2008年 3月 の投稿一覧

渋谷の樹。

41c5ff4d.jpg浴衣会、と言うには少し気が早いのですが

5月10日に《翠の会・おさらい会》を催すことになりました。
小さな会ですが
皆々10日の本番めざして一生懸命お稽古にはげんでいます。
今日は本番終了後の会食でお世話になる和食屋さん・【渋谷の樹】に
当日の予約がてら行ってきました。
自家製の胡麻豆腐や
イチボという和牛(のどこかの部位)の塩焼きがおいしい

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うさぎとかめ。

世界フィギュア女子の中継を見た。
最終滑走は中野友加里選手で
浅田真央選手の演技の興奮覚めやらぬ中
二重三重のプレッシャーをはねかえして
パーフェクトの演技をやってのけ
会場をさらなる興奮へと導いた。
その時荒川静香さんが
《誰かに勝つとか負けるとかではなく、ただひたすら自分の演技に集中したことで得た結果だ》と言う意味の解説をしていた。
それを聞きながら
ふと
最近イソップ物語の研究にはまっている、という知人の話を思い出した。
日本でもおなじみの《うさぎとかめ》で
うさぎがかめに負けた理由は
うさぎがかめのことを侮り油断したから、となっているが
よく研究してみると
本当はこの話の主題は別のところにあったらしい、と知人は言う。
うさぎは自分の目標をかめとの競争に置き
かめは自分の目標を山を登りつめることに置いた。
うさぎが負けた理由はそこにこそあり
油断してしまった、というのはその結果生じた事柄にすぎない、と知人は言う。
荒川さんの解説に通じてはいないか。
何かを極めたいと思う人間にとって
やはり最後に行き着く場所は
自分自身でしかない、ということなのだろう。
そのような舞踊家でありたい、と
まだまだ煩悩だらけの舞踊家としてはいつも思う。

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今日の稽古場から。

38ab06a7.jpgいつのまにか腰までのロングヘアになっていたお弟子さんのAさん。
私よりも長いかな?
Aさんは今普通部名取免許取得をめざして猛勉強中。
スクスクという音が聞こえそうなくらい日に日に上達しています。

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沈丁花。

09a42f54.jpgうちのマンションの玄関前に沈丁花の植え込みがあって
いい香りを放っている。
疲れて帰宅した深夜
何よりも先に
沈丁花の甘い匂いがお出迎えをしてくれて
ふっと肩の力が抜けた瞬間
アロマテラピーがはやる理由がわかるような気がするなぁ・・などと思う。
ところで
5年ほど前までは
我が家にもたくさんのポプリがあって
沈丁花にも負けないほどのいい香りが家中に満ちていた。
フレグランスオイルも各種取り揃え
ポプリを入れる器にもこだわって
広くもない家のあちこちに置いてあった。

5年前の秋に
ちっちゃな破壊王、ハチがやってきてからは
ポプリの器という器は
全て割られてしまった(ちなみにハチが破壊したヤツにとっての戦利品の中で、ポプリの器はもっとも可愛らしいものの部類に入る。最大のものと言えば、やはり私の背丈ほどもある超重い姿見だろうか。ヤツはこの鏡を押し倒し、文字通り粉ごなしてくれた・・)。
以来
ハチに怪我をさせないためにも
我が家からコジャレタ置物(特に割れ物系)は姿を消し
なんともシンプルな部屋作りをせざるをえなくなってしまった。
もっとも
どんな芳しい香りもかなわないほどの癒しをくれているのが
他ならぬそのチビ破壊王なのだから
文句は言えないのだが。

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小岩井農場。

029f76cb.jpg小岩井農場を訪れていたという知人から
《小岩井農場セット》とも言うべき
農場の名産品の詰め合わせが届きました。
クッキーからカレーまで
箱の底にいくにしたがっていろんなものが出てくる
楽しい小包でした

