右と左に別れゆく。
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今月の銀次くん。
なんとなく「6」。
夏の味噌汁。
まだ小学校に上がって間もない頃の夏だったか、法事か何かで叔父の家に一家で泊りがけで行った。
叔父は母方の家の長男になり、私にとっての祖母も晩年はその叔父の家で暮らしていたため
何か行事があると全国津津浦浦に散っている親戚縁者が田舎の叔父の家に集まるのがならわしだった。
親戚で飲めや歌えやの一夜を過ごした翌朝
そんな頃から寝付きが悪く眠りが浅かった私は早くに目が覚めてしまい
起き上がってフラフラと離れの座敷を抜け出し、母屋にむかった。
すると台所ではすでに叔母(叔父の妻)が朝食の準備を始めていて
親戚全員の人数分の、大量の味噌汁を作っている最中だった。
叔母は寝ぼけ眼でボーっと突っ立っている私を見つけると
「〇〇ちゃん(私の本名)、こっちにおいで。おばちゃんの味噌汁の味をみてくれる?」と話しかけてきた。
私は言われるままに、叔母が大鍋からすくってくれた味噌汁を一口もらい、感じたままに「美味しい!」と告げた。
叔母はにっこり笑って「よかった。じゃあ〇〇ちゃんのOKが出たということで」と言い
私はといえば、それを特に気にとめることもなく、叔母と一緒に茶碗をならべ、朝食の準備を手伝った。
時間になり皆が揃うと、叔母はその味噌汁をよそいながら、「今日の味噌汁は〇〇ちゃんが味付けしてくれたんだよ!」と親戚一同に発表(?)してくれた。
他の叔父叔母や年上の従兄弟達は口々に「へぇー!そうなのかー、あー、うんうん、美味しいねー、さすが!〇〇ちゃんありがとうー!」と言いながら和気あいあいの楽しい朝食が始まった。
そんななかで、私はひとりどうしていいのかわからないまま、不思議なものに出くわしてしまったような、違和感だらけの思いでかたまってしまっていた。
照れくさくて恥ずかしい、というわけではなく
「えー!おばちゃん、私味見しただけだよー。」と、事実を告げようとして苦心しているわけでもなく
調子にのって「うん、私が味付けしたのー。将来コックさんになろうかなー。」という自慢をしたくてウズウズしているわけでもなく
ただただ、なんだか不思議、というか、何が起こっているのかわからない思いで呆然としていた。
叔母が朝食前にただ一口味噌汁をすすっただけの私に花を持たせ(?)、「今日は〇〇ちゃんが味付けをした」と皆に言ってくれた、その茶目っ気まじりの優しさというか、心違いみたいなものは、子どもなりに感じとってはいた。
が、大人の人が子ども相手にそんな心遣いや茶目っ気を示してくれる、というのは、当時の私にとってはあり得ないことで
むしろイレギュラーすぎて驚愕すぎて、そんなものをどうやって受け入れたら正解なのかを考えてしまう、というところだったのだろう。
年端もいかない子どもだったのに、なんとまぁ持ち上げガイのない、可愛くない反応だったのだろう、とつくづく思うが
あの頃、私にとっての「大人の人」とは
(言葉では説明しづらいが)少なくともその叔母のような像からは対面にあるような存在だった。
怖い存在ではないが、だからといって絶対に同じ輪の中にはいない存在、というか。
(私の作った?)味噌汁を賑やかに食べてくれていた親戚の中には、当然のことながら私の父も母もいたはずなのだが
おじちゃんおばちゃん、従兄弟達の楽しそうな顔は浮かんできても
なぜか両親がどんな佇まいでいたのかはずっと思い出せないでいる。
さて、その後の私はどうなったか、というと
叔母のようなスタンスでいられる大人にはなったのだが
ついでに
たとえヒトサマが作った味噌汁でも、事前に自分がひとすすりでもしようもんなら「私が私が私が、味付けをしましたが、何か!?」と、あつかましい自慢をこれでもかこれでもかとしそうな大人にもなっ(てしまっ)た…。
