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ドラマのお仕事。

昨夜の大雨が嘘のように上がったピーカンの某地で
今日はドラマの所作指導のお仕事です。

放映日など決まりましたらまたこちらのブログでもお知らせしますので、ぜひご覧ください。

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撮影場所の庭に「泰山木」という木が植わっていました。

木蓮に似た花が、私の手のひら以上の大きさ。

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ヒトンチ、ヒトサマ。

以前も書いたが、私は1年365日夢を見る。

フルカラー、五感付き。

なのでいつも夢の中で一人生(ひとじんせい)生きているかのようで

朝目覚めた時は、だいたい心身ともに疲れている(ぐったりか、心地よくか、はともかく)。

物心ついた時からずっとそうなので

のちに世の中には夢を見ない、または見ても覚えていない人がいると知り、心底驚いてしまった。

 

私は小さい頃(も)、自分が所属するコミュニティーの情報収集にアンテナを張れるような鋭敏なタイプではなく

ただひたすら自分の世界にぼ〜っとい(られ)るような子供だった。

何かコトを始めると、少なくともなにがしかの結果や完成形を見るまでとにかく黙々とやり続け

それを特に苦とも思わず

それなりに自分の世界を楽しんでいたように思う。

ただ、その有益性の有無にについてはまったく考えが及ばないので

たいていはどうでもいいようなくだらないことばかりではあった。

そんなおバカな子供にも、長ずるにつれて少しずつ知恵と社会性が備わり

入れ替わるようにして「自分の世界で黙々と」というのはなりをひそめていった。

良くも悪くもそれが大人になるということだったのだろう、と思う。

 

が、最近、もしあのまま、使い回しの知恵や社会性で押しならされるれることなく成長していたら、どうなっていたのかな…などと妄想したりする。

まあ、私のことだからほぼ間違いなくただのハタ迷惑な大人にしかならなかっただろうが

「ひとんちはどうなのか」「人様はどうしているのか」など、指の先ほども思いを巡らすことのないバランスの悪さ、というのは

極めればときにとんでもない独自性や壮大なパワーを生み出す才能となりえるのではないか、とも思う。

極めきれない凡庸さゆえの今の自分なのだが

確実に残りの人生のほうが少なくなってきた今

そもそも自分のものさしでは測りえないだろう人様の価値観に対して

もっと無頓着でもいいのかなぁ、などと思ったりもする。

これ以上無頓着になられては迷惑千万、という身近な声が聞こえてきそうな考えではあるが…。

 

ところで梅雨。

私は出かける時にさしていた傘を、雨がやんだ帰宅時に無事持って帰れたためしがほとんどない。

まったくもってお恥ずかしい話だが

どうしたら傘の記憶を晴れた帰宅時まで持続できるのか

人様はどうしているのか

不思議でならない雨の季節。

 

 

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君が笑うと私が幸せ。

「マンハッタナーズ」というネコのイラストでお馴染み、ニューヨーク在住のイラストレーター・久下貴史さんのカレンダーを毎年利用している。

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随分前の話になるが、久下さんの帰国中に某書店でサイン会が開催されることになった。
そちら系のイベントにはまったくベクトルのない私だったが
飼い猫の写真を持参すると、その猫のイラストも描いてくれる、という企画に惹かれ
当時飼っていた猫・ハチくんの写真をにぎりしめ
私にしては珍しく(というか初めて)イベント会場に出かけていった。

ところがそういうイベントに慣れてない者のあさはかさ、開催時間に合わせて出向いたら
先着〇〇名様で、とっくに締め切られてしまっていた。
人気のイラストレーターなのだからちょっと考えればわかりそうなものなのたが
自分のアホさ加減に呆然と立ち尽くしていると
そんなに広くないサイン会場の奥から、久下さんとファンの方の会話が聞こえてきた。
久下さんがお客様の話にニコニコ顔でうなずきながら、一枚一枚その方の猫の絵を描いてさしあげている。
特にパーテーションとかで区切られてもいなかったので
サイン会参加は無理でも、久下さんの描く絵は割と近くで見ることができた。
するとどの絵もあまりに可愛くて可愛くて
そしてそれぞれのファンの方とその飼い猫くんとのエピソードも、ちゃんと絵のどこかに反映されていて
もう参加とかできなくてもいいから、そこでずーっと久下さんの描く絵を見ていたくなってしまった。

