入院していた友人の全快祝いの帰り道
以前私自身が病気をし
入院・自宅療養含めて3ヶ月もの間休業した時の、主治医の先生の話を思い出した。
当時早く復帰しなければ…とあせる気持ちと
もう私なんかダメだと思う気持ちと
いろんな感情がない交ぜになって
身体的な苦痛のみならず、精神的にかなりまいっていた私に
主治医(日大板橋の徳橋先生(^-^)/!)の先生がこんな話をしてくださった。
「プロ野球でもなんでも、一流と言われる選手は怪我や故障をした時はすぐに休む。二流の選手にかぎって『大丈夫です、出ます、出ます』と言い張って無理をして、取り返しのつかない事態になる。あんたは、一流の舞踊家なんだろ?」
私は「一流になりたいという志しだけは持って、頑張っているところですが…」と答えた。
先生は「だったら休むべき時に、ちゃんと身体を休ませてあげられるようにならなきゃダメだ。あんたたちの仕事は身体が資本なんだから。」
ふっと肩の力が抜けて
いつの間にかポロポロと涙が頬を伝っていた。
また、気があせるわりには恐怖心に勝てず、いつまでも車椅子や杖を離せなかった私に、先生は同時にこうもおっしゃった。
「まぁ、僕があんたならこれぐらいで引退なんか考えないな。とりあえず明日あたり一回踊ってみたら?」。
まだ杖なしでは歩くことさえままならなかった時のこの言葉は衝撃だった。
その時点で踊ることなどまだとうてい無理も無理、ということは、もちろん先生は充分わかっていらしたし
前述の言葉とは一瞬矛盾しているようにも聞こえる。
が、その話をうかがった時こそ
それまでどうしてもどうしても(また病気が再発して、あの耐え難い激痛に見舞われるのではないか、という)恐怖心に打ち克つことができなかった弱虫の私が
始めて前向きになれた瞬間だった。
「まだ歩けもしないのに踊ってみろって???」頭の中で何度も先生の言葉をリピートしながら帰宅したその日の夕方
自宅の廊下でソロリソロリと杖を離し
壁を伝って歩いた時の
窓から射し込むオレンジ色の夕陽を
今でも鮮明に覚えている。
発病してから全く使ってなかった左足は筋肉が痩せてしまい
それから復帰までにはまだ1ヶ月半もの時間を費やすことになるのだが
不思議とどうにもならない焦燥感からは解放されていた。
結局その後私は
リハビリや筋トレの甲斐あってか
事情を知らない人には病気だったことを全く信じてもらえないくらい、以前よりも強固な身体になって復帰した。
また、以前も書いたが
復帰して初めての舞台では
尊敬してやまないある舞踊家の先生に
「一度病気をすると、舞台家は用心することを覚える。私達の仕事は身体が資本なんだから、そういう意味では大きな怪我や病気も悪いことばかりではないんだよ。」というお話をしていただいた。
痛いくらい胸にしみ入ってくる温かい言葉だった。
病気になったことで降板してしまった舞台もあったし、稽古場も休まざるをえなかった。
当然人様に迷惑をかけたし
踊れない悔しさも嫌というほど味わった。
私にとって病気は『悪いこと』以外の何物でもなかった。
が、先生のその言葉で
最悪の3ヶ月だったからこそそれを前向きに捉えよう、というふうに考えが変わっていった。
以来私の中では『治療より予防』『身体のコンディショニングも仕事のうち』という意識が強く根付くようになった。
私ごときの毎日でも
生きていればいろんなことがある。
楽しくてハッピーなことばかりとは限らないし
時には自分で持て余してしまうくらい大変なことにも出くわす。
が、起きてしまった出来事そのものには(特殊な場合を除いて)それ自体の性格はないと思うし
多面体としてのその出来事を、どの面からどのように捉えて受け入れていくかで人の生き方は変わっていく。
わかってはいても、一旦心が負のスパイラルにはまってしまうと
なかなかその心グセから抜けられなくなることもある。
前向きであろう、建設的であろう、としても
思ったように心のコントロールができなくなる。
そんな時
丸まって固くなった背中を解きほぐし、前にグッと押し出してくれる言葉や行動は
何にも代えがたい宝物のようなものだとしみじみ思う。
そういえば昨年亡くなった友人(と言ってもひとまわりも年上だが)が
生前よく言ってくれた言葉を思い出す。
「何でも楽しんでやるのさぁ。苦手なこと・嫌なことほど楽しみながらやるんだよ。風邪ひいたら、あぁ、治す楽しみができたなぁ、くらいに思うのさぁ。」そう言って笑っていたKさんは
昨年の秋、闘病の末亡くなった。
彼の葬儀は
生前のKさんの人柄が忍ばれるような
温かいものだった。