2007年 11月 の投稿一覧

半年ぶり、バディ君。

8927690a.jpgちょっとの熱、という意味で微熱、だが
この微熱も続くとシンドイ。
高熱との長期戦ばかり気にしてたら
最近微熱との長期戦がたびたび勃発している。
寝込まないレベルの風邪というのは
それはそれでやっかいだ・・。

そんな中
風邪どころか腫瘍除去の大手術を乗り越えた
アメリカン・ピット・ブルのバディ君と半年ぶりに再会。
手術のためにあちこち毛を刈ったあとが残っていて
それを保護するためにTシャツを着てました。
ところどころにある毛刈りのあとが
ますますいとおしいバディ君
大変だったねー、よくがんばったねー。
体は大きくても
相変わらず甘えんぼのバディ君でした。

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元気印のハチへ。

64c0a31a.jpg今年は私にとっては風邪の当たり年(?)なのか
またもや風邪っぴきだ。
救急車さわぎになるほどの高熱との長期戦だけは避けたいと思っているのだが・・。
とにかく人様にうつす前になおさなきゃー。

ところでハチは今まで病気らしい病気をしたことがない、まことに飼い主孝行なネコだ。
人間大好きで誰に対しても興味津々で
甘えたい相手にまっすぐに甘える健全な精神も持ち合わせている。
年に一回の健康診断でも
獣医の先生に太鼓判をいただいている心身ともに健康そのものの元気印だが
そんなハチにも実はたったひとつだけ
一晩でも私が家にいないとガッツリストレスをためこんでしまう、という弱味がある。
私はたまに出先で何かを思い付いた時
それをその場で家の留守電に録音しておくことがあるのだが(帰りつくまでに失念した時のためだ)
家にいないはずの私の声が電話から聞こえてくる、というのは
ハチにとっては不思議なことのようで
微妙に反応するらしい。
おりこうでおりこうでおりこうなハチはそれを覚えているのか
私が一晩家をあけて帰ってきた日は
必ずと言っていいほど電話線を食いちぎっている。
実家にちょこちょこ帰らなければならなかったある時期など
そのたびに電気屋さんにケーブルを買いに走った。
(ハチにとっては)長い時間ほおっておかれたことに対する抗議のつもりなのか
それともよほど寂しかったのか
いずれにしても申し訳ないやらいじらしいやら。
縁あって我が家に来ることになったのだから
ハチのことはこれでもかこれでもかというくらい幸せにしてあげたいと思っているが
そんなご立派なココロザシの割には
人間の勝手な都合でハチに我慢をさせている時があるように思う。
電話線の破損部分が
そのままハチの心の傷み具合のように思えてたまらなくなる。

ハチー、風邪っぴきの私が言うのもなんですが
ハチの心が
いつもいつも
まあるくてふくふくのままでいられるようにがんばりますので
どうぞいつまでも元気でいてくださいねー。

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栗きんとん。

1efbae9d.jpg中津川在住のWさんから
《すや》の栗きんとんが届きました。
中津川は栗きんとん発祥の地だとか。
やっばり
う・う・うまいぃぃぃぃぃぃ!!!

