プロカメラマンが撮ってくれた楽屋写真を拝見。
ふとした瞬間の何気ない 風景や人物が
なぜかドラマチックに見える。
撮ってくれた本人いわく、「機材が違うからね。あと下手な鉄砲も数打ちゃ…で。」と謙遜しておられたが。

日本舞踊はもちろん、ダンスやバレエ、フィギュアスケートやバントマイムなど、身体を使って表現をするものを拝見するたび
何気なく差し出した一指しの手や
その一歩の一足
たたずむその姿やふとした視線に
何か劇的な雰囲気を漂わせることのできる人がいる。
劇的、というのは何も壮大なスケールのもの、という意味だけで言っているのではなく
私が言っている「劇的な人」とは
うまく説明できないが
そこに何かしらの「想い」を宿らせることのできる人、という意味だろうか。
表現するツールとしての自らの身体に
何かしらの想いが宿ってくれる、そんな魅力的な媒体(自分自身)を持っている人、と言ったほうがいいか。
「そのように見せる」ためのツール(舞踊家なら踊りのテクニック)のブラッシュアップはもちろん必要不可欠だが
努力や訓練では得ることのできない、天性の「劇的」を持った人がいるように思う。
その人が内なる部分でどこにつながっているか
内なる宇宙の深さ、広さの違いだろうか。