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怖めのゴジラくん。

撮影所のウエルカムゲートにいるゴジラくんは私とそんなに身長もかわらず

ご機嫌次第ではシッポで遊んでくれそうな雰囲気もあるちょっと可愛いゴジラくんなのですが

ビルの壁一面に描かれたほうのゴジラくんはさすがのド迫力。

隣のスーパーのビルと比べると大きさがわかるかな。

リアルゴジラくんからするとこれでもちっちゃめなんでしょうが。

今日も今日とて名優達を見守り続けるゴジラくん、ルックスは怖いけど、健気です。

 

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謹賀新年。

あけましておめでとうございます。

どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

今日は新年に入ってから初めてのオフらしいオフ。

そしてそんな日に雪。

なおのこと、家の暖かさが心と身体に染み入るような休日になりました。

 

窓越しに見るお隣の庭。

降り積もる真白の雪の中に、南天でしょうか、紅の可憐な実が存在を主張しています。

健気で可愛い、とも思うし

凛とした強さ、みたいなものも感じます。

 

どこぞの鳥も雪宿り。

 

そして窓越しの敵にはいつも強気なこの漢。

 

新しい年も健やかに、幸せに、佳き一年となりますよう。

 

 

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ゴジラくんと再会。

先日仕事の打ち合わせで東宝スタジオに行ってきました。

ゲートのところで久々にゴジラくんと再会。

後ろのコンクリート塀のヒビ割れは、ゴジラくんがしっぽを振り回しているうちに出来ちゃったそう。

相変わらず元気そうなゴジラくん、またしばらくよろしくね。

素晴らしい作品の中で、日本舞踊家としての私の立場から、少しでもお役にたてるようにがんばりたいと思っています。

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ホームページリニューアル。

このブログの親分(?)でもある【花柳錦翠美ホームページ】をリニューアルし

昨日より公開となりました。

各ページのあちこちに、私自身の考え方や思いをたくさん掲載しています。

使用写真も若干リニューアル。

お稽古場の写真も「教室のご案内」ページに掲載しています。

ぜひご一読ください!!

↓↓

https://kinsuimi.com/

 

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ヤッベ〜男子達。

オリンピックが始まり、連日のメダルラッシュに巷が湧いている。
スケボーでも日本勢の金メダリストが誕生したが
その解説にも注目が集まっているらしい。
「ヤッベ〜」
「パネエ〜」
「ゴン攻め〜」
などなど、およそ公共の放送ではあまり耳にしないイマドキ(?)語録のオンパレードには批判もあるらしいが
私はなぜか微笑ましく感じてしまった。

そう言えば、最近の電車での出来事。
そこそこ混んでる電車のドア付近に、イマドキ言葉で話す10代とおぼしき男子の集団5,6人がたむろしていた。
オバサンとしてはあんまり近づきたくない雰囲気の、(鼻ピアスでもしてそうな?)イマドキ最先端のような軍団だ。
が、停車駅でお腹の大きい妊婦さんが乗り込んできた時
会話の途中だったその男子集団があたりまえのようにごく自然に道を開け
なにげに空いている席をさがすようにあたりを見回したのち
その妊婦さんが無事プライオリティシートを譲ってもらって着席したのを見届けると
また「まじヤッベ〜」だのなんだの、およそオバサンにはついていけないイマドキ言葉の会話に戻っていった。

そのあまりのあたりまえさに
オバサンとしては、男子達全員のおしゃれな頭をくしゃくしゃに撫でてあげたくなった。
死ぬほど気味悪がられるだろうから(というか通報される)もちろん気持ちだけだが。

電車を降りてからもなんだかずっと清々しく
なによりの暑中見舞いのようだった。

 

※アートにエールを!東京プロジェクト(ステージ型)」にて

【翡翠~かわせみ~】配信中!!

↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

 

 

 

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薔薇一輪。

薔薇の専門店【ROSE GALLERY】の薔薇をいただいた。

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花の生け方などまったくわかってない私がそのへんにある花瓶に投げ入れただけなのに

一輪だけで圧倒的な存在感。

かっこいいなぁ…と思う。

 

最近の我が家の玄関スペースを飾ったのは、撫子、一重のトルコ桔梗などなど。

撫でていとおしみたくなるくらい可愛い佇まいだから「撫子」、とはよく言ったもので

草花ゆえの素朴でひたむきな可憐さは

(こんな植物音痴の私でも)思わず「よしよし」としたくなってしまう。

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そして濃厚で、貴婦人のようないつもの佇まいとはうってかわって

すっきりと一重咲きのトルコ桔梗。

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名前の由来になった日本の桔梗にもっとも近いだろうか。

凛として潔い感じが和花のようにも見える。

 

などと、今さらのようないわれや、めずらしくもない形容詞をあれこれ使って説明し、分析し、称賛し

ひとり悦に浸っているのは私(人間)だけで

花はただただひたすらに咲いているだけなんだろうなぁ

だから心惹かれるんだろうなぁ

などとも思う。

槇原敬之さんの「世界に一つだけの花」の歌詞をしみじみ読み返してしまった。

 

※アートにエールを!東京プロジェクト(ステージ型)」にて

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一発必中。

北品川駅は京浜急行の駅の中でもっとも乗降客が少なく
人目につきにくいことから、特殊詐欺のお金の受け渡し場所として、犯人側から指定されることが多いそうな。

そこでその防止策として、北品川駅に注意喚起のポスターがお目見えしたのだが
そのポスターが「おもしろい!」ということで話題になっている。

その文言が
「多額の現金をお持ちで、息子さんやお孫さんと、北品川駅でお待ち合わせのお客様!!伝言がございますので、駅事務室へお越しいただき、駅係員にお声掛けください!」
というもの。

なるほど!!
「気をつけて」ではスルーしてしまいそうだが
「伝言があるから」と言われれば、ほぼ確実に立ち止まるように思う。

そういえば動物園の看板の話。
ライオンや虎などが展示されている檻の前では
見物のお客様にむけて
「危険ですから手を入れないでください」という看板をよく見かける。
が、この類の看板が、大阪あたりでは若干様相が変わるそうな。
看板の文言はひと言
「噛みます」。

間違っても手を入れようとは思わない。

無駄なく、確実に意図を具現化させる。
一発必中、の文言に脱帽してしまった。

 

 

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ドラマのお仕事。

昨夜の大雨が嘘のように上がったピーカンの某地で
今日はドラマの所作指導のお仕事です。

放映日など決まりましたらまたこちらのブログでもお知らせしますので、ぜひご覧ください。

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撮影場所の庭に「泰山木」という木が植わっていました。

木蓮に似た花が、私の手のひら以上の大きさ。

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ヒトンチ、ヒトサマ。

以前も書いたが、私は1年365日夢を見る。

フルカラー、五感付き。

なのでいつも夢の中で一人生(ひとじんせい)生きているかのようで

朝目覚めた時は、だいたい心身ともに疲れている(ぐったりか、心地よくか、はともかく)。

物心ついた時からずっとそうなので

のちに世の中には夢を見ない、または見ても覚えていない人がいると知り、心底驚いてしまった。

 

私は小さい頃(も)、自分が所属するコミュニティーの情報収集にアンテナを張れるような鋭敏なタイプではなく

ただひたすら自分の世界にぼ〜っとい(られ)るような子供だった。

何かコトを始めると、少なくともなにがしかの結果や完成形を見るまでとにかく黙々とやり続け

それを特に苦とも思わず

それなりに自分の世界を楽しんでいたように思う。

ただ、その有益性の有無にについてはまったく考えが及ばないので

たいていはどうでもいいようなくだらないことばかりではあった。

そんなおバカな子供にも、長ずるにつれて少しずつ知恵と社会性が備わり

入れ替わるようにして「自分の世界で黙々と」というのはなりをひそめていった。

良くも悪くもそれが大人になるということだったのだろう、と思う。

 

が、最近、もしあのまま、使い回しの知恵や社会性で押しならされるれることなく成長していたら、どうなっていたのかな…などと妄想したりする。

まあ、私のことだからほぼ間違いなくただのハタ迷惑な大人にしかならなかっただろうが

「ひとんちはどうなのか」「人様はどうしているのか」など、指の先ほども思いを巡らすことのないバランスの悪さ、というのは

極めればときにとんでもない独自性や壮大なパワーを生み出す才能となりえるのではないか、とも思う。

極めきれない凡庸さゆえの今の自分なのだが

確実に残りの人生のほうが少なくなってきた今

そもそも自分のものさしでは測りえないだろう人様の価値観に対して

もっと無頓着でもいいのかなぁ、などと思ったりもする。

これ以上無頓着になられては迷惑千万、という身近な声が聞こえてきそうな考えではあるが…。

 