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往生際。

今年もまた花粉の季節がやってきた。
年齢と花粉症歴がほぼ同じらしいお弟子さんのSさんが
大きなマスクをしてお稽古場に現れる。
この季節のSさんの定番だ。

ところで
今年になって
ある日突然
鼻水は出るわ
目は痒いわ
くしゃみは出るわの三重苦に見舞われ
どう見ても花粉症でしかありえない症状で
Sさんに負けず劣らずレベルの大きなマスクでお稽古場に通ってきているにもかかわらず
《私は決して花粉症ではありません!このマスクはあくまで予防のためのものです!》と言い張っているのがKさんだ。
まったく往生際が悪い。
などと言っている私も
《私は花粉症です》とは言えず
《私は【どうやら】【プチ】花粉症【かもしれません】》という言い方にこだわっている・・。
認めたからって殺されるわけでもないのに
今や
私やKさんにとって花粉症は
隠れキリシタンにとっての踏み絵のようになりつつある・・。

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着地点。

自分の着地点はどこなのだろう、と思う。

気のおけない愉快な見張り番達が
うっかり居眠りしている隙に

こっそりと

秘めやかに

着地していたい、と思ったりする。

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Iさんと久々の再会!!

d96a57ae.jpg現在熊本在住の
大学時代の同級生、Iさんと久々の再会。

IさんはTV局のアナウンサーとして華々しい活躍を遂げたのち結婚し
今はキャリア・コンサルタント、またビジネスマナーや美しい話し方の講師として
アナウンサー時代の経験も生かした、より幅の広い活動で
日々を忙しく
そして楽しみながら過ごしている素敵な女性です。
学生の頃から才色兼備の代名詞のような存在のIさんでしたが
久しぶりに会ったIさんは
才も色も健在などころか
その二つともにより研きがかかり
人生の充実ぶりがうかがえました。
学生の頃の話のみならず
お互いのその後のこと
今現在のこと
これからのこと
話はつきず
あっという間に時間が過ぎて
本当に楽しい夜でした

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葛の葉。

歌舞伎の《葛の葉》を観てきた。
私はこの演目に弱い。
狐・葛の葉の子別れのシーンは何度観てもうるうるしてしまう。
人間よりも深い愛情で心がはりさけそうになりながら
最愛の我が子を胸に抱き
人間らしくあろうとすればするほど
声に、筆に、畜生の片鱗が見えてしまう。
本来はすぐれた能力であるはずの霊力にさえ
究極の切なさがにじんでいるように私には見える。

恋しくば
たずね来てみよ
和泉なる
信田の森の
うらみ葛の葉

芝雀さんの葛の葉、やっぱりうるうるになっちゃいました。

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記念日。

一日過ぎてしまったが
昨日はお雛様。
女の子の健やかな成長を願う女の子のための日だ。
ところで
年をとるにつれて感じるようになったのだが
何かの記念日というのは
お祝いをしてもらう人の日、であるとともに
お祝いをさせてもらう人のための日、という気がする。
自分にとって大切な人の大切な日を
一緒にお祝いできることの幸せ。
お祝いしてもらうことの晴れがましさに
嬉しそうにほころんでいる大切な人の顔を見ることのできる幸せ。
そんな幸せはなにものにも変えがたい。
以前も書いたが
私は比較的早い時期に母を亡くした。
お互いを理解しあえないまま
永遠の別れをすることになってしまった母だったが
そんな母でも(いやそんな母だからこそ?)
彼女にまつわる何かの記念日に
一緒にお祝いできないまでも
小さなプレゼントを送った時などに
ちょっと照れたような声でお礼の電話がかかってきて
受話器の向こうの母のはずんだ声を聞くのは
母との距離が縮まるようでもあり
また母にとっての自分という存在が生き返るようでもあり
やはり嬉しかった。
《母の日》が《自分に関係ない日》になってからずいぶん経つ。
大切な人の節目節目に
《お祝いしてあげたい》
またはもっと消極的に
《お祝いしてあげなきゃうるさいからな~》でもいいのだが
そのように思える存在が多ければ多いほど
幸せだと思う。

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