久々に風邪をひいた。
お天気に恵まれたゴールデン・ウィークだというのに
かろうじて寝込まない程度の体調で
グズグズと予定をこなしている、という感じだ。
ところで
今の図々しい体格の私からは想像しづらいと思うが
子供の頃の私はとにかく病弱だった。
そのうえよく怪我もした。
三輪車ごと溝につっこみ
額をバックリと割って縫ったり
給食当番で重い食器を運んでいて
その食器ごと転んで
唇の下をザックリと切ってまたまた縫ったりと
女の子にあるまじき頻度で
(たいした造りでもないが、一応は女性として)大事な顔の切った張ったをやっていた。
ある日学校からの帰り道にまたまた転んで
すりむいて血が滲む膝の痛みを我慢しつつ家に帰った。
家には兄だけが在宅していて
二階にいたその兄にむかって階段下から
《さっきね、そこで転んでね・・》と説明しはじめたとたん
火がついたようにわんわん泣きだしてしまった。
あわてて階段を降りてきた兄が
どうやら転んで膝に怪我をしたらしいことを察して薬箱を持ってきた。
当時ヨーチンという赤チンよりもよく効く塗り薬があって
それを傷口に塗ってくれたのだが
これがとにかくめちゃくちゃしみる。
ますます大泣きする私をなだめるために
子供の頃から絵が上手でのちにその絵が職業になった兄が
ヨーチンをつける細い刷毛で
私の傷口の下、むこうずねあたりに漫画らしきものを描きはじめた。
それがおかしくて可愛くて
いつの間にか私はクスクス笑いはじめてしまった。
あれは兄流の《痛いの、痛いの、とんでけー》だったんだな、と思うが
そう考えると《痛いの、痛いの、とんでけー》という呪文は効かなくもない、ということだ。
呪文に効力、魔力があるとは言わないが
その呪文を自分に唱えてくれる人の暖かさに癒されるのだろうと思う。
この人は私を守ってくれる、という絶対の安心感が
多少の怪我の痛みなら本当に消し去ってくれるのかもしれない。
ところで風邪。
今や呪文を唱えてもらえるような年齢をはるかに越えてしまっているので
さっさと自分で治さなきゃね・・。