ところで梅雨。

私は出かける時にさしていた傘を、雨がやんだ帰宅時に無事持って帰れたためしがほとんどない。

まったくもってお恥ずかしい話だが

どうしたら傘の記憶を晴れた帰宅時まで持続できるのか

人様はどうしているのか

不思議でならない雨の季節。

 

 

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君が笑うと私が幸せ。

「マンハッタナーズ」というネコのイラストでお馴染み、ニューヨーク在住のイラストレーター・久下貴史さんのカレンダーを毎年利用している。

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随分前の話になるが、久下さんの帰国中に某書店でサイン会が開催されることになった。
そちら系のイベントにはまったくベクトルのない私だったが
飼い猫の写真を持参すると、その猫のイラストも描いてくれる、という企画に惹かれ
当時飼っていた猫・ハチくんの写真をにぎりしめ
私にしては珍しく(というか初めて)イベント会場に出かけていった。

ところがそういうイベントに慣れてない者のあさはかさ、開催時間に合わせて出向いたら
先着〇〇名様で、とっくに締め切られてしまっていた。
人気のイラストレーターなのだからちょっと考えればわかりそうなものなのたが
自分のアホさ加減に呆然と立ち尽くしていると
そんなに広くないサイン会場の奥から、久下さんとファンの方の会話が聞こえてきた。
久下さんがお客様の話にニコニコ顔でうなずきながら、一枚一枚その方の猫の絵を描いてさしあげている。
特にパーテーションとかで区切られてもいなかったので
サイン会参加は無理でも、久下さんの描く絵は割と近くで見ることができた。
するとどの絵もあまりに可愛くて可愛くて
そしてそれぞれのファンの方とその飼い猫くんとのエピソードも、ちゃんと絵のどこかに反映されていて
もう参加とかできなくてもいいから、そこでずーっと久下さんの描く絵を見ていたくなってしまった。

そんな私の(たぶん客観的にはちょっとヤバい)様子を見ていた係のおじさんがコソッと話しかけてきて
「今だったら最後尾に並んじゃっても大丈夫だから」と(誠にズルくありがたい)指南をしてくれた。
私は即あたりまえのような顔をして列のいちばん後ろについたのだが
ズルくて優しいおじさんは、それを見て見ないふりをしてくれた。

そんなおじさんの粋な(?)はからいがあって、めでたくサイン会の最後の客として久下さんの前に座った私は
持参した写真を見てもらいながら、ハチくんの生い立ち(生まれたてホヤホヤで兄弟3匹と一緒にビニール袋に入れられ、母親の胎盤ごと捨てられていたこと)や、うちに来ることになった経緯を話すと
久下さんはハチくんの絵を描きながら「ハチくんは幸せになれたね」とおっしゃってくださった。
「はい」とシンプルに応えればいいものを
その時なぜか私の口をついて出たのは「私が幸せ!」という言葉だった。
久下さんは一瞬「あ!」という表情を浮かべたあと、クスクスっと笑って
ハチくんとその横で幸せそうに笑っている私の絵を仕上げてくださった。

私は今でもたまにこの時の自分を思い出す。
今の銀次くんもそうだが、ハチくんがうちに来たことで少しでも幸せを感じてくれていたとしたら
私にとってこんな嬉しいことはない。
銀次くんやハチくんがあられもない姿で無防備に爆睡していたりすると
心がふんわりときれいな丸にふくらんでいくような感覚がわきあがってくる。
苦境の猫を預かって幸せにして「あげて」いるつもりが
実は幸せをもらっているのはいつもいつも飼い主の私のほうなんだな、と思う。

まだ日本舞踊家としては駆け出しの頃
亡くなられた尊敬するある先生にお稽古で言っていただいたことを思い出す。
「あなたが舞台の上で見てないものは、お客様の誰も見ることはできない。あなたが舞台の上で信じないことは、お客様の誰も信じない。迷ってはダメ、もっと信じなさい、もっと愛しなさい。でないとあなたの踊りがかわいそうです。あなたの踊りが泣いているのが私には見えます。」

