2009年 9月 の投稿一覧

通訳。

今はすっかり錆び付いてしまってお粗末な限りだが
学生の頃は語学が看板の大学だったこともあって
日常会話程度の英語には困らなかった。
ツールとしての英語もさることながら
私は英語(米語)の音そのものも好きで
横着な性格のわりには耳だけは素直で
発音や抑揚に敏感だったおかげで
回りの帰国子女レベルの友人逹に比べればあきらかに劣っている会話力を
発音の美しさ(?)やネイティブっぽい抑揚でカバーしていたように思う。

そもそも『なんとなく英語が好き』という感覚は子供の頃からあって
アニメなどほとんど見ない私が
【セサミストリート】だけは意味もわからないままに飽きずに見ていた。
そのため当時回りの大人逹に『大きくなったら通訳になるの?』とよく言われていて
おかげで『通訳』という職業は
そのなんたるかもわからないまま
私の心の隅にいつもなんとなく存在するようになった。
が、長じて物心がついた私が思ったのは
『通訳ってHe says、She saysばかりで、I want to sayがないみたいで、つまんないんじゃないかなぁ・・』という
無知ゆえのお恥ずかしいものだった。
その後通訳という仕事の偉大さ、楽しさ、責任の重さ、などを知ることになるのだが
それは置いといて
もっと身近なところでそのすばらしさに唸ってしまうのが
洋画や海外テレビドラマの字幕だ(こちらは通訳ではなく翻訳になるのだろうが)。
海外ものには吹き替えと字幕があるが
私は断然字幕派。
で、その字幕で興味深い訳が出てくると
はたしてオリジナルはなんと言っているのか気になってしまう。
今の私程度では劇場で字幕を見ながら同時にオリジナルもス~っと耳に入ってくる、なんていうのは難易度が高すぎてありえないのだが
DVDならリピートができるし
どうしても聞き取れなければ
字幕を英語にして文字で見ることができる。
『こんにちは、恵比寿さん』、『それは断末魔の声だった』など、これって英語ではなんて言うのかなぁ~と思うと確認せずにはいられない。
韻をふむジョークや気のきいた皮肉などもその類いで
たいてい『なるほどねぇぇぇぇ、すごいなぁぁぁぁ』と感動してしまう。

記憶違いでなければ確か字幕は1分間に入れられる単語の数が決まっているという。
限られた条件の中で
より的確に
より美しく
よりセンスよく
しかもその人ならではのオリジナリティーをもって
より説得力のある表現に仕上げていく。
なんてカッコイイんだろう!と思ったところでハタと気がつく。
この在り方って踊りもまったく同じなのでは?

あぁやっぱり『カッコイイ』と思ってもらえるものって
私のような凡人には遠い道のりなんだなぁ、としみじみ思う。

そんなちっちゃなヤツが。

8efac255.jpgハチのお誕生日に書いたヤツのチビッコぶり。
それが今やこんなの。
ポケットティッシュと比べてみました。
6才で6キロ。
でかくなったものです・・。

お稽古始めました。

81003a1d.jpg錦吾先生のお孫さんのHちゃんは4才になりました。
そしてなんとっ!
日本舞踊のお稽古を始めました。
青い浴衣に赤い帯で準備万端。

お稽古始めました・2 。

488b8416.jpg天真爛漫でとっても元気なHちゃんのお稽古は笑いが絶えません。
立っても座っても歩いても、何をしても可愛いっっっ(^.^)!!

忘却。

坂本冬美さんの【夜桜お七】という歌に
いつまで待っても来ぬ人と死んだ人とは同じこと、という歌詞がある。

先日私は
私にとってかつて縁あった人のお誕生日をすっかり忘れていて
今日になって
あ、そう言えば、と思い出した。

その人にとって意味ある日や大切な事柄が
私にとってはそうではなくなっていく。

誰かの心の中で
誰かの存在が消えてなくなる。

そしてもし
その誰かが永遠に忘れ去られ
思い出される時が来ないとしたら
その消された誰かは
どこへ行くのだろう。

誰かが確かに存在したことを
自分の記憶から永遠に葬り去ってしまった心の風景は
ふと思い出す瞬間がないかぎり
それはそれで安らかなものなのだろうか。

誰かが本当に死んでしまうことと
リンクしそうで絶対に交わることのない
パラレルな空間に閉じ込められたような
そんな感覚が心に巣食っている。

笑顔。

bd0d927a.jpg弟子のKさんのお友達のネコ。

ハチも真っ青の可愛い写真なので掲載させていただきます。

腰が抜けそうにキュート・・・。

ショートケーキ1 コ。

君と初めて会った日のことを
私はよく覚えているよ。
よく晴れた秋の日
地下鉄の駅を上がったところ
君は大きめのショートケーキ1コがやっと収まるくらいの
ちっちゃな箱に入ってやってきた。
そこから私の家までは
歩いて2分もないのだけど
そのたった2分が我慢できなくて
私は箱を受けとるやいなや
ふたを開けてしまった。
中には
まだ毛もボソボソで
華奢な体に不釣り合いなほど大きな目をした
箱よりもさらにちっちゃなちっちゃな君がいた。
君は生まれてすぐに捨てられちゃった猫、
と聞いていたけど
君の瞳は明るくて好奇心でいっぱいで
箱の淵に白い両手をちょこんとかけて
まっすぐに私を見上げてきたね。
本当は
動物の最期をみとるなんてもう二度といやだったから
君を迎えることも
私はまだ少し迷っていたんだよ。
だけど
私を見つめる君の無垢な瞳に出会った瞬間
そんな迷いはどこかに消えてなくなってしまった。
私は君を家に連れて帰り
迷っていたわりにはしっかり考えていた名前、《はっとりくん》と呼んでみた。
君はキョトンとした顔をしたあと
私の膝に興味深そうに寄ってきて
そのまま
膝によじ登って
白いお腹をだして
きっちり2時間
爆睡してしまった。
君のお腹が気持ちよさそうにプクプクと動くのを見守りながら
その日以来
私の中の単位は
1、から2、になった。