興味深い鏡。
「他人は、自分が自分を扱うように扱う。自分が自分を粗末に思えば、他人もそのように接してくる。」
何かで読んだそんな格言(?)が心に残っている。
よく「自分を大事にするべき」と言うが
自分を大事にすることと、ただただ自分本位なエゴであることとはどう違うのか、いつもわからなくなってしまう。
が、格言が真実であるなら、この疑問の答えの目安にはなるかな、と思う。
他人からの扱いを心無く感じたときのことを振り返ってみると
自分で自分を粗末にしていた、とまでは思わないにせよ
表層的なところばかりに気をとられて、肝心な努力や決断を怠っていたり
今ここで本当に自分がやりたいこと、やるべきことの見極めを(ただ面倒くさいとか、怖いとか、あきれるほどいいかげんな理由で)先送りにしていたり
好き勝手に生きているようでいながら、長い目で見れば逆に自分自身を放棄してしまっている、そんな時期には決まって(おこがましくも)「この扱いはあまりに心無い」と感じていたようにも思う。
圧倒的に残りの人生のほうが少なくなってきた齢〇〇にしていまさらながら、ではあるが
他人からの扱いをひとつの鏡にして、自分自身を映し出してみようと思う今日この頃。
今月の銀次くん。
両足のところがハート型で、なんとなくセクシー❤️
首、痛くないのかな?
花柳錦翠美リサイタル舞台面写真。
大変大変大変遅くなりましたが
リサイタルの舞台面写真をギャラリーページにたくさんアップしました。
ぜひご覧ください。
久々・今月の銀次くん。
バタバタが続いていて、放っておきっぱなしだったブログですが
久々の「今月の銀次くん」。
なぜかいつも片手を伸ばしてご休憩なさいます。
本日公開❗❗
映画【陰陽師0】、本日公開です❗❗
所作指導と振付で半年間携わらせていたたいた、私個人としてもとても思い入れの深い作品です。
佐藤監督のもと、最高のキャストとスタッフで、コロナと戦いながら創り上げた【陰陽師0】。
ぜひぜひ劇場でご覧ください❗❗
【陰陽師0】公式サイトはこちら。
↓↓
花柳錦翠美リサイタル。
今週金曜日にせまりました
花柳錦翠美リサイタル。
精一杯つとめさせていただきます。
ご来場心よりお待ち申し上げております。
【陰陽師0】本予告公開。
今月の銀次くん・2。
ウリ坊再び。
亥年なら、年賀状に使えそうなんだけどな。
今月の銀次くん。
銀次くんを搜せ!
【陰陽師0】GW公開決定。
半年間、所作指導として携わらせていただいた映画【陰陽師0】(おんみょうじ ぜろ)が来年GWに公開となります。
ぜひ劇場でご覧ください!!
公式サイトはこちら
↓
花柳錦翠美リサイタル。
2024年3月22日(金)
紀尾井ホール(小)にて
花柳錦翠美リサイタル~翠の会~
を開催させていただくことになりました。
18時開場・18時30分開演。
人間国宝であられた故・2世花柳壽楽先生振付による長唄【水仙丹前】と、
女形舞踊の代表曲・長唄【鷺娘】を半素形式にて上演いたします。
ぜひご来場ください。
チケットのお申込みは下記お問い合わせフォームより。
↓
今月の銀次くん。
カワウソ疑惑再び。
ラッコ、という説もありますが。
金曜赤坂座。
10月13日(金)
金曜赤坂座のスタジオ公演をほぼ1年ぶりに開催します。
15時
と
19時
の2回公演。
於・黛アートサロン。
私は長唄「鷺娘」を踊ります。
チケットはおかげさまでほぼ完売となりましたが
若干の増席があるかもしれません。
お問い合わせはこちら。
↓↓
今月の銀次くん・2。
本日、社長就任。
銀次くんのために買ったデスクチェアじゃないんだけどなぁ…。
今月の銀次くん。
カワウソ疑惑。
浴衣。
弟子のOさん、本日の浴衣は見様見真似で自分で縫ったそう😀😀。
お見事!!
