《あ~、困っちゃったな~》。

電車に乗って

近くに赤ん坊が乗り会わせた時

私はよく
彼らと秘密の交信(?)をする。

などというとすごそうだが

要するに赤ちゃんと目かあったら

目だけで(まぁ結局顔なのだが)いろいろと表情を作ったりして

それに反応する彼らと声なしのコミュニケーションをするわけだが

たいていそのうち

赤ちゃんのほうが

ウニャハハ~と天使のような笑顔で笑い始めたり

《それわかんない》とか

《それはイマイチだな》とか

《それなら僕もできる~》とか

信号を送ってくれるようになる(ように私には見える)。

もうそうなったら

電車に乗っている5分なり10分なりが楽しくてしょうがなくなって

他の乗客の方々にご迷惑がかからないよう配慮しながら

こっそり彼らとのアイ・コンタクトを楽しむわけだが

たまに

たまたま隣に居合わせた、赤ん坊にとってのお婆様くらいの年代のご婦人などが
《可愛いいわねぇ~》と話しかけてくることがある。

それだけならいいのだが

すっかり【おばあちゃま】の立場で

《あら、もう歯が生えてるのね、●●ヶ月位かしらね?この年代の子は〇〇〇で、△△△に気を付けないとね、うちの孫もね・・》と

ガチガチの保護者トークが始まると

《あ~、困っちゃったな~、どうしよう~》と思ってしまう。

私はただ電車に乗ったほんの数分の間

赤ちゃんとの単純な交信を楽しみたいだけなのだが(幸い脳みその程度もさして赤ちゃんと変わらないし)

そこで母親トーク、お婆様トークをされても

ちょっと違うんだよなぁ~と思ってしまうのだ。

いくら可愛いくても

言ってしまえば通りすがりの赤ん坊のことだ。

通りすがりの赤ん坊から話を広げて

一般的な母親の立場のトークができるほど

私は自分が母親なんたるか、子育てなんたるか、が理解できているとは思えない。
と言うより
子育ての経験のない私ごときが理解できるほど

母親業はたやすいものではないだろうし

また同時に彼女達の味わう幸福感に関しても

私レベルが想像できる範囲など

たかがしれているだろう、と思っている。

わからない、知らない世界の話に関しては

まずは敬意を持ってひたすら聞かせていただき

何か意見を求められたとしても

あくまでも自分はその世界には素人である、という立場をユメユメ忘れずに

自分の感じたことを素直に、だが控え目に申し述べさせていただくのが礼儀だ、という考え方がガッツリ出来上がっている私は

【母親業】というまさに【私の知らない世界】の代表格クラス(?)の話になると

ほぼ条件反射的に【聞かせていただく】の姿勢になってしまう。

ただ電車で隣合わせただけのご婦人の話であっても、だ。

《あ~そうなんですか》《は~なるほど~》と超まじめに聞いてしまう(それどころか本当に《なるほどそうなんだ~》といたく感動、感心してしまう)。

これが縁ある赤ちゃん(例えば友人とか弟子の子供達)の話なら全くスタンスは別で

彼女達の母親としての話なら

敬意の他に
(彼女達にとってはたぶん少々迷惑なくらいの)最上級の関心を持って聞きたくなるので

いくら聞かせてもらっても聞き足りないくらいなのだが

《おっ!今日はこの赤ちゃんゲット(?)!ちょっと交信して楽しも~っと。》くらいの
癒しタイムのテンション(つまり元々たいした緊張感もない私がさらにポワ~ンとリリースしきっている)のところで

一転ただ隣合わせただけの赤の他人の話をつい超真面目に聞いてしまう、というのは

やっぱりかなり疲れることなのだ。

だったら話を聞かなきゃいい、というのが最良の答えなのはわかっているのだが
そこはそれ、パブロフの犬の哀しさ、袖すりあう程の縁も面識も関心もない赤ん坊のおばあちゃまの話であっても
差し出されれば反応してしまう。

全く学習能力なし、の自分に頭を抱える始末。

だから、思う。

《あ~、困っちゃったな~、どうしよう~》。

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