桜の木。

私が大学に入学した年だったか          
実家が引っ越した。   
私が生まれてから高校を卒業するまで過ごした家は建て替えられ
今はどなたか他の家族の方達が住んでおられる。

何年か前        
なつかしくなって    
その元の実家があった場所を訪ねてみた。     
まわりの環境はすっかり変わってしまっていて
建て替えられた元実家の庭では          
姉妹らしい女の子が二人遊んでいた。

感傷に浸るつもりもなかったし          
私の中の18年間の思い出が建物がなくなったからと言って色褪せるものでもないが           
やはり寂しさや喪失感みたいなものが突き上げてきた。
当たり前の話だが引っ越し先の新しく建てた実家のほうが
ピカピカで快適で暮らしやすいのだけど
私にとって《実家》と言えば           
やはり高校を卒業するまで過ごしたあの家のことなのだ。
夢に出てくる《実家》も 
不思議とあの家のみだ。

幼稚園のたすき掛けのカバンが
ランドセルになり
学生カバンになるまでの   
思い出がいっぱいつまった家がなくなっているのは 
やはり残念だった。   

とはいえ           
私達は自らの意志で  
その場所を離れたのだが         

先日
友人が子供の頃からそれはそれは大切にしてきた桜の木が
第三者の手によって   
突然伐採されてしまうという事があった。     

彼女と深い縁で結ばれていた彼女のお婆さま、叔母様とともに
育て
愛しんできた桜。
お二人が亡くなった今は
その桜の木とともに
お二人を偲び
語り掛け
春ごとに咲く花の下で  
新たな縁で結ばれた人達にお二人を語り継ぎ    
失礼だが少々のんびりやさんの彼女が
その木の世話だけは 
文字通り雨の日も風の日もかかさずにいた。

その桜の木が      
ある日突然       
何の前触れもなく
何の理由もなく     
まるで飲み干したコーラの缶を捨てるような軽い意識で
刈り取られ
目の前から消えてなくなった。

彼女の嘆きと寂しさは  
いかばかりか。

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