男子マラソン5位に始まって
ハードル為末の予選落ち
室伏もメダルを逃し
200の末次もファイナリストに遠く及ばす・・。
今年の世界陸上はかなりきびしいスタートになっている。
私は陸上競技を観戦するのが大好きで
特にトラック競技やマラソンは一旦中継を観始めるとフリーズしてしまう程だ。
したがって世界陸上の年やオリンピックイヤーは
大会がどこで開催されるかが私の健康上非常に重要なポイントになってくる。
《競技中継は絶対にライブ!!》にこだわっている私にとって
時差の著しい国での開催は相当つらいものになる。
時間が全く逆転するシドニーオリンピックの時は
連日の睡眠不足でヘロヘロになってしまい
ついには観たい競技のない日でも眠れなくなり
不眠症で病院に行くことになってしまった。
が、どうやらその年は私のようなアホがたくさんいたらしく
お医者さまも慣れたもので
《あー、オリンピックの観すぎでしょう。大丈夫、オリンピックが終わればいやでも眠れるようになります。実は私も毎日中継を観てて寝てなくてねぇ・・》なんて調子だった。
結
局導眠剤はいただけないし
オリンピックで睡眠不足のお医者さまの診断っていかがなものか・・と(自分のことは棚にあげたおして)そこはかとない疑問を持ちながら帰ったのを覚えている。
そんな調子だから
今年のようなホームでの開催はまことにありがたい・・のはずだったのだが
逆にリアルタイムで観られないことが多く
残念しきりである。
さらに残念なことに
日本勢の不調。
あとは女子マラソンに期待をしているのだが。
それにしても究極まで鍛え上げられた肉体が
より早くより強くの限界を見据えて躍動する姿の美しいこと!
まさに動く芸術品だ。
2007年 8月 の投稿一覧
少女。
前を行く小学校2、3年生くらいの少女が
乗っていた自転車ごと転んだ。
すぐに火がついたように泣きだし
一緒にいたお友達数人が心配そうにのぞきこんでいる。
膝から血を流していたので私もなんとなく気にかかりながら通り過ぎようとしたその時
泣き叫んでいる少女の意外な声が聞こえてきた。
《お母さんに怒られるー、お母さんに怒られるー!!》。
転んで怪我をした痛さよりそっちか・・と
ちょっと拍子抜けしたような
ちょっとせつないような気持ちになった。
母親に《お洋服をよごしちゃいけません》とでもきつく言われてるのかな、
にしては買ったばかりのドレスでもない普通のTシャツにスカートだけど・・、
いつもお転婆が過ぎてて母親が手を焼いてる子で、
今度泥んこになって帰ってきたら承知しない、とか言われてるのかな、
転んだ痛さより母親に叱られる恐怖が先にたって泣く少女の気持ちとはどういうものだろう・・、
わずかの間にいろんなことを想像してしまった。
そしてふと自分の子供の頃を思い出した。
小学校に上がる前のある日の午後
気がつくと子供用の蚊帳の中にいた。
どうやらお昼寝をしていたらしい。
起きて家の中をあちこちさがしたが誰もいない。
ふと窓から外を見ると
空き地のむこうの道で
兄が買ってもらったばかりの自転車に乗る練習をしていて
それをそばで母が見守っていた。
《あそこに行こう》と私は思い
同時に《戸締まりをしなきゃ》と思った。
が、私がごくごく小さいころはまだ今のようなサッシの窓ではなく
鍵もねじ込み式のめんどうなものだった。
したがって大人の背丈程の大きな窓は子供にとっては途方もなく重く