当時わかったようでいてどこかぼんやりと受け止めていたように思うが
時が経って
やっとこの言葉の意味が腑に落ちるようになってきた。

上手い・下手の問題はともかく
自分なりに、ぎりぎりまで魂を注ぐようにして向きあえた踊りなら
きっと踊りそのものが踊られたがるはず。
少なくとも「下手くそだけど、まぁ付き合ってやるか」くらいは思ってくれるだろう。
踊られたがっている踊りの心を感じられたなら
舞踊家としてこんなに幸せなことはない。

 

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どん兵衛くん。

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銀次くんはチビッコの頃、何度かエリザベスカラーのお世話になることがあったのですが
感触や重さのせいか、ご多分に漏れずやっぱりあまり得意ではありませんでした。

そんな時ネコ飼い仲間に聞いた、エリザベスカラーが苦手な子のための「どん兵衛カラー」。
こちらのほうが銀次くんにとっては快適らしく
傷が癒えるまでの間、我が家では銀次くんアラタメどん兵衛くんが走り回っていました。

 

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その差は何か。

ある二通りの生き方のことを考えてみる。

同じ志しをもって一生を歩き始めるとして
少なくとも同じスタートラインに立てたものどおし
きっとお互いあふれんばかりの才能も若さも、ほぼ等しく持ち合わせている。
が、何年も何十年も歩き続けて
ある日ふと気がつくと
同じ道を歩いていたはずなのにいつの間にかまるで別の道になっていて
お互いの背中や顔を感じながら歩いていたころに戻りたくても戻れないくらい遠くまで来ている。
先んじている、遅れている、の差ではなく
全く異なった景色を見ることになる差。
この差は何か。

始まりはたぶんほんのちょっとの心構えの違いだったのではないかと思ったりする。
何かを大切に思う気持ち
何かに真摯に向き合う気持ち
何かに誠実に応える気持ち
そんな心構えがほんの少し相手より深いか浅いか。
始まりのそのほんの少しの心構えの差が
歩き続けるなかで些細な選択の違いを生み
ちょっとずつちょっとずつ道が別れていく。
当然のことながら、道が別れればそこで出会う人も、影響をうけるものも違ってくる。
選択や決断の違いはより顕著になり
加速度的にどんどん道が開いていって
最後に到達するゴールが随分異なったものになってしまう。
どのゴールがいい、悪いの問題ではないが
ただ、歳をとればとるほど、つまり歩いた距離が長ければ長いほど
一分一秒をどんな心構えで過ごしてきたかの「積み重ね」は
想像以上の結果を呼ぶものだ、とつくづく思う。

さて、自分はどんな心構えをどれくらい持ち合わせて過ごしているのか。
基本ズボラな我が身を振り返り
改めて、日々の「積み重ね」の凄さや怖さを思う。

 

 

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歳をとる。

大学時代の友人達と「歳のとり方」について話した。

同じ時代を同じ場所で過ごした友人と話すのは

お互いの恥ずかしい(??)時代をよく知っていることもあって

いまさら無駄な見栄をはったり、遠慮したりする必要もなく、楽しいものだな、と思う。

どう見積もっても人生の折り返し地点は過ぎた年齢になってくると

残りの時間をどう使うか、というのは

卒業後それぞれ全く違う人生を送っていても、共通する課題ではある。

 

ところで最近ビリー・ジョエルのライブビデオをユーチューブで見たのだが

久々に見たビリー・ジョエルは昔のイメージと随分違っていて

フサフサだった髪はスキンヘッドになり

線の細かった身体は随分と恰幅よくなっていた。

が、しびれるような歌声と伝説のピアノは健在で

狂気と紙一重のようなナイーブさが代名詞だった若いころも素敵だったが

今の、長い睫毛の影に深く刻み込まれたシワが見え隠れするビリー・ジョエルも、とても素敵に思えた。

 

年齢に見えない(ほど若い)ことを目指して日々努力するのも意義あることなのだろうが

歳相応のシワに、その人のこれまでが昇華されてるような顔になれたらいいなぁ、と思う。

 

 

