震災後『忘れないでください。あなたの手で伝えられることがきっとあります。』というコピーとともに流れているAC広告がある。
いたく共感する。
随分前にこのブログでも書いたが
私は大好きな人(同性のお友達は恥ずかしくて無理だが)、心から愛おしいと思う人・子供・動物と手をつなぐのが好きだ。
何かの回線のように
繋がれた手を伝わって
どれほど愛してるか
どれほど感謝してるか
どれほど守ってあげたいと思っているか
そんなものの行き来が自由になるのが
嬉しくて仕方ないからだ。
手は大胆で圧倒的な感情から
微妙でごくごく繊細な気持ちまでも伝えることができる
不思議なツールだと思う。
もう20年近く前
地方の仕事先で母の危篤を知った。
その仕事で私は何かと怖いことで有名(?)なある先輩とタッグを組まされていて
なんとか仕事はうまくやっているものの
その先輩の噂どおりの強引さにすっかり臆してしまって
一旦舞台を降りてしまうと
決して円滑なコミュニケーションがとれている、とは言えない状態だった。
が、母の知らせを聞き茫然自失の私の様子を見た時
その先輩は何も言わず
ただただ私の背中を優しくさすってくれた。
そうしてしばらくして
少し私が落ち着いた頃
さする手はそのままに
『大丈夫、大丈夫だから。絶対お母さん待っててくれるから。』と言ってくれた。
その言葉どおり
私が駆け付けた後母は一旦持ち直したのだが
あの時の先輩の手の暖かさは今でも忘れられない。
『ゾッとする』という表現は何となく背中に感じるうすら寒さのように思うが
物理的・具体的な冷たさ以外のものを感じ取ることができる背中に対して
暖かい何かを発信できるのが手なのかもしれない、と思う。
毎度お馴染み飼い主バカの話で申し訳ないが
私はハチの頭を暇さえあれば撫でてしまう。
単純に撫でられているハチの様子が可愛い、ということもあるが
なんだが撫でれば撫でるほど
ハチの心の(命の?)温度が上がるようなイメージもあるからだ。
よく『私、手フェチなんです』という人がいるが
実は私もそう。
異性のまずどこに目がいきますか?と聞かれると
迷わず『手』と答える。
理由は『なんとなく色気を感じるから』という、ありがちな答えだが
ふと
手から伝わってくるもの・手から想像できる『その人』は
もしかして私が考えているよりもはるかにたくさんあり、深いものなのかもしれない、と思う。