2008年 9月 25日の投稿一覧

そんなに。

そんなに早く

心臓を刻まないで。

君がその分早く天使になっちゃいそうで

怖くなる。

そんなにすなおで

聞き分けのいい子にならないで。

やんちゃで気ままでいたずらな君のままでいて。

聞き分けのいい分

君に我慢させている君のわがままを
ひとつひとつ全部拾い集めて

君に返してあげなきゃと

せつなくなる。

君が来てから

心配が増えた。

気掛かりが増えた。

もっと自分のことだけで

毎日を忙しく過ごしていたのに。

君が来てから

私の中にもうひとつ

壊れそうで

たよりないものが増えた。

本当にやっかいで

かけがえのない

君という存在。

《悪気はないんだけど》。

ずいぶん前の話だが
ある知人が
自分の友人の不運話を
デフォルメし脚色し
おもしろおかしく回りの人達に言い広めていた。
私は話のダシに使われた本人ともつきあいがあるが
話の内容がもともとかなりシビアなものだけに
本人の預かり知らないところで
不特定多数の人間に
しかもかなり脚色されて広められていくことに
他人事ながら《いいのかなぁ~ 》という抵抗があった。
まぁそれはその知人と、話の主人公になった本人の
お互いが納得していればいいことなのだが
私がなんとなく疑問に思ったのは
そんな知人の言動を見て
やはりなんとなく不愉快に感じたらしいある人が
《彼女(そのデフォルメ話をした知人のこと)はサービス精神が旺盛だから、悪気はないんだろうけど、ついついああいう話し方をしてしまうんだよね》と評したこと。
サービス精神が旺盛で、というと聞こえはいいし
悪気がない、と言えば許せる範囲に思える。
サービス精神、というのは
要は人様に喜んでもらいたい、という気持ち。
喜んでもらいたい、
喜んでいる人を見て自分が満たされる、というのは
もちろん基本的にはとても素敵なことだ。
が、それでもその気持は《自分が》〇〇したい、という、
自分の欲求のひとつであることにはちがいない。
自分の欲求を満たすために
おそらくネタにされた本人は傷付く(少なくとも笑えない)であろう、と思える話を(本人が傷付くであろう、という想像力すらないのであればもう論外だが)
おもしろおかしく脚色して人様に提供する、
自分の(かなり親密な付き合いだと自ら言っている)友人である、ネタの主の気持ちを思いやることより
自分の欲求が先にたっている人間に悪気がない、とは
私にはどうしても思えない。
むしろ自己中心的としか思えなかった。
後日めぐりめぐって
そのおもしろおかしい話が耳に入ったネタ元の本人は
激怒していた、とのこと。
そのような人種に自分の身の上話をしたネタ元の人間にも
そもそもの過失があるのかもしれないし
とにかくそれはお互いの責任において解決すればいいことだが
私自身は
サービス精神が旺盛、だとか
口下手、だとか
そういう一見口当たりのいい言葉に寄生して
ある言動を正当化されるのが一番苦手だ。
以前にも似たようなことを書いたが
相手を大切だという思いが強ければ
あるいは
どうしても伝えたい思いがあれば
そんな言い訳とはなんとか折り合いをつけて
一番大切なものを第一に考えようとするものだと思う。
それができない、ということは
それよりも自分の欲求や体面のほうが大事、ということだ、と思う。
その気持ちが悪い、と言っているのではなく(むしろある意味望ましいかも)
それならそれで
その程度の思いしか抱けない付き合い、という話であって
安っぼい言い訳でいい人ぶっている(またはいい人、と他人が評価する)ことが
なんとなく納得できないなぁと思うのだ。
かくいう私もかなりセルフィッシュな人間だし
さらにいい人ぶりっこどころか
露悪趣味に自虐趣味まで持ち合わせているので
もっとめんどくさいのだが。