
一瞬聞こえないふりをしたのち
ノロノロと
渋々と
いかにも不服そうに
苦労して築き上げた縄張りを不当に侵蝕されたかのように
スペースをつめ始めるいい年の男性。
もう見るに耐えない。
何も席をゆずってくれ、と言われているわけでもないのに
通勤電車のつましい快適空間(?)に執着するおやじ(って私も十分おばさんだが)って
なんだかもの悲しい。
各画像をクリックすると全面表示になります。
昨日から三日間に渡って
歌舞伎座で四代目宗家家元襲名披露公演です。
夜の部終了後、楽屋のお手伝いも終わり
劇場正面玄関前で。
どうも私の携帯で撮る写真はピンボケが多いですねぇ・・。
すみません~。
タイトルは忘れてしまったが
国民性をテーマに書かれた興味深い本の抜粋を読んだ。
遭難し沈みかかった船にアメリカ人、(当時の)ソ連人、ドイツ人、イギリス人、日本人が乗っている。
このままでは船は沈んでしまうのだが、一人だけ船を降りて救命ボートに移ってくれれば五人全員助かる。
が、なるべくなら皆たよりないボートの方ではなく、船本体の方に残っていたいと考えている。
そんな状況の中、各国の人に一番有効と思われる(一人だけ下船してもらうための)説得の仕方とは?、というような内容だった。
うろ覚えなので多少ちがっているかもしれないが
アメリカ人には<パイオニア精神にのっとって、あなたが降りていただけませんか?>。
ソ連人には<降りてくださったら、レーニン国民栄誉賞をさしあげます>。
ドイツ人には<艦長の命令です、降りなさい>。
イギリス人には<英国紳士の誇りにかけて、あなたが降りていただけませんか?>。
そして日本人には<皆さん降りられるみたいですよ>。
事実はともかく、少なくとも日本人はそのような(右へならえの)民族だと思われている(その本の著者が言うには)ということだった。
私は九州の田舎で育ったので
ごくごく小さい頃はまだ近所に田んぼがあったのを覚えている。
春になるとその田んぼにれんげ草が咲き
ほんのり紫がかった薄紅色のじゅうたんがしかれているようになった。
その可愛いじゅうたんに分け入ってれんげを摘み花の首飾りを作るのが
当時の女の子の定番の遊びだった。
そしてたまに
いちめんの薄紅色のれんげの中に
真っ白のれんげを見つけることがあって
そんな時はなんだかものすごくラッキーな気がして
お友達に自慢したりしたものだった。
四葉のクローバーのようにそれが幸福を呼ぶもの、という言い伝えがあるわけでもないのに
他のれんげと違うその白さがわけもなく素敵なことに思えた。
他と違うこと、稀少であることの価値、というのはどんな小さな子供でも本能的に知っていることなのかもしれない。
が
他と違うこと、といってもいろんな意味合いやパターンがあるから一概には言えないが
確かに欧米諸国と比べれば
その違いをとりあえずまず受け入れてみる、とか
いい意味でおもしろがる、というのが
あまり得意ではない民族と思われている、というのはわからなくもない。
私は良くも悪くもあまり群れることが好きでないタイプの大人になったが
幼稚園か小学校低学年の時
<お母さんの絵を描いてきましょう>という宿題で
はじめて自分の描いた母の絵を学校に持って行った日のことをよく覚えている。
当時母は家の中でもよく着物を着ていたので
その母をそのまま絵に描いていったのだが
40人程いたクラスメイトの絵を教室の後ろに貼りだした時
着物らしきものを着ている絵は私のもの以外一枚もなかった。
その瞬間私はなぜか<恥ずかしい>と思ってしまった。
皆と違う様子の母がいけないことのように思えたのだ。
今ならむしろ素敵なこと、とさえ思えるのだが
なぜかあの時の私は
いつこの絵の展示が終わってくれるのか、ということばかりを考えていた。
白いれんげ草は自慢しても
着物姿の母の絵は早くしまってしまいたかった、その違いは何だったのだろうか。
今日は三代目家元先生のご法要でした。
会場となったホテルオークラの平安の間に
息をのむほど美しい舞台姿から
お父様の二代目家元先生と談笑なさっているスナップまで
在りし日の家元先生のさまざまな写真が飾られていました。
写真を前に献花をさせていただいた折
14年前の夏
築地の道場で
汗だくになりながら勉強させていただいた日々のことなどが思い出されて
改めて
三代目家元先生の、あの大輪のひまわりのような明るい笑顔はもう拝見できないんだなぁ・・としみじみ思ってしまいました。
国立新美術館を訪れたのは初めてなんですが
工芸展もさることながら
解放的でモダンな造りの国立新美術館そのものが新鮮でした。
ランチに寄った六本木のうどん屋さん《つるとんたん》。
話題の店で今日も行列ができてました。
写真ではわかりにくいのですが
どんぶりが洗面器くらいの大きさ。
うす味でおいしい~。
グランドプリンスホテル高輪で
新春舞踊大会受賞者の表彰式がありました。
携帯で撮った賞状を持った写真や
錦吾先生とご一緒させていただいた写真が全てピンボケで
表彰式の帰り道
日本舞踊協会の総会に出席していた公子さんと撮った写真だけがかろうじて生き残ったので
載せてみました。
熊本在住のIさんからメロンが届きました。
フルーツ好きの私にはたまりません~。
食べ頃を
待つのも楽し
肥後メロン。
また後日デジカメで撮った分、アップします。