隣の芝生は青く見える、と言うが
〈うちより青くていいなぁ~〉と羨んだり羨まれたりしているうちがハナだと思う。
芝生をより青く育てるための
その家その家それぞれの努力や苦労などは
外からは窺い知ることができないものだし
また多少なりとも知ることができたところで
理解できるものでもないだろう。
理解できない部分を都合のいい憶測と偏見で埋め
トンチンカンなジャッジメントを押しつけられるのは不愉快極まりない。
隣の芝生の青さの理由を探ろうとも思わないし
我が家の貧しい芝生がいささかなりとも青く見える瞬間があったにしても
その青さのために払う犠牲や努力を理解してほしいとも思わない。
言いたいのは
理解できないことを理解できないまま置いておく程度の礼儀と謙虚さを
持っていたいということだ。
人の生き方はそれぞれ。
自分とは違う生き方を
自分の生き方から得た価値観のみでジャッジしたあげく
そのジャッジメントを携えてドカドカと隣人の芝生に立ち入ってくるあの厚顔さはどこからくるのか。
だからどれほど近くても永遠に〈隣人〉で〈友人〉にはなれないのかもしれない。