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隣の芝生。

隣の芝生は青く見える、と言うが
〈うちより青くていいなぁ~〉と羨んだり羨まれたりしているうちがハナだと思う。
芝生をより青く育てるための
その家その家それぞれの努力や苦労などは
外からは窺い知ることができないものだし
また多少なりとも知ることができたところで
理解できるものでもないだろう。
理解できない部分を都合のいい憶測と偏見で埋め
トンチンカンなジャッジメントを押しつけられるのは不愉快極まりない。
隣の芝生の青さの理由を探ろうとも思わないし
我が家の貧しい芝生がいささかなりとも青く見える瞬間があったにしても
その青さのために払う犠牲や努力を理解してほしいとも思わない。
言いたいのは
理解できないことを理解できないまま置いておく程度の礼儀と謙虚さを
持っていたいということだ。
人の生き方はそれぞれ。
自分とは違う生き方を
自分の生き方から得た価値観のみでジャッジしたあげく
そのジャッジメントを携えてドカドカと隣人の芝生に立ち入ってくるあの厚顔さはどこからくるのか。
だからどれほど近くても永遠に〈隣人〉で〈友人〉にはなれないのかもしれない。

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〈バッチギ〉。

4c755aef.jpg若柳公子さんと〈バッチギ〉特別試写会に行ってきました。
出演者や監督の舞台挨拶あり
オーケストラによる主題歌の生演奏あり、の
贅沢なプログラム。
楽しませていただきました。

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〈バッチギ〉・2。

d5c359bf.jpg試写会の帰り道
今世界一(?)おいしいと評判のドーナツ屋さん〈クリスピークリーム〉に寄ってきました。
一時間並ぶのが普通、とのことでしたが
比較的スムーズにゲット。
列に並んで待っている間
ドーナツの無料配布のサービスがあったのですが
これが出来たてでおいしい!!!

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薪能。

5c097575.jpgよみうりランドの薪能に行ってきました
 羽衣、土蜘蛛など日本舞踊でも馴染みの演目が並んでいて楽しく拝見しました。
でもとにかく寒かったぁー
 若柳公子さんと。

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薪能・2。

707d6f1e.jpgよみうりランドのマスコットなのか園内のあちこちにいた犬(?)の人形。
 表情がちょっとハチ似

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置土産。

今は亡くなられたが生前大変お世話になった先生がいる。
当時今よりもっとふがいなかった私は
よくその先生にお叱りを受けた。
今でも、と言うか時がたてばたつほど
その先生の言葉を折々に思い出す。
《あなた自身が舞台の上で信じない世界をお客様は誰も信じないし、あなたが舞台の上で見ていない世界をお客様は誰も見ることができないのよ。》
《そんな弱い気持ちで踊っていたのではあなたの踊りが泣いてますよ。私にはそれが見えます。》
などなど数え上げたらきりがない。
当時も《ああ、全くそのとおりだな。》と思い
自分のいたらなさがくやしくて恥ずかしくて
人知れず泣いたことも一度や二度ではなかったが
時間の経過とともに
先生の言葉がより深く
またその時々でいろんな意味合いに姿を変えて
腑に落ちてくる。

先生にいただいた大切な置土産。

あの頃より私は少しは成長しているだろうか。

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愛しいと・・。

3c2d930e.jpg清元の《流星》にも出てくる
【我がものと 思えば軽し 傘の雪】。
ハチは足が長くて顔が小さい今風のスマート猫だが
なんと体重が5キロもある。
5キロの荷物を持つとなれば〈重ーい!〉とボヤキのひとつも出そうだが
同じ5キロでもハチを抱き上げるのはちっとも重いと感じない
【愛しいと 思えば軽し はっとりくん】。
おそまつ・・

休みらしい休みがないまま終わったゴールデンウィークも今日まで。

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丸ノ内。

今やオフィス街としてだけではなく
有名ブランド店が軒を並べ
ビジネスマン以外の人々でも賑わうプレイタウンとしても存在感が増した丸ノ内界隈を歩いてみた。
で、ちょっといい話。
歩道の石畳の継ぎ目、よくよく見るとコンクリートではなく、土。
土があることでヒートアイランド現象軽減につながるのだという。
また工事中のビルを囲うフェンスにはところどころ緑の植物がはめ込んである。
環境にやさしい工事をアピールするねらいもあるのだろうし
緑があることで工事中のエリアまでもが癒しのスポットになりえるのだろう。
つい先頃新丸ビルもオープンし
丸ノ内はあらゆるジャンルの最先端の情報が集まるおしゃれな街となりつつあるが
こんな石畳やフェンスの造り方にこそ
最もソフィスティケイトされた顔をのぞかせているような気がする。