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《ごめんなさい》

ごめんなさいで済めば警察はいらない、というが
日常のサマツなことのほとんどは
誠意のあるごめんなさい、で済むと私は思っている。
よほど致命的なダメージでないかぎり
不愉快な思いをしたり迷惑をかけられたりした時の怒りは
その事柄そのものに対してより
その後の相手の在りように対して感じていることが多いからだ。
《ごめんなさい、とありがとう、がちゃんと言えない人間はダメ》というのは
年をとればとるほどまったくそのとおりだな、と思う。
(自分が悪いと思っているのに)誠意あるごめんなさい、が言えないのはなぜか
自分の非を認めるのがイヤ
人に頭を下げるのが耐えがたい
という傲慢な理由は論外だが
よく聞くのが
《十分申し訳ないと思っているのだけど照れくさかったり不器用だったりでうまくごめんなさいが言えない》というもの。
ちょっと聞くと前述の傲慢さゆえ、とは違う気がするが
私はどれも似たようなものだ、と思う。
この《悪いと思っているけど照れくさい、不器用だからうまく言えない》に続く言葉は
たいてい《だからあなたのほうがわかってよ、悪いと思っている私の気持ちを察してよ》のような気がする。
迷惑をかけた相手の気持ちより
ごめんなさい、を口にする照れくささが先で
そんな自分の気持ちをさりげなく理解してくれることを
どこかで期待し求めている
照れくささや不器用さと
どうにか折り合いをつけてでも
相手に気持ちを伝えようとする自らの努力より
相手への要求のほうが勝ってしまう、という在り方が
シンブルでわかりやすい傲慢さとどれほどの違いがあるのだろう、と思うのだ。
コミュニケイションは感じるもので
強いられるものではないと思う。
不愉快な思いをさせて申し訳ない、と思っていて
ごめんなさい、の言葉はないまでも
その気持ちを不器用ながらもなんとか伝えようとしてくれている相手の誠意を【感じる】からこそ
《もうわかってますからどうぞ気にしないで下さい》という気持ちになるのであって
そのプロセスを全部省略した上で
はじめから《悪いとは思っているけど私はこういうタイプなんだからあやまらなくてもそれくらいわかってよ》と
当たり前のように【求めてくる】こととは
結果においては同じでも
意味がちがうと私は思う。
《あやまりたい》と思ってくれているであろう相手の心の内を慮る受け手の感情は
受け手に強いるものではなく
まかせるものではないか。
何か事が起こった時
その相手がまったくの他人なら別だが
多少なりとも付き合いのある人間なら
迷惑をかけられた自分の怒りはともかく
迷惑をかけた相手のほうがそのことを気にしているのではないか、と心配になる。
口にだしてあやまってもらわなくてもわかっているから大丈夫、と思いたくなるのは自然な感情の流れだが
それはこちらの問題であり
相手から求められるものではない。
照れ屋だけど、不器用だけど
でも一言詫びたいと思っている
その気持ちをなんとか伝えようとしてくれる(結果うまくいってもいかなくても)、というその誠意に心打たれるのであって
照れ屋だから、不器用だから
だからだから私がいちいちあやまらなくても
あなたのほうがなんとか理解するように努力してよ、というスタンスに
あまり誠意は感じられない。
人と人との関わり合いの中では
わざわざ言葉にしなくても
お互いがともに歩みより
説明抜きのあ・うんの呼吸のような触れ合いができた瞬間のほうが
理屈で解り合うより何倍もうれしかったりする。

少なくとも相手に詫びなければならない、と思うような事態に直面した時
その気持ちを相手に伝えようとする努力をおしまない人間でいたいと思う。
自分の申し訳ない、という気持ちを
相手に察してもらうのを求める
照れ屋だから、不器用だから、というエクスキューズを
水戸黄門のインロウのように振り回し
相手が察してくれることの楽チンさにあぐらをかくような傲慢さだけは
もちたくないと思っている。
自戒をこめて。

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馬に会ってきた!!

0ec48eb8.jpgサラブレットの馬やポニー達と遊ばせてもらいました。
あまりの可愛さに気絶しそうでした・・。
写真ではわからないと思いますが
はじめて触れた馬達の美しさと可愛さにすっかり魅せられてしまい
目がウルウルの状態です。

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創作自由市場終了。

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終演後、私の作品《雨神》を一緒に踊っていただいた若柳公子さんと。
お忙しい中ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
 
 


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学祭。

縁あって
国立音大の学祭で
お三味線の演奏会をする学生さん達の
着物の着付けなどのお手伝いさせていただきました。
足袋もはじめてはくんですぅーなんていう学生さんもたくさんいましたが
どうしてどうして皆いざ着物を着てみると
手足の長い今風の美女から
とても素敵な和風美女に大変身。
こんな可愛い娘達(いや、見栄はって年の離れた妹?)がいたらいいな~などと
しばし勝手な妄想にひたってしまいました。
終演後模擬店をブラブラして大学の頃を思いだし
その後打ち上げに参加して帰宅。
楽しい一日でした。

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