ああなって、こうなって。

《ああなって、こうなって、そうなるにちがいない》と 
起こってもいないうちからあれこれ悪いことを想像して落ち込むのが
私の困ったクセ。
               
実際はどうかというと
《ああなって、こうなって、そうなる》はずが   
全然ちがうところにいっちゃったりするから    
おもしろかったり    
よけい落ち込んだり。
  
つまり         
明日の天気や
自分が作るカレーの完成時の味程度のことはのぞいて
必要以上の筋書きは無意味ということだ。
 
にもかかわらず

最悪のストーリーを作り上げては一人で落ち込んでるのは
いざ本当に落ち込まなくちゃいけなくなった(?)時のために
なるべく落ち込みへの免疫を作っておこうとする
なんともセコイかつ幼稚な計算からではないかと思う。
何かアクシデントに見舞われた時の
正面からドーンと落ち込む勇気(?)のなさ、というか。
 
人間なんだからあれこれ心配だってするし     
他人の痛みや立場を思いやる想像力は絶対に必要なこと。
          

           
最悪のストーリーを回避するための備えや努力に結び付くシミュレーションならともかく
無意味なかさぶたを作り続けるためのシミュレーションは
臆病者のやることかもしれない。

今年こそ        
この心グセをやめようと思う今日この頃。     

それに         

私程度の人生経験で組み立てられる筋書きなんて  
たかが知れてる。    

そんなに思うようには事は進まない。       
たぶん幸いなことに
よくも悪くも。

コメント

  1. 公子 より:

    何につけ一応は絶望的観測をするのが好きです。
    そのくせだれがかつて一等賞をもらった店で買うんです。
    夢もあります、欲もあります、かなうはずなんてないと思います。
    夢にやぶれて、あてにはずれて、泣いてばかりじゃ嫌になります。
    中島みゆきの歌ですが・・・
    私も同じです、いつも自分が傷つかないようにしているような・・傷つく自分を楽しんでいる余裕さえ感じます。恐るべし私・・・

  2. kinsuimi より:

    キャパシティ・・はあやしいものですが、いいこともいやなことも正面からドンと受け止められるタフさや勇気を持てるようになりたい・・と思います

  3. allegrettoの飼い主 より:

    先日聞いたある人の話。
    20年前に肺の腫瘍摘出手術で一命を取り留めたものの、ご本人は未だそれを良性と信じて疑わず喫煙を続けたとのこと。
    悲観的に生きるも楽天的に生きるも人生。
    貴女様はご自身を顧みるキャパシティをお持ちなのでバランスを欠くことは無いでしょう。誰しも迷い悩むものです。
    いずれにしても事実としっかり向き合う勇気は必要ですね。(自戒をこめて・・)

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