2014年 5月 の投稿一覧

ドラマ打ち上げ。

TBS~WOWOW共同制作ドラマ【MOZU 】 のクランク・アップ打ち上げパーティーがありました。

メンタルもフィジカルもタフで熱い、ドラマ作りのプロフェッショナル集団の中に混じって
舞踊家という立場から、ささやかながらお役に立てることがある、というのは
本当に嬉しく、幸せなことです。

翌日の予定があったので二次会で失礼しましたが
名残惜しい帰り道でした。

【MOZU シーズン1~百舌の叫ぶ夜】もいよいよ後半。
木曜夜9時よりTBSで放映中です!.

お知らせ。

来週金曜日夜10時より
NHK Eテレ【にっぽんの芸能】という番組で
2月の日本舞踊協会公演(於・国立劇場大劇場)で上演された「曾我祭」が放映されます。
ベテラン・中堅若手舞踊家総勢19名出演の華やかな舞台です。
私も出演させていただいてます。

ぜひご覧ください!

解説。

プロスキーヤーの三浦豪太氏は
ソチオリンピックで「詳しすぎる解説」として話題になった。
確かに「よくぞそこまで取材を・・」というくらい、各選手の細かい情報を伝えてくれていて
おかげでそれぞれの選手のヒトとナリをそれなりに知ることが出来
私自身あまり興味のなかった雪上競技も、いつの間にかなんとなく見るようになっていた。

解説と言えばマラソンの増田明美さんが浮かんでくる。
彼女の解説には、いつもどこかにランナーへの愛みたいなものが感じられて
聞いていてなんとなくほっこりするものだったように思う。

前述の三浦氏も同様で
その競技そのものと選手に対して、深い愛情とあたたかいまなざしを注いでいる姿勢がうかがわれて
やはり心地のいいものだった。

さて、大好きなフィギュアスケート。
フィギュアにおいても、もちろん皆愛溢れる素敵な解説者ばかりではあるのだが・・。
フィギュアは言わずと知れた「採点方式の競技」で
「より速く・より高く・より強く」の記録のみが勝敗を決めるのではなく
いわゆる「芸術点」に相当する部分が成績に大きく関わってくる。
ということはつまりフィギュアは「競技」であると同時に「芸術」でもあるのだろう(愛すべきフィギュアスケーター・町田くんの言葉ではないが・・)。
フィギュアスケートにおける勝負の、やっかいなところであり、楽しいところでもあるように思う。
そんなフィギュアスケートの中継で
ジャンプやスビン、ステップの出来・不出来や、加点・減点の理由
中継では伝わりにくいスケートそのもののスピードやテクニックの正確さなど
技術についてのわかりやすい解説が入るのは、私のようなフィギュアド素人のファンにとっては誠にありかたいかぎりなのだが
たまに
そのプログラムがいかにドラマチックで感動的であるか、などを
豊富なボキャブラリーを使ってやたらと饒舌に説明したり
「今しゃべらないでー!」と言いたくなるような、曲のもっとも劇的な部分で
ダラダラと(失礼m(__)m!)話し続けている解説者やアナウンサーがいて
いささか(いや、かなり)イライラしてしまう。
映画や舞台を観ている時
隣でぐちゃぐちゃ解説をされたらたまったものではないだろう。
フィギュアスケートは確かに「競技」ではあるか
ド素人のファンにしてみれば、映画の一作品を観ているような気分も多分にある。
ワガママな希望のようだが
技術的・専門的な解説はともかく
感性で「感じて」観る部分については
観る側に任せてもらえないかな~と思う。
そのギャグの何がどうして面白いかを解説されてはギャグとしての意味がないように
フィギュアスケートの芸術性を
のちに評論・感想として語るのならともかく
演じている最中に、平行して「言葉で」伝えられてはたまらない。
テレビでは副音声で解説を消せるが、録画ではそうもいかない。
そして「何度でも観たいほど好きなプログラム」だからこそ録画をしているのであって
つまり好きであればあるほど「永久保存版」になり
「永久保存版」=「録画」=消せない解説付き、ということになり
なんとも残念な気がしてならない。

君は待っててくれるかな。

君は待っててくれるかな。

神様から許された「限定一名様」の待ち合わせリストに
ちゃんと私の名前を書いてくれるかな。

自分で作り上げた小さな迷路の真ん中で
ガラクタをしょったまま迷ってばかりいる憐れな私を
君はずっと
不思議な気持ちで見つめていたのだろうけど

君が待っててくれるなら
その時は
その時だけは
白に昇華された幸福の中を
泣きながら
まっすぐに
君の元に飛翔するから。

神様と町内会の君にとっては
「おつかいの帰り道」のような白い光が
私には眩しすぎて
少しだけ恐いけど

君が待っててくれるなら

君さえ待っててくれるなら

轟音鳴り響くような
永遠の静寂のような
縦に突き抜けたその真白のトンネルに
まごうことなく飛び込むから。

君は待っててくれるかな。

君の「たった一人の人」は

きっと

きっと

私でいてくれるかな。