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おうち展。

大・大・大好きな小さな絵本『くろねこのおくりもの』の挿絵を描いておられるイラストレーター・杉田香利さんが

お仲間のアーティスト達と開催する「おうち展」に行ってきました。

実は我が家には、杉田さんにお譲りいただいた『くろねのおくりもの』の主人公・くろねこくんの原画があります。

自分の身体程もあるお醤油の瓶をお土産にかかえて

憧れのおねえさんのところに初めて訪問した日のくろねこくんが描かれています。

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杉田さんにお目にかかるのは今回が初めて。

あんなにもあんなにもいじらしく愛くるしいくろねこくんに出会わせてくれた杉田さんは

やっぱりふんわりと優しい雰囲気の素敵な方でした。

こんなときですから、マスクもしたままで長居も禁物でしたが

キュンとするような可愛い作品にかこまれながらお話することもできて

とても心癒される時間を過ごさせていただきました。

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銀次くんのこと。

のどかなネコトピックが続くが

我が家の飼いネコ・銀次くんはもともと保護ネコで

銀次くんが赤ちゃんの時に保護してくださったお宅では、「桜丸」という誠に風雅な仮の名を授けてもらっていた。

当時の桜丸くんは、兄弟姉妹のご飯争奪戦に参加することもなく

育ち盛りの赤ちゃんネコ達の戦場跡で、ことがおさまったのちにそっと出てきて、ゆっくりと食すような子だったらしい。

特に具合が悪いわけでもないのに食べる量も控えめだった桜丸くんは身体もいちばん小さく

保護してくださった方も随分と心配して、目が離せなかったとおっしゃっていた。

おかげでなんとか無事に育った桜丸くんだが

その大恩ある「実家のお母さん」によると、桜丸くんはその名のとおり、貴族のように(?)優雅で上品でおとなしく、のんびりした空気感のネコだったとのこと。

4ヶ月になった頃うちに引き取ることになり

名前も「桜丸」から「銀次」という、まるで無宿渡世人のような渋いものに改名させていただいたのだが…

すると

のんびり、はともかく、あの「優雅で上品でおとなしかった」桜丸くんは文字通りの猫かぶりだったのか

まぁ、しゃべるわしゃべるわ

「遊んで❗」「片付けて❗」「これちょうだい❗」「あれやって❗」などなど

こんなにストレートで明確な意思表示をしてくるネコもいるのか…と

ネコ飼い歴の長い私でもびっくりするくらいのおしゃべりネコになった。

しかもなかなかの演技派で

ヤル気満々の声、あわれっぽく今にもくずおれそうな声、あきらかに「扱いが不当です」と主張しているかのようなふてくされた声、「やったー⤴️やったー⤴️やったぁぁぁ⤴️」と全身ではしゃいでいるような声、などなど…

自由自在に七色の声を使い分けて、思い通りに人間を操ってくれる(操られている人間のほうの問題はさておき)。

桜丸くんの時代は、その典雅な名前に恥じない自分でいよう、という矜持でもあったのか

いやそれよりも、自分の命の恩人でもである、実家の優しいお母さんへの尊敬と感謝の思いもあって、おだやかな立ち居振るまいをしていたのか

とにかくあの頃の桜丸くんは今何処、流行りの「あざと可愛い」を地でいくお騒がせキャラに完全にシフトチェンジしてしまった。

おかげで来る日も来る日も賑やかでせわしないが

そんなおしゃべり銀次くんに振り回される日々を「楽しい」と思っている甘々飼い主なのだから、なんだかんだ、めでたいことこの上なし、である。

そして当然のことながら

そんな銀次くんなので稽古場への出入りは厳禁。

弟子達の中にはネコ好きもいるが

なかなが「噂の銀次くん」には会えずにいる。

 

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今月の銀次くん・2。

いないな、と思ったら、梅酒をしまっている戸棚に入り込んでいました。飲めないはずですが…。

そして

回収される前に自力でちょっとずつ出てきました。

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ズラす、ハズす。

某問題についての与野党攻防を国会中継で見た。

議論を聞いていると、決してその方面に明るい方ではない私からしても、ところどころで主張がかみ合っていない、と感じる。

私なりに、こちらの言い分を理解できる・理解できない、とかの問題ではなく

相手から訊かれたことにあえて(?)答えてないような

まどろっこしくて、混乱していて、

主張の是非はともかく

そのかみ合わなさにイラッとしてしまう。

これも論戦における戦略なのだろうか。

 

ところで踊りの間を「あえてズラす」、「あえてハズす」というのは、よくあることで

名人と言われる先人達の舞台を拝見すると

その工夫や見せ方の素晴らしさに、いい意味で心乱される。

全部が全部正しい間にはまっていても当たり前の踊りになってしまうし

だからといって、なんでもかんでも間をハズしすぎても、またハズし方を間違えてもよろしくない。

捨てたり拾ったり

つかんだり離したり

じらしたり仕掛けたり…

演目にもよるが、心を揺さぶられる素敵な工夫が散りばめられた踊りに出会うと

もう最高に幸せな気分になってしまう。

 

