まったく自慢できた話ではないが
私は植物が苦手だ。接し方が下手すぎて我ながらあきれる。
動物(犬猫)に対してのほぼ無駄なレベルの興味と向学心を
ちょっとでもいいから植物に向けられないものか、と
かりにも着物にたずさわる仕事をしている身としては常々思う。
そんな植物ダメダメ人間の私が
一年ほど前から
近所のお花屋さんで月に2、3度ほどの割合で花を買うようになった。
きっかけは昨年の早春。
商店街の小さなお花屋さんの前を通りかかった時に早咲きの桜が目にとまり
まだまだ十分に寒かったこともあって
その寒さの中の桜の佇まいにふと心惹かれて購入し、家に連れて帰った。
小さな枝3本ほどだったが
それから2、3日後の大雪の日にはその桜で雪見酒をしたりもした。
頑張って頑張って割と長く咲いてくれていた桜も散って
飾っていた花瓶が空になって
玄関スペースに花瓶だけを置いた時に
「なんだか寂しくなったなぁ…」と感じた。
重度の植物音痴の私としては不思議な感覚だった。
以来
我が家には四季折々、とまではいかないまでも
それなりになんとなくとぎれることなく
小さな花達がいてくれる生活になった。
犬猫に対しては何の照れもためらいもなく
「かわいいねー!えらいねー!かしこいねー!」という褒め言葉が(客観的に考えると)ちょっと(かなり)恥ずかしいオーバーアクションとともにいくらでも口をついて出るのに
花に対しては「かわいいなぁ」と思ってもなかなかそれを口に出しては言えない。
なぜだかイケナイコトをしているかのような照れくささがある。
それでもその折々に一生懸命(まさにこの「一生懸命」という言葉がぴったり!)咲いている花々を見ると
すごいねー、きれーだねー、とコソコソっとつぶやくようにはなってきた。
すると気のせいかもしれないが
その声に花が応えてくれて
より長く美しく咲いていよう、としてくれる(ように見える)。
犬猫ほどの直接的でわかりやすいコミュニケーションではないが
その控えめな強さや
迷いのない潔さを
いとおしく思ったり、カッコいいなぁ…と感じたり。
今までなかった感覚が自分の中に生まれてくる、というのは
新鮮でもあり
姿形(香りも!)の美しさ、可愛さ以外にも
折々の花々がさずけてくれるものは大きい、と思う。
そして今では
「花を飾る」「花を愛でる」前の段階の
「(自分や家族のための小さな)花を買う」というのが
植物音痴の私にとって
贅沢で楽しい時間となった。