大きな記念公園が近いせいか
家から駅までの公園通りは
犬を連れた人であふれている。
通り沿いにたくさんあるカフェやレストランもペット可、が当たり前で
よく晴れた気持ちのいい日
店のテラスでコーヒーを飲む人の横で
のんびりとくつろぐ犬がいる光景も
決してめずらしくない。
住人にセレブと呼ばれる私とは全く縁のない(残念ながら)人達が多いためか
輸入でしか手に入らないようなめずらしい犬種もよく見かけられ
犬と見ればとりあえず触っておかないと気が済まないタチの私は
女子校に放たれた《ナンパ命》のイケメンのように目移りしてしまう。
いつだったか
そんな調子で可愛い犬に会うたびにいちいち立ち止まっていたら
駅までの所要時間がいつもの三倍かかってしまった・・。
ところで昔実家にもメリーちゃんというヒツジのような名前の犬がいた。
彼女は完璧に《母の犬》で
彼女の中では
母は《おかあさん》
父は《ご主人様》
東京からたまに帰ってきてはやたら構い倒す私は《ダチ》
という位置付けのようだった。
愛されて愛されて愛されて育った彼女は
人間以上に微妙で多種多様な感情表現をする
ベットというより家族の一員、という存在感を持つ犬になった。
闘病の末病院で母が亡くなり
母の亡骸を連れて帰宅した時
真っ先に迎えてくれたのがそのメリーだった。
車が着くやいなや
玄関から門まで
嬉しそうにまさに《飛んできた》メリーの
笑っているような顔を今でも鮮明に覚えている。
ちぎれそうにシッポを振るメリーを抱きとめ抱きしめ
《メリー、おかあさん死んじゃったよ》とつぶやいた自分の声のトーンも
どこか他人事のように記憶に残っている。
誰かを抱きしめながら誰かの死の報告をする、なんていうのは
できれば今後あまり経験したくないことではあるが
あの時私はメリーを抱きしめながら
本当は自分自身が抱きしめられたかったんだろうな、とふと思う。
その後メリーは中型犬としては長命の
18年の天寿を全うして亡くなった。
春の花咲き誇る4月9日は
メリーの大好きな《おかあさん》の命日。