ルーツ。

はなはだお粗末で稚拙ではあるが
人の生死にかかわる観念というか宗教観というか
それらしきものを一応私なりに持っている。

人様に話すことでもないが
少なくとも人の死というのは
一言で言えば
とても厳しいものであると私は受け止めている。

自分の拙い宗教観らしきものを
誰かに理解してもらいたいと願ったことはなく
ということはつまり逆に言えば
人様の生死への観念も
その人その人独自のものであって
私の観念と違っていようが似通っていようが
全く預り知らない(というか預り知ってはいけない)領域のものだと思っている。

子供ならいざ知らず
うすっべらながらも時間だけはそこそこダラダラと人生を生きてきた私が感じる肉親の死、というものに関して
(私からすれば)当たり前でお手軽なその人なりの考え方を
あたたかい慰めの気持ちのレベルを越えて
(誤解を恐れず言わせてもらえば)教え諭そうとする押し付けがましさには
感謝の気持ちを通り越して若干閉口してしまう。

私は私のルーツを持って生まれてきた人間の死に限って言えば
人から『こう考えるべき』、と言われて『考える』ものではなく
私自身が『感じる』ものだと思っている。

私と亡くなった人間との関わりにおける私なりの生死観は
純粋に私(とその亡くなった人間)だけのものとして
大切にしていたいと思う。

それが自分にとって心地いいものであれ、痛みであれ、また(人から見れば)残酷なものであれ、だ。

もしかしてとても傲慢なことなのかもしれないが
それでも
私はそうありたいと思っている。

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