cc523461.jpgお茶のペットボトルにオマケでついていたラディッシュの種を蒔いてみたら
可愛い二葉を出してくれました。

ところで

《ペットの飼い方》本を買うと
よくペットとのコミュニケーションのとり方、などというタイトルで
ペットは1日に3回は抱きしめてあげましょう、とか
ペットの鳴き方で気持ちを理解してあげましょう、こんな鳴き方の時はこんな気持ちです、とか
マニュアル的な説明が書かれている。
私はいつもこの説明を少し不思議な思いで読む。

自分とは違う生き物を飼うのだから
その動物の生態を正確に知っておくのは
飼い主としての最低の責任だと思う。
無知ゆえの思い込みから
例えばペットの病気の発見が遅れたり
ペットにとって不都合な接し方をするのは危険なことだから
そのへんはしっかり勉強しておかなければ、とは思うが
そのペットとのコミュニケーションにマニュアルが必要、ということに
なんとなく違和感があるのだ。
多分の自惚れと思い込みを込めて言うが
人間の言葉がしゃべれない動物(または彼らの言葉を理解できない人間というか)ではあっても
いつも一緒にいる大好きなペットが何を言わんとしてるかくらい
人に教わらなくても
なんとなくわかるものだと思う。
誰に聞かなくても
ものの本にたよらなくても
動物とすぐに友達になれるのは
私にとっては子供の頃からご飯を食べるくらいにごくごくあたりまえのことだったから
そんなのでマニュアル本があるんだ~、という
なんとも不思議な気持ちがわきあがってしまうのだ。
《ご飯というのはこうやって食べます》くらいの本を読んでいるような違和感、といった感覚か。

などと言うととても偉そうだが
実は私は植物に関しては
動物に対して持っている《あたりまえ》感覚がなく
マニュアルが無ければ
全くうまく育てられない。
その下手さにおいては
我ながらあきれるくらいだ。
知人に植物の達人がいるので
いろいろと知識やハウツーをお裾分けしてもらっているが
そこでふと
《ペットの飼い方》本の存在が理解できる気がする今日この頃。