ハチ、ずっとずっと健やかに。
お誕生日
おめでとう。

お願い。

しっかりバッグに入れていたにもかかわらず

昨夜の大雨で携帯の液晶画面がダメになってしまい

メールは受信するものの

内容を確認できませんでした。

電話を新しくし

バックアップしていた電話帳などは復旧できたのですが

夕べの20時以降今日の15時頃までに届いたメールについては読めないままです。
その時間にメールをくださった方

お手数ですが再送してくださいm(__)mm(__)mm(__)m。

よろしくお願いします。

段取り。

164d9810.jpgハチがウロウロしていると

段取りが狂う。

今日も

まずこっちの浴衣をたたんで

あっちのバッグに詰めて

向こうの部屋にあるあの着物を生き洗いに出して・・と

いろいろ考えながら浴衣を広げたら

早速ハチが 《この浴衣は僕のもの!》とばかり

ドカッと上に陣取ってきた。

どかせば済む話なのだが

その当たり前っぷりがあんまりおかしくて可愛いので

若柳公子さんからいただいた(強奪した?)リサ&ガスパールの縫いぐるみなどを隣にはべらせて

記念写真を撮ってみたりする。

すると

もうちょっと顔が上向きのほうが可愛いかな、とか

縫いぐるみは隣じゃなくてお腹のところに置いたほうがいいかな、とか

なんだかんだ言いながら何枚も撮っていると

30分くらいは軽く過ぎてしまう。

気が付くと

こっちの浴衣だの

あっちのバッグだの

向こうの部屋だのは

どっかに放置されている・・。

ほら、また段取りめちゃくちゃ。

ま、可愛い写真撮れたからいっか。

亀戸のアホ。

952919a2.jpg今日は日本舞踊協会東京支部の機関誌・大江戸かはら版の編集委員会が亀戸でありました。
帰り道、なぜか亀戸駅に薔薇が一輪落ちていて
何を思ったか
それを見つけた某藤間舞佳さんがいきなり薔薇を拾いあげ
カルメンポーズを披露してくれました。
お友達じゃないフリをしてすぐさまその場から逃げ出すか
《亀戸のアホ》というタイトルで写真を撮るか迷いましたが
結局後者のほうが面白そうなのでそちらを選びました(^.^)。
作品名《亀戸のアホ》。
いかがでしょうか?

サービスプロバイダー。

東急バスでは
運転手さんのことを《サービスプロバイダー》と呼ぶらしい。
車内放送でもそう紹介されるし
ネームプレートにもそのように書いてある。
《Service=サービス》を《Provide=供給する》人、ということなのだろうが
たまに
乗客に向かって話しかけているのか
ただ独り言を言っているのかわからないようなアナウンスをする運転手さんがいる。
覚えたマニュアルをひたすらモゴモゴと小声でつぶやき
何を言っているのかさっぱりわからない。
どうせ誰も聞いてやしない、と思って惰性でやっているのか
少なくとも
何かを伝えようとする意思、みたいなものは感じられない。
それにしては妙にカッコつけた言い方をしていて
意地悪く見れば
ひとり悦にいっているようにも聞こえる。

そんなバスに乗り合わせるたびに
踊りもこうならないように気を付けなきゃな・・と思う。
ひとりよがりの踊りを見せられるほど
気分の悪いものはないのだから、と
車窓を流れていく初秋の街並みを見ながら
考えたりする。

本日公開!!

《Ballad~名もなき恋のうた》本日公開です!!

ぜひ劇場で観てくださいね!!!!

気づき。

ビデオに自分の踊りを撮って見たりみると
たいていガッカリする。
『なんじゃ、こりゃ』と思う。
《やっているつもり》、《できているつもり》のオン・パレードで
マイナスの意味で《目からウロコ》{←こんな使い方はおかしいが、あえて}だな、と思う。

そんな時私は
なんとなく自分がナマクラになったように感じる。
埃がうっすらと積もった荷物ような
濁って少し黄色くなった瞳のような
スカッとしないヨドミのようなものを感じてしまう。

透明でいなければ
何も気づかないで過ぎてしまう。
《気づき》の連続がまた
透明な心を作る。

今日私はどれだけのことに気づいただろう。
居心地はいいが
時が止まったように動かない
退屈で安全な場所に
何度逃げ込んだだろう。

キリストハチ。

94863548.jpg目をうすぼんやりと細めて
ハチの白い模様のところを見てみてください。
なんとなく十字架に見えませんか?

ついに神聖化してきたハチ(←いまだに健在、飼い主バカ)。
すばらしいっ!!