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ブルーバード。

正負の法則というのがあるらしい。
何かを得れば何かを失う。
何かで満たされている分何かで満たされない思いをかかえる。
人の一生はそういう意味では等しく平等にできている、というもの。
ならば
正と負の質やバランスはいったい誰がどのように定めるのだろうか。
正のお値段(?)、負のお値段(?)、足してみると正しくプラマイゼロになるのだろうか。
赤字だったり黒字だったりしないのだろうか。
たとえばこの幸福感の代償としてのこの喪失感、いつもいつもうまく折り合っていけるものなのか。
あまりにくだらないこの疑問の答えは
わかっている気もするけれど。

今の自分にとっての正と負とはいったい何なのだろう。

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意識改革。

意識改革が必要だな、と思う時がある。
呪縛や不安からのがれられない、のではなく
自らの意識で自分を縛っている、と思う。
せき止めているダムの扉を開けて水を解放してやる。
窓を開けて風の通り道を作ってやる。
同じ場所をグルグルと廻るだけで
すっかりよどんでしまった思いは
濁り続けるだけだ。
そしてその濁った思いにまた窒息しそうになる。
行き場がわからず
立往生し
すくんでしまった足を
一歩だけ前に出す勇気
踏み台の一つになるのが意識改革だと思う。
最初の一歩が出れば
そしてその一歩がまちがっていなければ
高いところから低いところに水が流れるように
ごく自然に心が解放されていくはず。

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傍若無人。

ネコは時々体内にたまった毛玉を出すためもあって
吐く習慣がある。
吐いたあとはケロリンとしたもので心配はなく
吐いている途中は手を出さず
本人(本猫)が気が済むまで吐くのを見守り
終わったら後始末をしてやる。

さて今朝はハチの吐く声で目が覚めた(なんか吐く、吐くの連呼ですみません・・)。
いつものように見守っていると
まずひとしきり床に吐き
終わったのかなと思ったら今度はなんと
以前このブログにも書いた例の帆布の椅子にわざわざ飛び乗り
ご丁寧にその座面で吐いてくれた・・。

なぜだ・・。

吐いている途中にジャンプして椅子に飛び乗るのはしんどいのではないのか・・。
なぜそんなしんどいことをしてまでわざわざ椅子に吐くのか・・。
どうやらハチは爪磨ぎだけではあきたらず
何がなんでも椅子をボコボコにしたいらしい。
なぜそんなにこの椅子が気に入らないのか。
いや、逆か。
よほど気に入っているのか。
まったくヤツのすることは理解不能だ・・。

などと言いつつ

ハチのやりたい放題の傍若無人っぷりにちっとも腹がたたず
それどころか
そんなハチにデレデレと目尻をさげ
まくっている私の飼い主バカっぶりも
他人から見ればさぞ理解不能なのだろうな、と思う今日この頃。

ところで傍ら(かたわら)に人無きが若し(ごとし)、と書いて
傍若無人(ぼうじゃくぶじん)と読む。
ということは
ハチの場合はちょっとあてはまらないかもしれない。
ヤツのいたずらは傍らに人がいる時により積極的になる。
ひどい時には
自分に関心を向けさせたあげく
〈ホラホラ、こーんなすごいいたずらだってしちゃうんだもーん〉
とでも言いたげな瞳で
人の目をのぞきこむようにしながら
バリバリと(してはいけない、と何度も怒られている場所で)爪磨ぎをしたりする。
人に見せて、怒らせてナンボ、の精神らしく
人がいないかのように無礼に振舞う、のではなく
ハチにかぎっては逆に人が見ている時のように無礼に、なので
ヤツの場合は傍若有人(?)、といったところか。