今月の銀次くん。
ご飯を食べるときは、人間にそばにいて見ててほしい派。
食べたくなるとものすごい勢いで呼びにきて
根負けして一緒に行くまで文句を言い続けます。
途中退席NG。
立ち去ろうとすると「見てる?見てる?ちゃんと見てて!」と訴えてきます。
誰もいない時はそれなりにひとりで食べてるくせに…。
学習しない💧。
舞台が終わって、その翌日から所用で大阪に行ってきた。
私が途中で所持の記憶がなくなるものの二大巨頭が、傘と切符(これっぽっちも自慢にならないが…)。
大阪への行き帰り、在来線も含めて久々に乗車券なるものを使ったが
どの降車駅でも必ず切符を探した。
バッグの中、ポケット、果てはまさかの捨てようと思ってまとめていたゴミの袋…。
ハンでおしたように都度どこにしまったか忘れ、都度探し、都度あせりまくる。
乗車時間が10分でも3時間でも、パターンは同じ。
何十年も抜けないクセ(?)なので、もはや私的伝統とも言える。
本当にこれでもか、これでもかと、学習しない。
傘にいたっては「安物の傘だからよ。もっとちゃんとしたものを持ってれば忘れないから。」と、とある先輩が海外ブランドの価格の高〜い傘をブレゼントしてくれたのだが
頂いたその日に新幹線に置き忘れてきてしまった…。
この二大巨頭以外のものについては
むしろ心配性に近いくらいの、どちらかというと気を回しすぎて疲れる系の性格のはずなのだが…
誰かタスケテ…💧💧💧💧
五月雨の女。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました❗❗
今月の銀次くん。
胸で手を交差させている、乙女な漢。
今月の銀次くん・3。
しっぽ なら ずっと にぎってても ゆるしてあげる。ぎんじ。
ソファに並んで、一緒にビデオを見てます。
雨。
東京は梅雨真っ只中。
傘で荷物がひとつ増える、雨用のコートで蒸し暑い、何かと予定通りにことが進まない、もうとにかく私の苦手な季節だ。
ところで、7月に踊る演目のタイトル「五月雨」とは
陰暦(旧暦)の5月にしとしと降る雨こと
つまり、今で言う「梅雨」のことを指す。
であるなら
蒸し暑いだの苦手だのブツブツ言っている場合ではなくて
この季節に「五月雨」を勉強できることに感謝し
雨模様の空を見上げながら和傘のさし方のひとつも研究するのが、舞踊家としてのあるべき姿というものだろう。
私はコテコテの雨女(そんなものがあるのか?)らしく、とにかくよく雨に見舞われる。
雨に好かれている(?)だけあって
私も雨の日の雑事が苦手なだけで、雨の風情そのものが嫌いなわけではない。
日常的に寝付きが悪くて眠りが浅いため、睡眠導入用の大雨のBGMにお世話になることもしばしばある。
自分の部屋や稽古場に飾っているのも、小村雪岱や川瀬巴水による雨や傘が描かれた作品が多い。
この季節をうっとおしがっていてはなんだか申し訳ないというもの。
梅雨バンザイ!!