国会の論議であえてハズされるのは、たとえ戦略であったとしてもなんだかスッキリしないが

「踊り」という場では

緩急自在で、解き放たれた表現を

あぁいいなぁ…、あんなふうに踊れたらいいなぁ…と思う。

 

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そこ、ここ、に春。

庭のマンサクに花がつき始めた。

春の訪れとともに「まず、咲く」が語源とも言われるマンサク。

春を告げる役目の花、と思うと何だかいじらしい。

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そして、桜の開花宣言と前後するようにして届いた「はるか」というミカン。

爽やかな甘さで美味しい。

目にも鮮やかな黄色で、キッチンに菜の花が咲いたよう。

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さらに…

年がら年中春のようなのんびり銀次くんは、朝の日向ぼっこの場所を物色中。

本日はリビングのカーテンの中に決めたようです。

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家のあちこちに春を感じるこの頃。

 

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桜の中を。

染織家・中路道人氏原画の、今月の飾り扇は桜。

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梅がそろそろ終わり、桜に主役が変わっていく3月。
私の中での「桜」は、イコール「母の亡くなった日」。

もう随分前のある朝、入院先で亡くなった母を病院で引き取り、自宅に連れ帰るために家族と車を走らせていた。
その日は桜が満開で、うまい言葉が見つからないが、あえて言うなら「壮絶なほどに」美しく咲き誇っていた。
田舎のちょっとした山道だったこともあって、その時間人通りもなく、晴天の空の光を遮るほどに密集した白い花の大群が、窓の外に次々と押し寄せては通り過ぎていった。

そしていつの頃からか、この日のことを思い出す時は必ず
桜につつまれるようにして走る白い車を、高い空から俯瞰で見ている鳥の視点のような風景も目の前にひろがるようになった。
桜の間からとぎれとぎれに見える白い車
少しずつズームしていって
車の中にいる家族や私の様子
そして私の目、目の先にある桜…
最初からそうだったのか、だんだんそうなったのか
夢で見たのか、何度も思い返すうちに勝手にそんなイメージを作り出したのか
全く定かではないが
車の中から見る、ただひたすら美しく、迫力のある桜と
天空から見る、白い車を覆い隠し、抱き込むような桜
このふたつの桜の佇まいが、カメラのアングルが切り替わるように、何の違和感もなく交互に現れる。

不思議でもあり、鳥のような視点は、ちょっと愉悦感を覚えるようなものでもある。
そしてそれがそのまま私の中の「桜」のイメージになっている。

今年ももうすぐ、不思議で、ほのかな愉悦感をまとったような桜の季節が来る。

 

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春の暖簾。

テイクアウトのランチを買いに行って
欲張りすぎたせいか(?)荷物で両手がふさがってしまった。
その店には玄関引戸の鴨居から私の腰くらいまでの比較的長い暖簾がかかっていて
荷物を持ったまま腰をかがめて頭から強行突破するしかないかな…と一瞬躊躇していたところ
表からスッと暖簾が開いた。
見ると、20代前半(?)とおぼしき若い女性が店の外から暖簾をを持ち上げて、私が通りやすいように介添えしてくれている。
「ありがとうございます」とお礼を申し上げて通らせていただいた。
私が通り過ぎると、その女性も軽く会釈をして、薄手のコートをひるがえしながら入れ違いに店に入っていった。
 
私のような仕事をしているものには、長い暖簾は当たり前の、なじみのあるものだし
楽屋の出入り等で介添えをしていただいたり、してさしあげたりも日常のことだが
あの若い女性は役者さんとかなのかしら、
それとも日本舞踊や和事のお稽古をしていらっしゃるのかしら、
暖簾を持ち上げた手も美しく、
通り過ぎる側の人の邪魔にならないようにほどよき場所に身を引いて、
ごくごく自然に、かつ、合理的で無駄のない振舞いで入れ替わるように店に入っていったその女性の後ろ姿を
しばらく店の外から追ってしまった。
一瞬のことだったのでお顔までははっきり見ることができなかったが
「きれいな人だな」と思った。
そして美しい立ち居ふるまい、というのはその造形的な美しさもさることながら
そこに込められた人様へのさりげない心遣いも含めて「美しい」と感じるものなんだろうな、と今更ながら改めて思った。
 