話は変わるが
今日は本当にすてきな踊りを拝見させていただいて帰ってきた。
いい踊りを観たあとは心が浄化されたような気持ちになる。
感謝。

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天使、再び。

d27b8720.jpgお弟子さんのIさんのお嬢様二人が再びお稽古場に来訪
今日は私も一緒に記念写真を撮らせてもらいました。

前回よりうーんと上手にご挨拶ができるようになってた二人。
屈託ない二人を見てると
あんまり可愛くて
おねえちゃんには桃色の着物
ちびちゃんの方には菜の花色の着物を着せて
《菊づくし》踊らせてみたいなぁ・・
めちゃめちゃ可愛いだろうなぁ・・
などと勝手にいろいろと想像(妄想?)してしまいます

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ハチのテレビ鑑賞。

84c7e338.jpgしっぽがハート型に見える
舞踊家の家のネコのくせに
日本舞踊の画面には興味を示さない

ところでハチは
私が台詞の稽古をすると一緒になっておたけびをあげる。
聞くに堪えない、という抗議のつもりなのか
はたまた稽古に付き合ってやってるつもりなのか。
ちなみに
振りの確認のためにリビングで軽く流しながら踊ったりすると
に甘噛みしてきて
そのまま噛みっぱなしの状態で
お得意のネコキックをするか
ほぼモップ状態でつきまとうか
どちらかがヤツの行動パターン。

何を考えているのやら・・

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命日。

今日は母の命日。
けっしてベタベタの母娘ではなかったが
母の死に関しては
亡くなってから10年以上たった今でも
言葉にしようのない複雑な思いがある。
ふえるわかめちゃんじゃないけど
いったん溶解すると
どんどん量がふえて収められなくなるので
いつもは心の隅で凝固させている。
年を取れば取るほど
望むと望まざるとにかかわらず
自分の中に母のDNAの存在を感じる機会が増える。
その存在が
誇らしかったり疎ましかったり。
母という人の一生を思い返すと
母の内にあっただろう喜びや哀しみを
私はどれほど知っていたのだろうと思う。
私の中で渦巻ていたり石灰化したりしたさまざまな感情を母が理解しなかったように
私も母の心の奥の奥までのぞきみることは最後までなかったし
当時の私ではできなかったと思う。

それでも私は
あの母から生まれたのだ。
彼女を母として思い出すことのできる娘という存在は
これまでも
これからもずっと永遠に
私だけだ。

二度と逢うことのできない母に
溶けだした思いにおぼれそうになりながら
心の内で何度も巡り会う日。

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降られた、降られたー。

昨日はお弟子さんのNさんと3件ほど呉服屋さんをまわったのですが
ちょうど私達が出歩いていた3時間の間
ものすごい雨に見舞われました
1件目の店を出たあたりから空が真っ暗になり
2件目に着く頃には雷を伴ったどしゃぶり。
2件目から3件目に移動する頃は
みぞれまじりの大雨。
3件目を出てお茶を飲んで帰る頃にやっと雨があがりました。

つまりちょうど二人でウロウロしていた間に合わせてくれたかのように
きっちり3時間降ってくれたわけです。
自慢じゃありませんが
私はこれでもかこれでもかというくらいの雨女
まいったなーと思っていたら
なんとNさんも雨女ということ

それじゃ嵐にもなるよね・・。

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ひとひら。

電車で向かいの席に座って本を読まれている女性の髪に
桜の花びらがひとひらついている。
教えてさしあげるのが親切なのかもしれないが
春らしいハプニングがなんとなく微笑ましくて
黙って電車を降りた。

私用で地方にいる。
人通りのない暮れはじめの城下町
桜は今が満開。

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復活!&歌舞伎座終了!

d212b846.jpgパソコンのハブの調子が悪かったのですが
今日やっと復活
ご心配おかけしました
で、復活後最初の話題は
歌舞伎座公演が無事終了したこと。
本当にたくさん勉強させていただきましたし
このような公演に
私のような若輩者が出演させていただけたこと
それがどれほど幸せなことか
どれだけたくさんの人達に感謝しなければならないか
忘れずにいようと思います。

昼の部終了後、歌舞伎座前で。

ところでアレグレットの飼い主さん、無事復活しました。
いろいろありがとうございました

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舞台稽古。

今日は夜の10時過ぎから11時頃まで
歌舞伎座を使って
28日の<洛中洛外>の舞台稽古をさせていただきました。
今かかっているお芝居がはねてからなので
そんな時間になってしまうのですが
やはり一度でも本番と同じ舞台で稽古させていただけるというのは
幸せなことです。
たくさんの先生方や関係者のご尽力で
そんなお稽古ができるのだ、ということを
心しておこうと思います。

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こらー!

