今は死語となってしまったが
ドあつかましくて無神経な中年女性を指した、昔なつかしい流行語『オバタリアン』というのを覚えているだろうか?
劇場や会議の場で
この『オバタリアン』という言葉をふと思い出してしまう場面に遭遇することがある。
舞台で上演中にもかかわらず
客席でヒソヒソ声どころか普通のトーンの声で話し、あろうことか笑い声までたてるおばちゃん(あえて)達。
会議中にもかかわらず
議題を話し合っている声を阻むほどの大きく無神経な声で、私語をしゃべりまくるおばちゃん(あえて)達。
私がもっとも呆れてしまうことのひとつだ。
私は今までこういうおばちゃん達の言動を
あつかましさゆえ・他人の観劇や話し合いの邪魔になっていることに対して厚顔でいられる神経ゆえ、だと思っていた。
が、最近どうやら少し違うような気もしてきた。
あの類のおばちゃん(あえて)達は
そもそも自分達の言動が他人様のご迷惑になっている、などとは夢にも思ってないのではないか。
自分の声が客席や会議室に響いて『うるさい』と思われている、ということを想像だにできないのではないだろうか。
解っていて平気でやるおばちゃん達に比べれば罪がない、と言えなくもない。
が、解っていてそれでもやる、確信犯的なドあつかましさと
事実の認識すらできない、自らの言動への客観性のなさと
どちらがより無神経で
より『オバタリアン』と呼ぶに相応しいか。
私はどっちもどっちで、少なくとも中年と呼ばれる年齢の女性であるなら、解っていないからと言って許されるものでもない気がするのだ。
先日の新春舞踊大会の折
ある演目が上演されている間中、客席で『ほらコーヒー水筒に入れてきたから飲みなさいよ、まだあったかいからさぁ』『やーだ、あんた遠足じゃないんだから、国立劇場なのよー、ガハハハ』とかなんとか話し続けている二人連れのおばちゃん(あえて)達がいて
驚いた回りのお客様から白い目で見られていた。
が、本人達はいっこうにその冷たい視線に気がつかず
実に楽しそうに会話をはずませていた。
席が前のほうだったために、劇場の係の方もわからなかったらしく
結局その傍若無人の会話は20分の踊りが終了するまでとぎれることなく続いた。
もちろん私は幕間に席を移ったが
あまりの無神経ぶりに
冗談ではなく文字通り鳥肌が立ってしまった。
一言で言えばTPOの問題なのだろうが
私には理解不能の言動だった。
とは言え、自らを振り返ればきっと私も似たり寄ったり、まさに他人の振り見て・・、の話で
全くもって他人様のことをああだこうだ言えるほどの人格者ではない、というのを重々解ったうえで
それでもあえて言いたい!!
解ってやっているわけではないのだとしたら
自分の声の大きさがわからないくらい耳が遠いのか
はたまた回りの人間の白い目に気がつかないくらい鈍感なのか
どっちにしてもそんなに大声で話したいなら、とにかく一旦客席(や会議室)から出てください!!
先日なんて、大好きな演目を大好きな舞踊家さんが踊っている舞台で、本当に本当にすっごく残念だったんだからねっっっ!!
・・なんて、本人達に言えず、ブログでストレスをぶちまける私もどうかと思いますけどね・・。