春風に揺れる暖簾の向こうに鮮やかに消えていった女性の後ろ姿が
今でも心地よい残像となっている。
 
 

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借景。

ご近所さんの梅が満開になりつつある。

春近し、を借景にて実感する今日この頃。

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借景とは、本来は「日本庭園や中国庭園において、自然の山や樹木等を庭園の背景として取り入れて一体化させる造園技法のこと」らしいので

ご近所さんの梅を愛でる際の眼福を「借景」と言うのは、元々の意味としては正しくないのだろうが

美しい景色を「お借りする」という表現感覚は、なんとも奥ゆかしく思えたり

本来の意味を考えると逆に壮大なスケール感を感じたり

「借りる」というひとことに、いろんな思いをかきたてられる。

ところで華道は英語で

Flower arrangement

となるそうな。

生け花でも華道でも、いわゆるフラワーアレンジメントでも

訳してしまうと同じ

Flower arrangement。

が、それでは華道の「道」の部分が伝わらないという。

華道、とは花を生ける行為や技術のみをさすのではなく

その行為や技術をつきつめていくことにともなう精神性、の意味が含まれていて

そこを伝えようとすると

Flower arrangement

のひとことではかたがつかず

なかなかの説明が必要になる、と。

「華道」と「生け花」がどう違うのか

「道」の部分を伝えるとなると、そもそも日本語だって大変なことのように思う。

が、きっとその「大変なこと」の中に「何か素敵なこと」が潜んでいるのかな??と

華道に縁のない私は勝手に想像していたりする。

踊りも、教えて教えきれないもの、習って習いきれないもの、に心惹かれていくように思う。

なんでもマニュアル化・情報化の時代になってきて、それはとても便利で時短にもなるが

マニュアルにしようとしてしきれない部分、小さな媒体に情報として収めたくても收めきれない何か

そこをこそ

自分のものにしたい、という思いに

日々の地道な稽古のモチベーションがあるのかもしれない。

 

※アートにエールを!東京プロジェクト(ステージ型)」にて

【翡翠~かわせみ~】配信中!!

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https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

 

 

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今月の銀次くん・2。

ウサギになってみた。

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女子になってみた。

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銀次くんと遊ぶ、ではなく、銀次くんで遊ぶ…。

可愛くて可愛くてつい…。反省。

 

そして

陽だまり求めてコロコロ。 

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梅もほころんで

春はすぐそこまで。 

 

※「アートにエールを!東京プロジェクト(ステージ型)」にて

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絵。

染織家・中路道人氏原画の飾り扇。
1年12ヶ月の花が、12本の扇に描かれている。
今月は雪柳。ひとつひとつは小さくて可憐な花だが、団体戦(?)になるといっきに派手で力強い佇まいに変わる。

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ところで記憶に残っている「人生最初の絵」は
6歳違いの兄が描いだネコの絵だ。
当時住んでいた家の台所にあった水屋のガラス戸に
原稿用紙か何かに赤鉛筆(もしくは細字の赤マジック?)で描かれた兄の絵が貼ってあった。
二頭身くらいのネコがどっしり座ってこちらを見ている。
まだ私が幼稚園にも行かない頃だっただろうか。
長いことそこに貼ってあったのか
少しセピア色化した原稿用紙の風情や
人懐っこそうにこちらを見ているネコの表情まで鮮明に覚えている。

ネコの絵を描いた少年は
特に絵を習うということもなく
そのまま九州の片田舎で育ち
大学受験も間近になった高校時代のある日
突然「俺、東京芸大の美術に行く!」と言い出し
まわり中の大人たちをドン引きさせたあげく
本当に東京芸大に合格し、大学院まで進んだのち
今はその道の仕事をしている。

そう言えばあの絵はその後どうなったのだろう。
きっと引っ越しとかのタイミングで剥がされて処分されたのだろうが
〇十年という歳月が流れてもいまだに私の中に残っている(そしてなぜか私も兄もネコ飼いになった)。

存在が消えても
「心の中でいつまでも生き続ける」という感覚が
生き続けている期間が長い分だけ
自分の中で腑に落ちてくる一枚の絵。

 

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