スカイツリーのオープンが間近。
東京タワーよりはるかに高い電波塔の誕生で、下町が活気づいている。
ところで
小学校低学年の頃だっただろうか、小倉の親戚の家に泊まりがけで遊びに行った。
お茶の先生をしている大好きな叔母の家で
叔母には、私にとっては従姉にあたる娘が二人いて
私より十ほど年上のその従姉達二人も
『綺麗なお姉さん』という形容がぴったりの、優しい雰囲気のある素敵な人達だった。
ちょうど私がおじゃました日の翌日から
上の従姉が東京に友人と遊びに行くことになっていて
叔母と従姉は私の歓迎会(?)のための夕食を準備しながら
たぶん従姉にとっては初めてのことであろう、父兄同伴なしでの花のお江戸ツアーについて
何やら楽しげに会話をはずませていた。
その中で
従姉が叔母に「おかあさん、お土産は何がいい?おかあさんの欲しいもの絶対に見つけてくるから何でも言って!」と聞いた。
叔母はしばらく「そうだねぇ…」と考えると
「じゃ東京タワー買ってきて。」と答えた。
そして「え???」という、まさに鳩が豆鉄砲の顔をした従姉にいたずらっぽいまなざしをむけると
「つまり何にもいらないってことよ。あなたが無事に戻ってきてくれることが一番のお土産。」と言った。
従姉は「わかった。」とうなずき
二人で顔を見合わすと、にっこりと微笑みあった。
この光景は私にとっては驚愕だった。
親子の間において
冗談まじりのコジャレた(?)会話など
わが家ではあり得ないことだったからだ。
キッチンで微笑みあう叔母と従姉の姿は
馴染みのない不思議なもの、であり
同時に限りなく羨ましいもの、でもあった。
いずれにしても、数十年たった今でも鮮明にに覚えているくらいの(私の中での)レアもの感覚だった。
私はその後東京の大学に進学し
以来今日まで東京に生活の拠点を置いている。
当然東京タワーにも何度か遊びに行ったし
東京タワーのある東京を地元に近い感覚でとらえるくらい、東京に暮らして長い年月が過ぎた。
もはや東京タワーも日本一ではなくなり
『東京タワーをお土産に』という冗談も、いささか間の抜けた感じに聞こえなくもない。
それだけ私も年を重ね
駆け足で人生を終えた母の年令に近付きつつある。
ふと
今もしまだ母が存命だったら
私は母とどんな会話をするのだろう、どんな会話ができるのだろう、などと思ったりする。