私は小学生のときに、両親の(?)意向で決められた学区外の学校に通っていた。
いわゆる越境通学というやつだ。
運動会になると、グラウンドに地区ごとのテントが立って
〇〇区、△△区と描かれたテントの下で、親や祖父母が、自分達の子どもや、ちっちゃい頃から見知っている近所の子ども達をはりきって応援していた。
昼休みになると、お隣やお向いのおっちゃんおばちゃんも一緒の、大町内会ランチを繰り広げている大きな区もあったように思う。
そんな中、私の住んでいた越境区のテントは(当然のことながら)立てられることはなく
では、圧倒的少数民族の、越境区の児童達とその家族の居場所はどこだったか、というと
「区外」と描かれたテントだった。
越境区、といってもその地域はひとつだけてはなく、いろんな越境区から、学年も性別も違う児童がひとりふたりと通っていた。
お隣の〇〇さんちの△△ちゃんが産まれたときは、そりゃおじいちゃんが大変な喜びようでねー、などというお互いのエピソードなど知る由もない、言わば寄せ集め・ひとくくりのテントだ。
「われらが区」という意識が希薄(というか持てない)せいか、他のテントに比べてなんとなく盛り上がりに欠けるというか、お行儀がよいというか、とにかくひとつにまとまっている感がある、とは到底言いづらいテントだった。
良くも悪くもお互いとても自由。
この時の「区外意識」が基になったのか、長じてからも、この「良くも悪くも群れずに、自由」の気質は、私の中にそこはかとなく、でもとぎれることなく居座っていて、
隣のテントは、にぎやかだけど大変そうだなぁ、こっちのテントは仲間は少ないけど自由でいいなぁ、という、言葉にするほどのこともない、フンワリした、でも揺らがない感覚がある。
たから即それが行動に反映されるか、というとそういうわけでもなく
何かにつけ、隣のテントをにぎやかだけど「大変そうだなぁ…」とつい感じてしまいがちな自分
「わ〜、しばりがないってめっちゃ楽しい〜」と思ってしまいがちな自分がいる、という程度のことだ。
にもかかわらず、なのか、たからこそなのか
「あなたも参加にしといたからね、絶対来てよ〜」「明日、来るよね?欠席とかなしだからね、皆待ってるんだからね〜」などという、当たり前の「INの人」扱いをされると
なぜか人様以上に嬉しくなってしまう自分もいて(もちろん大前提として、近所のおっちゃんおばちゃん程度にはお付き合いがあって好きな人達に限るが)
なかなかやっかいな性格だな、と自分でも思う。
そんなやっかいな性格とともに、それでもどうにかこうにか生きてきた私を
昔も今も変わらず「区外とか関係ないから」のスタンスで、当然の「IN」扱いをしてくれる友人達の存在を
歳を重ねれば重ねるほどありがたく、嬉しく思う。
へーー、そうだったんだーーー。
私も区外だったよ。
転校してきたとき、S小学校区だったけど、2ヶ月くらいでH小学校区に引っ越して、そのままS小学校に通ってた~。
もしかして同じテントにいたのかな~?
あらまー、そうだったのねー。
あの遠慮がちなテントの中にお互いいたのかしらね