運良く閉まっても今度は鍵をかけるのに時間がかかった。
どうしても閉まってくれない重い窓と格闘するうち
私はわんわん泣きだしてしまった。
そこに母と兄が帰ってきたのだが
《戸が閉まらない、戸が閉まらないー!》と泣き叫んでいる私を見て
二人はどう思ったのだろう。
その後のことはよく覚えていない。
うまく言えないが
あの時私は自分に腹が立っていたのだ。
窓がうまく閉められない自分に。
そしてなにより
戸締まりなんかを気にして
すぐに母と兄の元に飛び出して行けない自分に。
さらにそんな自分の気持ちを母と兄にちゃんと説明できない自分に(なんとまぁ可愛くない子供でしょうね・・)。
そんな小さな子供にそんな微妙でややこしい(?)感情があるものか、と思われるかもしれないが
確かに私はあの時自分がはがゆくて仕方なかったのだ。
もちろん今だからこそそのはがゆさの理由や内訳を言葉にして説明できるのだが
当時は重い窓に手を掛けて悪戦苦闘しながら
ただただ心の中で
《(こんなのほっといて母と兄のところに)行けばいいのに、行けばいいのに!!》と
そればかりを繰り返していただけだったのだが。
その自分へのはがゆさに
目覚めた時の心細さや
少しずつせまってくる夕暮れの心もとなさがないまぜになって
泣きだした私の口から出たのが
《戸が閉まらない、戸が閉まらないー!》だったように思う。
自転車で転んで膝を怪我したあの少女は何を思って泣いていたのか
お友達にかこまれて泣きじゃくる少女の声を聞きながら
くだらないことを考えてしまった。
ドライアイス。
先日創作自由市場(於・北沢タウンホール 11月6日夜7時より)の打ち合せで若柳公子さんの稽古場にうかがったのですが
差し入れに持参したアイスクリームの箱に入っていたドライアイスを見て
なぜか大興奮の公子さん。
ドライアイスに水をそそいだ時に流れだす煙(?)が大好きなんだとか。
この日もアイスクリームそっちのけで
さっそくボウルに入れたドライアイスに水をそそぎ
煙の中でご満悦の様子でした。
舞台ではあんなにかっこいい踊りで魅せてくれる公子さんの
意外に()可愛い一面です。
新国立劇場。
お弟子さんのSさんが主演をつとめる新国立劇場でのオペラを拝見してきた。
役柄にぴったりの
Sさんの濁りのない美しさ!
鬼のカクラン(!?)。
熱は下がったものの風邪がなかなか抜けない。
咳のしすぎで胸は痛いし
鼻のかみすぎで頭はぼーっとしてくる。
いつもの高熱との長期戦もつらいがこの状態もそこそこしんどい・・。
人様に移してご迷惑をかけたりしないうちになんとか完治させたいのだが。
上下で同じポーズ。
夏風邪。
久々に風邪をひいた。
私はいったん風邪をひくとおおごとになるパターンが多い。
だからひかないようにひかないようにかなり神経質に気をつかうのだが
ここ何日かの猛暑と忙しさについに負けてしまった・・。
で、やっぱり出た、寒いくらいの高熱。
夜になって少し落ち着き
理解できる範囲の熱に下がりはじめた。
まいったなぁー。
暑い!!
朝方稽古場に行く時には
3歩歩くだけで汗が吹き出してくるような暑さでも
夜帰り道では
ずいぶんしのぎやすくなってたりするのだが・・。
今日の暑さはどうしたことか。
夜もかなり遅い時間だというのに
足を1歩踏み出すごとに
堪え難いほど不愉快な汗がじっとりと体中に滲んでくる。
口に出したからと言って涼しくなるものでもないが
とにかく暑い!!!
暑すぎる!!!