帆布でカバーリングする椅子を1脚購入した。

椅子として扱われたのは我が家に到着してからわずか5分だけで
すぐにハチによって
ヤツの恰好の爪磨ぎ器に任命されてしまった・・。
もともとチープな椅子を
さらにバーゲンで買ったものではあるが
それでも
ハチが見向きもしない1500円の猫用爪磨ぎ器よりは高いぞっ
でも
夢中で爪磨ぎするハチも可愛いからなぁ・・。

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〈お詫びして訂正〉。

気象庁が桜の開花予測を見誤ったとの会見があった。
前年九月以降の正時の気温をデータとして予測をするらしいのだが
そのデータそのものに間違いがあったとのこと。
桜の開花時期に合わせてイベントを組んでいたホテルなどの
困惑したインタビューが流れていた。
とは言え内容が内容だけに誤った、といっても
そんな誤りが話題になること自体
〈あーもう春なんだなぁ・・〉というホンワカした後味が残るくらいで
あまり気にもかからなかったが(この誤りで被害を被った方達には申し訳ないが)。

桜の話はともかく
最近のニュース番組を見ていると
〈先程お伝えしたニュースの中で○○というのは◎◎の誤りでした。お詫びして訂正いたします。〉というアナウンスをやたらと耳にする。
ニュースの命は〈正確に、迅速に〉ではないのか。
昨日の、さらにまちがった情報など
もはやニュースとは呼べない。
人のやることなんだからもちろん間違いはある(私など間違いだらけだ)とは思うのだが
それにしても最近この〈お詫びして訂正いたします。〉が多すぎないか。
昭和生まれの私は
〈やっぱNHKのニュースが一番信頼できる。〉と思い込んでいるところがあるのだが
そのNHKですら〈お詫びして訂正〉づいている。
昔からそうだったかなぁ・・、
こんなに〈お詫びして訂正〉オンパレードだったかなぁ・・と思う今日この頃。

ところで舞台
は〈お詫びして訂正〉ができない。
できたらどんなにいいだろう、と思うことはたびたびあるが。
同じ舞台は二度とない。
産まれた瞬間から消えていく、刹那的なものだ。
だからこその美しさがあり、きらめきがある。
そして舞台に立つ方の身としてはそんな舞台がいとおしくもあり
恐くもある。

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コア。

今日私は
何を
どんな目で
どのように見つめ
どのような思いを抱いたか。
見つめた目はまっすぐだったか。
抱いた思いに愛はあったか。

私の抱く想念が私の色を決め、私の輪郭を創る。

それがあざやかな色でも
複雑な陰影を含んだ色でも
深い深い色でありたいし
多少雑でも
肉太の筆でいっきに描いたような輪郭でありたいと思う。

そうじゃないからそう思うのだろうけど。

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花金。

先日の電車の中でのこと。
二十歳前後と思しき女性達4、5人の会話と笑い声が響いてきた。
聞くともなしに聞いていると
どうやら笑い声は
その中の一人が
〈ハナキン~花の金曜日という意味~〉という死語を使ったことであがったらしい。
以下、彼女達の会話。
〈やだー、もう○○ちゃん、今時ハナキンなんて使わないよー。年いくつなのー?〉
〈えー、そんなに変わんないじゃん。〉
〈あ、ダメダメ、なんたって○○ちゃんは昭和生まれだもん。〉
ここでまたその○○ちゃんも含めてドッと笑いが起った。

そうか、昭和生まれって
もう古いっていう代名詞として使えるぐらいのイメージなのか・・。
もう少ししたら
今私達が明治生まれの人を驚きと敬意を持って見るように
〈え!昭和ですか!〉なんて言われるようになるのかしら・・などと思いながら
すっかりオバサンモードに入ってしまった・・。

来年は平成生まれの成人が誕生する年。

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