そんな私の(たぶん客観的にはちょっとヤバい)様子を見ていた係のおじさんがコソッと話しかけてきて
「今だったら最後尾に並んじゃっても大丈夫だから」と(誠にズルくありがたい)指南をしてくれた。
私は即あたりまえのような顔をして列のいちばん後ろについたのだが
ズルくて優しいおじさんは、それを見て見ないふりをしてくれた。

そんなおじさんの粋な(?)はからいがあって、めでたくサイン会の最後の客として久下さんの前に座った私は
持参した写真を見てもらいながら、ハチくんの生い立ち(生まれたてホヤホヤで兄弟3匹と一緒にビニール袋に入れられ、母親の胎盤ごと捨てられていたこと)や、うちに来ることになった経緯を話すと
久下さんはハチくんの絵を描きながら「ハチくんは幸せになれたね」とおっしゃってくださった。
「はい」とシンプルに応えればいいものを
その時なぜか私の口をついて出たのは「私が幸せ!」という言葉だった。
久下さんは一瞬「あ!」という表情を浮かべたあと、クスクスっと笑って
ハチくんとその横で幸せそうに笑っている私の絵を仕上げてくださった。

私は今でもたまにこの時の自分を思い出す。
今の銀次くんもそうだが、ハチくんがうちに来たことで少しでも幸せを感じてくれていたとしたら
私にとってこんな嬉しいことはない。
銀次くんやハチくんがあられもない姿で無防備に爆睡していたりすると
心がふんわりときれいな丸にふくらんでいくような感覚がわきあがってくる。
苦境の猫を預かって幸せにして「あげて」いるつもりが
実は幸せをもらっているのはいつもいつも飼い主の私のほうなんだな、と思う。

まだ日本舞踊家としては駆け出しの頃
亡くなられた尊敬するある先生にお稽古で言っていただいたことを思い出す。
「あなたが舞台の上で見てないものは、お客様の誰も見ることはできない。あなたが舞台の上で信じないことは、お客様の誰も信じない。迷ってはダメ、もっと信じなさい、もっと愛しなさい。でないとあなたの踊りがかわいそうです。あなたの踊りが泣いているのが私には見えます。」

当時わかったようでいてどこかぼんやりと受け止めていたように思うが
時が経って
やっとこの言葉の意味が腑に落ちるようになってきた。

上手い・下手の問題はともかく
自分なりに、ぎりぎりまで魂を注ぐようにして向きあえた踊りなら
きっと踊りそのものが踊られたがるはず。
少なくとも「下手くそだけど、まぁ付き合ってやるか」くらいは思ってくれるだろう。
踊られたがっている踊りの心を感じられたなら
舞踊家としてこんなに幸せなことはない。

 

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どん兵衛くん。

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銀次くんはチビッコの頃、何度かエリザベスカラーのお世話になることがあったのですが
感触や重さのせいか、ご多分に漏れずやっぱりあまり得意ではありませんでした。

そんな時ネコ飼い仲間に聞いた、エリザベスカラーが苦手な子のための「どん兵衛カラー」。
こちらのほうが銀次くんにとっては快適らしく
傷が癒えるまでの間、我が家では銀次くんアラタメどん兵衛くんが走り回っていました。

 