うれしいこと。
心が呼応しあってるなぁ、
心が仲良くよりそいあってるなぁ、
と思える時ほどうれしいことはない。
その相手が
人間でも
動物でも
踊りでも。
浴衣会プログラム。
間近にせまってきた浴衣会のプログラムができあがりました。
人前で踊る、ということのいい意味での緊張感が
出演するお弟子さん達をみるみる上達させているようです。
〈その帯はどういう結び方をしているんですか?〉
着物で街をウロウロしているとよく声をかけられる。
残念なことに(?)女性か外人ばかりだが。
そのほとんどは私の親のような年代の御婦人方で
たいていは
〈着物はやっぱりいいわねー。〉というもの。
着物を着ることが著しく非日常じゃない世代の人達にとって
私のような(彼女達から見ればまだ若い)年頃の女性が着物を着ている、
しかもここ一番の晴れ着としてではなく日常着として着ている、ということが
なんとなく声をかけたくなる理由らしい。
ところで最近はそういう御婦人方ばかりでなく
私よりはるかに若い世代の女性達に話し掛けられることがしばしばある。
とくに夏、浴衣に半巾帯の時。
彼女達の声のかけ方はストレート且つ具体的で
〈すみません、その帯はどういう結び方をしてるんですか?〉
〈そういう浴衣はどこで売ってるんですか?〉
〈その着物はなんていうんですか〉などなど。
最近ファッション紙などでも浴衣が特集されたりして
日頃着物とは無縁の若い女性達も
洋服に近い感覚で浴衣を楽しむようになってきたことの影響だと思うが
着物が仕事着の舞踊家としては
こういうふうに話し掛けられることはとてもうれ
しい。
着物を着ることが
《苦しきことのみ多かりき》の修行のようになってしまってはつまらないし
楽しさがなければ着る意味がないと思う。
美しく着る、
美しく立ち居振る舞う、のはその次の段階の話だ。
多少乱暴な着方をしてようが
個性的なコーディネイトをしてようが
まちがいなく若い彼女達は着物を楽しんでいる。
それがどのような楽しみ方であっても
少なくともスタートラインに楽しさがなければ
次の段階への興味も産まれない。
声をかけてきてくれた若い女性達の中で
一人でも二人でも
着物を着た時の美しい所作、
つまり日本舞踊に興味を持ってくれたらいいなぁ・・、と思う。
公子さんとハチ。
先日若柳公子さんがわが家に打ち合せに(遊びに?)来た時のツーショット。
実はこの二人(一人と一匹)のツーショット写真は
とってもレア。
ハチは〈ウエルカム・キャット〉の異名を持つくらい
ゲスト(と言うか人間)が大好き。
初対面のゲストでもまったく警戒することなく
あの手この手でいじらしいオモテナシをする変なネコだ。
にもかかわらず
たぶん一番頻繁に出入りしているであろう公子さんには
なぜかオモテナシではなく
タタカイ(戦い)を挑む。
とにかく公子さんの顔を見ると
何が気に入らないのか
やたら挑戦的になるのだ。
では仲が悪いのか、と言うと決してそうではなく
第1ラウンドが終わったあと
エサを食べてひとしきり鋭気をやしなうと
〈よし!もう一丁!〉という面持ちで
再び公子さんに近付き
ポカポカとネコパンチを始めるのだ。
まさにファイティング・フレンドの公子さんとハチ。
そんな関係の二人だが
先日はめずらしくハチが公子さんの手にチュッ(ガブッ)
やっぱり大好きなのかな?
ハチの重さ。
知人宅のネコは
よほど悲惨な野良時代を経験したのか
かなりのヤッチャン顔で
体も大きく筋骨リュウリュウ、ということもあって
いつ会っても《臨戦態勢》の風貌である。
それはそれで可愛いのだが
私のような無類のイヌネコ好きでなくても
誰もがこのヤッチャンネコにはまってしまう理由が一つある。
いかにも物騒な顔をしているくせに
ひとたぴ人間に抱き上げられると
一気に全身の力を抜き
全体重をあずけて
気持ち良さそうにピッタリと寄り添ってくるのだ。
これはかなりヤミツキになる。
さて我が家のハチもこのタイプで
いったん甘えモードに入ると
人間がどんな状態であっても(たとえば掃除をしてようが、トイレに入ってようが、寝てようが、電話してようが、ひどい時にはこれから出掛けるという時だろうが)
おかまいなしで膝やお腹にのってきて
突然失神したのではないかと心配になるくらい
全体重をあずけて
まるで倒れこむように
バタリとその上に横になる。
そのハチの重さがそのまま
人間への信頼の重さのような気がして
いとおしさに胸いっぱいになって
自由気ままなハチのわがままごと抱き締めてしまう
飼い主バカっぷり。