今月の銀次くん・2。
上弦(下弦?)の月。
顔さえ突っ込んでおけば完璧、と思っているらしい…。
明け方の夢。
明け方、久々に亡くなった母の夢を見た。
自転車でちょっと遠くのスーパーまで買い物に行ってくる、と言う。
わかった、と母を送り出したあと
私も夕方から出かける用があるので、あのスーパーだと母が帰宅するころには私はいないな、ちょうどすれ違いくらいかな、などと思いながら
家中のブラインドやカーテンを閉めてまわっている。
ふと
何の脈略もなく、母は先に出かけた父と待ち合わせをしているのではないかな、と思いはじめる。
次の瞬間場面は飛んで、なぜか私はもう母には二度と会えないんだろうな、と思っている。
いじわるでヒステリックで見栄っぱりで、娘の将来についてなど、興味もなければ責任も感じていなかった母。
が、同時に本能的な(?)情にあふれてもいた母。
自分で自分をどう扱っていいのか、生きている間中答えを出せなかった母。
時折びっくりするほど怯えた目をしていた母。
夢の中で、私は(意外にも)そんな母を(そんな母でも)好きなのかもしれない、と思っている。
そのあたりで目が覚めた。
家族や銀次くんの眠りが一番深い時間。
寝息に癒され、安心した朝。
今月の銀次くん。
何かが普通でない踏んばり方。
今月の銀次くん。
どこででもくつろげる漢。
過日、緊急地震速報が鳴り響くなかでも微動だにせず、爆睡しておられました…。
「区外」の子。
私は小学生のときに、両親の(?)意向で決められた学区外の学校に通っていた。
いわゆる越境通学というやつだ。
運動会になると、グラウンドに地区ごとのテントが立って
〇〇区、△△区と描かれたテントの下で、親や祖父母が、自分達の子どもや、ちっちゃい頃から見知っている近所の子ども達をはりきって応援していた。
昼休みになると、お隣やお向いのおっちゃんおばちゃんも一緒の、大町内会ランチを繰り広げている大きな区もあったように思う。
そんな中、私の住んでいた越境区のテントは(当然のことながら)立てられることはなく
では、圧倒的少数民族の、越境区の児童達とその家族の居場所はどこだったか、というと
「区外」と描かれたテントだった。
越境区、といってもその地域はひとつだけてはなく、いろんな越境区から、学年も性別も違う児童がひとりふたりと通っていた。
お隣の〇〇さんちの△△ちゃんが産まれたときは、そりゃおじいちゃんが大変な喜びようでねー、などというお互いのエピソードなど知る由もない、言わば寄せ集め・ひとくくりのテントだ。
「われらが区」という意識が希薄(というか持てない)せいか、他のテントに比べてなんとなく盛り上がりに欠けるというか、お行儀がよいというか、とにかくひとつにまとまっている感がある、とは到底言いづらいテントだった。
良くも悪くもお互いとても自由。
この時の「区外意識」が基になったのか、長じてからも、この「良くも悪くも群れずに、自由」の気質は、私の中にそこはかとなく、でもとぎれることなく居座っていて、
隣のテントは、にぎやかだけど大変そうだなぁ、こっちのテントは仲間は少ないけど自由でいいなぁ、という、言葉にするほどのこともない、フンワリした、でも揺らがない感覚がある。
たから即それが行動に反映されるか、というとそういうわけでもなく
何かにつけ、隣のテントをにぎやかだけど「大変そうだなぁ…」とつい感じてしまいがちな自分
「わ〜、しばりがないってめっちゃ楽しい〜」と思ってしまいがちな自分がいる、という程度のことだ。
にもかかわらず、なのか、たからこそなのか
「あなたも参加にしといたからね、絶対来てよ〜」「明日、来るよね?欠席とかなしだからね、皆待ってるんだからね〜」などという、当たり前の「INの人」扱いをされると
なぜか人様以上に嬉しくなってしまう自分もいて(もちろん大前提として、近所のおっちゃんおばちゃん程度にはお付き合いがあって好きな人達に限るが)
なかなかやっかいな性格だな、と自分でも思う。
そんなやっかいな性格とともに、それでもどうにかこうにか生きてきた私を
昔も今も変わらず「区外とか関係ないから」のスタンスで、当然の「IN」扱いをしてくれる友人達の存在を
歳を重ねれば重ねるほどありがたく、嬉しく思う。