まだ小学校に上がって間もない頃の夏だったか、法事か何かで叔父の家に一家で泊りがけで行った。
叔父は母方の家の長男になり、私にとっての祖母も晩年はその叔父の家で暮らしていたため
何か行事があると全国津津浦浦に散っている親戚縁者が田舎の叔父の家に集まるのがならわしだった。
親戚で飲めや歌えやの一夜を過ごした翌朝
そんな頃から寝付きが悪く眠りが浅かった私は早くに目が覚めてしまい
起き上がってフラフラと離れの座敷を抜け出し、母屋にむかった。
すると台所ではすでに叔母(叔父の妻)が朝食の準備を始めていて
親戚全員の人数分の、大量の味噌汁を作っている最中だった。
叔母は寝ぼけ眼でボーっと突っ立っている私を見つけると
「〇〇ちゃん(私の本名)、こっちにおいで。おばちゃんの味噌汁の味をみてくれる?」と話しかけてきた。
私は言われるままに、叔母が大鍋からすくってくれた味噌汁を一口もらい、感じたままに「美味しい!」と告げた。
叔母はにっこり笑って「よかった。じゃあ〇〇ちゃんのOKが出たということで」と言い
私はといえば、それを特に気にとめることもなく、叔母と一緒に茶碗をならべ、朝食の準備を手伝った。
時間になり皆が揃うと、叔母はその味噌汁をよそいながら、「今日の味噌汁は〇〇ちゃんが味付けしてくれたんだよ!」と親戚一同に発表(?)してくれた。
他の叔父叔母や年上の従兄弟達は口々に「へぇー!そうなのかー、あー、うんうん、美味しいねー、さすが!〇〇ちゃんありがとうー!」と言いながら和気あいあいの楽しい朝食が始まった。
そんななかで、私はひとりどうしていいのかわからないまま、不思議なものに出くわしてしまったような、違和感だらけの思いでかたまってしまっていた。
照れくさくて恥ずかしい、というわけではなく
「えー!おばちゃん、私味見しただけだよー。」と、事実を告げようとして苦心しているわけでもなく
調子にのって「うん、私が味付けしたのー。将来コックさんになろうかなー。」という自慢をしたくてウズウズしているわけでもなく
ただただ、なんだか不思議、というか、何が起こっているのかわからない思いで呆然としていた。
叔母が朝食前にただ一口味噌汁をすすっただけの私に花を持たせ(?)、「今日は〇〇ちゃんが味付けをした」と皆に言ってくれた、その茶目っ気まじりの優しさというか、心違いみたいなものは、子どもなりに感じとってはいた。
が、大人の人が子ども相手にそんな心遣いや茶目っ気を示してくれる、というのは、当時の私にとってはあり得ないことで
むしろイレギュラーすぎて驚愕すぎて、そんなものをどうやって受け入れたら正解なのかを考えてしまう、というところだったのだろう。
年端もいかない子どもだったのに、なんとまぁ持ち上げガイのない、可愛くない反応だったのだろう、とつくづく思うが
あの頃、私にとっての「大人の人」とは
(言葉では説明しづらいが)少なくともその叔母のような像からは対面にあるような存在だった。
怖い存在ではないが、だからといって絶対に同じ輪の中にはいない存在、というか。
(私の作った?)味噌汁を賑やかに食べてくれていた親戚の中には、当然のことながら私の父も母もいたはずなのだが
おじちゃんおばちゃん、従兄弟達の楽しそうな顔は浮かんできても
なぜか両親がどんな佇まいでいたのかはずっと思い出せないでいる。
さて、その後の私はどうなったか、というと
叔母のようなスタンスでいられる大人にはなったのだが
ついでに
たとえヒトサマが作った味噌汁でも、事前に自分がひとすすりでもしようもんなら「私が私が私が、味付けをしましたが、何か!?」と、あつかましい自慢をこれでもかこれでもかとしそうな大人にもなっ(てしまっ)た…。
子どもの頃の「思い出」というか「思い」というのは不思議な感覚で残っているものですね。
私は、おじいちゃんの家に叔父や叔母、従妹たちが集まると、大人は大人同士、子供は子供だけで卓を囲み食事をするのが常だったのだけど、とても居心地が悪くて、茶碗を持ったまま壁のカレンダーをジッと見て動かなかったのを思い出します。なぜか半べそをかいていたりしてね。
今の私からは誰も想像してくれないかも(笑)
ほー、なるほど。
お互い今の姿からは想像し難い子ども時代だったようで
でも、私から見ると、ちどりちゃんには(いい意味で)その頃の片鱗あるけど。