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その差は何か。

ある二通りの生き方のことを考えてみる。

同じ志しをもって一生を歩き始めるとして
少なくとも同じスタートラインに立てたものどおし
きっとお互いあふれんばかりの才能も若さも、ほぼ等しく持ち合わせている。
が、何年も何十年も歩き続けて
ある日ふと気がつくと
同じ道を歩いていたはずなのにいつの間にかまるで別の道になっていて
お互いの背中や顔を感じながら歩いていたころに戻りたくても戻れないくらい遠くまで来ている。
先んじている、遅れている、の差ではなく
全く異なった景色を見ることになる差。
この差は何か。

始まりはたぶんほんのちょっとの心構えの違いだったのではないかと思ったりする。
何かを大切に思う気持ち
何かに真摯に向き合う気持ち
何かに誠実に応える気持ち
そんな心構えがほんの少し相手より深いか浅いか。
始まりのそのほんの少しの心構えの差が
歩き続けるなかで些細な選択の違いを生み
ちょっとずつちょっとずつ道が別れていく。
当然のことながら、道が別れればそこで出会う人も、影響をうけるものも違ってくる。
選択や決断の違いはより顕著になり
加速度的にどんどん道が開いていって
最後に到達するゴールが随分異なったものになってしまう。
どのゴールがいい、悪いの問題ではないが
ただ、歳をとればとるほど、つまり歩いた距離が長ければ長いほど
一分一秒をどんな心構えで過ごしてきたかの「積み重ね」は
想像以上の結果を呼ぶものだ、とつくづく思う。

さて、自分はどんな心構えをどれくらい持ち合わせて過ごしているのか。
基本ズボラな我が身を振り返り
改めて、日々の「積み重ね」の凄さや怖さを思う。

 

 

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歳をとる。

大学時代の友人達と「歳のとり方」について話した。

同じ時代を同じ場所で過ごした友人と話すのは

お互いの恥ずかしい(??)時代をよく知っていることもあって

いまさら無駄な見栄をはったり、遠慮したりする必要もなく、楽しいものだな、と思う。

どう見積もっても人生の折り返し地点は過ぎた年齢になってくると

残りの時間をどう使うか、というのは

卒業後それぞれ全く違う人生を送っていても、共通する課題ではある。

 

ところで最近ビリー・ジョエルのライブビデオをユーチューブで見たのだが

久々に見たビリー・ジョエルは昔のイメージと随分違っていて

フサフサだった髪はスキンヘッドになり

線の細かった身体は随分と恰幅よくなっていた。

が、しびれるような歌声と伝説のピアノは健在で

狂気と紙一重のようなナイーブさが代名詞だった若いころも素敵だったが

今の、長い睫毛の影に深く刻み込まれたシワが見え隠れするビリー・ジョエルも、とても素敵に思えた。

 

年齢に見えない(ほど若い)ことを目指して日々努力するのも意義あることなのだろうが

歳相応のシワに、その人のこれまでが昇華されてるような顔になれたらいいなぁ、と思う。

 

 

