10月4日、『金曜赤坂座』秋公演に出演します。
今回は荻江【鐘の岬】を踊らせていただきます。
しっとりとした女の恋心がテーマの演目です。
鬘をつけず、衣装も自前の着流し、客席と舞台が至近距離、という
踊る方からすると、ある意味とても怖い形式なのですが
大劇場公演とはまた違った雰囲気をお楽しみいただけるかと思います。
於・赤坂黛アートサロン、19時開演。
ぜひお越しくださいませ。
10月4日、『金曜赤坂座』秋公演に出演します。
今回は荻江【鐘の岬】を踊らせていただきます。
しっとりとした女の恋心がテーマの演目です。
鬘をつけず、衣装も自前の着流し、客席と舞台が至近距離、という
踊る方からすると、ある意味とても怖い形式なのですが
大劇場公演とはまた違った雰囲気をお楽しみいただけるかと思います。
於・赤坂黛アートサロン、19時開演。
ぜひお越しくださいませ。
無事終了しました\(^o^)/!!
中学以来の友人Rさんが送ってくれた可愛いものづくしのお誕生日プレゼントに
ハチそっくりのこんなカードが添えられていました(^O^)。
今月は町内の神社の秋祭りで
うちの前の公園の一角が町内会の集会所になっているらしく
そこからおみこしや山車が出発し、町内を練り歩いたのち、また戻ってきます。
その一部始終を見ることができる、いわば特等席がうちの公園に面した窓で
初めて見た時には、あまりの人の多さと威勢のよさにビビってしまっていたハチも
最近は慣れたのか、しっかり「高みの見物」をしていました。
ごめんね。
君とかわした大切な約束を
私は忘れてしまっていた。
何度でも
どんな形でも
必ず必ずまた会おうね、って言ったのに
君とまた会うためなら
次の神様との契約が
どんなに理不尽なものになったってかまわないからね、って言ったのに
私はあきれるほど新鮮に
あきれるほど無邪気に
君を大好きになってしまっていた。
初めて手にした君という宝物を前に
すっかり有頂天になった私に抱きしめられるたび
君はきっと
小さなため息をついていたんだろう。
ごめんね。
どんなに優しい思い出も
どんなに深い約束も
人生の「アガリ」にはひとつ残らず神様に返すのが
人間の大人の決まりだから。
でも
くやしいけど
はがゆいけど
どうしたって人間の大人にしかなれない忘れんぼの私だけど
幾重もの魂を抱いて愛し続けてくれている君に
絶対に絶対に負けないくらいたくさんの「大好き」を
「今の私」だけであげられる自信はあるんだよ。
ハチ、今年もただひたすらに
健やかに。
幸せに。
お誕生日
おめでとう。
所作指導を担当させていただいた映画が完成し
今日はその関係者に向けての試写会がありました。
気がつくとその世界にどっぷりと引きずりこまれていた、と言ったらいいのでしょうか、本当に魅惑的で贅沢なすばらしい映画でした。
公開は来年。
またそのおりにはこのブログでもお知らせしますので、皆様ぜひぜひ劇場でご覧くださいね!!
子どもクラスは今日は久々に三人揃ってのお稽古になりました。
9月22日の浴衣会にしっかり間に合わせてきた三人。
さすがですね。
下の二枚の写真は本日入門したIさんお手製扇入れ。
おばあさまの羽織の袖を使って作ったそうな。
扇をしまってふたを被せた時に結ぶ紐も、そのおばあさまの羽織の紐!
これは面白い。
以前も書いたが
やっぱりイラッとしてしまうのは『道案内の下手な人』。
こちらが「今○○駅の●●口を出て、△△通りの▲▲という店の前にいるのですが」というかなり細かい情報を伝えているにもかかわらず
なぜかいきなり「はい(^o^)!◎◎(←まったくあたりに見当たらないビル)がありますか?」とくる。
あまりの唐突さに意味がわからず「は?」と尋ねると
「○○駅の××があるほうに出てぇ」と言う。
が、その店員さんの言う××というビルは何ヵ月も前に建て替えられて別の名称になっている。
目的のショップに行くには最寄り駅はそこしかなく、そのショップの店員さんが最寄り駅のそんな大きな情報を知らないはずはないだろうに、と思いつつも
「だから今(あなたが言うところの)昔××があったほうの●●口を出た、って言ったでしょうがぁ~」と言いたくなるのをグッとこらえて「はい、そちらを出て・・」と言いかけると、かぶせるように「あ、じゃあそこからしばらく行くと□□があってぇ」と言う。
私は確実にそのショップの近くであろう現在地からのナビをお願いしているのだか、どうやらその話はスルーらしい。
さらに何をどの位置に見てどちらの方向に「しばらく行く」のか、その説明は全くない。
仕方ないのでこちらから「●●口を背にしてどちらに行けばいいですか?」と訊くと
恐縮する様子もなく「あ、右ですね、右ー」。
現在地からのナビは諦めて、そんな説明を辛抱強く聞いていたら
ルートは違えど結局今私が立っている▲▲という店の前に出る、という話だった。
「あの、だから今その▲▲の前にいるのですが・・」と再度言うと
「あ、そうなんですか?じゃあそこから■■の看板を曲がって一軒目だからすぐでーす!」と相変わらずご陽気に言ったあげく、「お待ちしてまぁ~す」。
もうすっかり嫌になってしまい、そのショップには寄らずに帰った。
ショップまでの道案内を頼まれたらこう言いなさい、というマニュアルてもあるのだろうか。
道案内イコールそのマニュアルというスイッチが入ると
客が言っている言葉は耳に入らず、だから当然会話は成立しない。
さらに言えば『会話が成立してない』ということにその店員さんは全く気づいてもいない。
怒り狂うほどのことではないが、やはりそこで買い物をしようという気は失せる。
「一事が万事でしょう」と思ってしまう。
そして「やっぱり携帯に住所を入力してマップで自力到着するのが一番手っ取り早いかな」。
ふと
こんなふうにしてフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションは減っていくのかしら、とオーバーなことまて思ってしまった。
鶏が先か卵が先か、だが
情報手段の発達がコミュニケーション下手な人間を作るのか
ずさんなコミュニケーションの取り方にイラッとしたあげく
そのずさんさに文句を言ったり我慢したりして、お友達でもない人と無駄に関わるよりは
便利な情報手段があるのだからそちらを利用しましょう、となって益々その手段が発達していくのか。
なんだか負のスパイラルのように感じなくもない。
まあ、こんなことでイラッとするなんて私もまだまだ人間ができてない、自己反省をするいい機会と捉えましょう、というくらいの、心穏やかな人格であればいいだけのことなのだろうが。
そう言えば先日自転車で街を走っていたら
前方に道路いっぱいに広がって歩いている5人連れくらいの学生らしき集団が見えてきた。
後ろから近づいても自転車に気づくことなく笑いさざめいていたので
チリンとベルを鳴らして道を空けていただき、通してもらった。
「すみませーん」と声をかけながらペコッと会釈をして通りすぎると
後ろから「こちらこそ~」という女の子の明るい声が聞こえた。
なんだかその日は一日中気持ちがよかった。
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