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おうち展。

大・大・大好きな小さな絵本『くろねこのおくりもの』の挿絵を描いておられるイラストレーター・杉田香利さんが

お仲間のアーティスト達と開催する「おうち展」に行ってきました。

実は我が家には、杉田さんにお譲りいただいた『くろねのおくりもの』の主人公・くろねこくんの原画があります。

自分の身体程もあるお醤油の瓶をお土産にかかえて

憧れのおねえさんのところに初めて訪問した日のくろねこくんが描かれています。

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杉田さんにお目にかかるのは今回が初めて。

あんなにもあんなにもいじらしく愛くるしいくろねこくんに出会わせてくれた杉田さんは

やっぱりふんわりと優しい雰囲気の素敵な方でした。

こんなときですから、マスクもしたままで長居も禁物でしたが

キュンとするような可愛い作品にかこまれながらお話することもできて

とても心癒される時間を過ごさせていただきました。

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銀次くんのこと。

のどかなネコトピックが続くが

我が家の飼いネコ・銀次くんはもともと保護ネコで

銀次くんが赤ちゃんの時に保護してくださったお宅では、「桜丸」という誠に風雅な仮の名を授けてもらっていた。

当時の桜丸くんは、兄弟姉妹のご飯争奪戦に参加することもなく

育ち盛りの赤ちゃんネコ達の戦場跡で、ことがおさまったのちにそっと出てきて、ゆっくりと食すような子だったらしい。

特に具合が悪いわけでもないのに食べる量も控えめだった桜丸くんは身体もいちばん小さく

保護してくださった方も随分と心配して、目が離せなかったとおっしゃっていた。

おかげでなんとか無事に育った桜丸くんだが

その大恩ある「実家のお母さん」によると、桜丸くんはその名のとおり、貴族のように(?)優雅で上品でおとなしく、のんびりした空気感のネコだったとのこと。

4ヶ月になった頃うちに引き取ることになり

名前も「桜丸」から「銀次」という、まるで無宿渡世人のような渋いものに改名させていただいたのだが…

すると

のんびり、はともかく、あの「優雅で上品でおとなしかった」桜丸くんは文字通りの猫かぶりだったのか

まぁ、しゃべるわしゃべるわ

「遊んで❗」「片付けて❗」「これちょうだい❗」「あれやって❗」などなど

こんなにストレートで明確な意思表示をしてくるネコもいるのか…と

ネコ飼い歴の長い私でもびっくりするくらいのおしゃべりネコになった。

しかもなかなかの演技派で

ヤル気満々の声、あわれっぽく今にもくずおれそうな声、あきらかに「扱いが不当です」と主張しているかのようなふてくされた声、「やったー⤴️やったー⤴️やったぁぁぁ⤴️」と全身ではしゃいでいるような声、などなど…

自由自在に七色の声を使い分けて、思い通りに人間を操ってくれる(操られている人間のほうの問題はさておき)。

桜丸くんの時代は、その典雅な名前に恥じない自分でいよう、という矜持でもあったのか

いやそれよりも、自分の命の恩人でもである、実家の優しいお母さんへの尊敬と感謝の思いもあって、おだやかな立ち居振るまいをしていたのか

とにかくあの頃の桜丸くんは今何処、流行りの「あざと可愛い」を地でいくお騒がせキャラに完全にシフトチェンジしてしまった。

おかげで来る日も来る日も賑やかでせわしないが

そんなおしゃべり銀次くんに振り回される日々を「楽しい」と思っている甘々飼い主なのだから、なんだかんだ、めでたいことこの上なし、である。

そして当然のことながら

そんな銀次くんなので稽古場への出入りは厳禁。

弟子達の中にはネコ好きもいるが

なかなが「噂の銀次くん」には会えずにいる。

 

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今月の銀次くん・2。

いないな、と思ったら、梅酒をしまっている戸棚に入り込んでいました。飲めないはずですが…。

そして

回収される前に自力でちょっとずつ出てきました。

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ズラす、ハズす。

某問題についての与野党攻防を国会中継で見た。

議論を聞いていると、決してその方面に明るい方ではない私からしても、ところどころで主張がかみ合っていない、と感じる。

私なりに、こちらの言い分を理解できる・理解できない、とかの問題ではなく

相手から訊かれたことにあえて(?)答えてないような

まどろっこしくて、混乱していて、

主張の是非はともかく

そのかみ合わなさにイラッとしてしまう。

これも論戦における戦略なのだろうか。

 

ところで踊りの間を「あえてズラす」、「あえてハズす」というのは、よくあることで

名人と言われる先人達の舞台を拝見すると

その工夫や見せ方の素晴らしさに、いい意味で心乱される。

全部が全部正しい間にはまっていても当たり前の踊りになってしまうし

だからといって、なんでもかんでも間をハズしすぎても、またハズし方を間違えてもよろしくない。

捨てたり拾ったり

つかんだり離したり

じらしたり仕掛けたり…

演目にもよるが、心を揺さぶられる素敵な工夫が散りばめられた踊りに出会うと

もう最高に幸せな気分になってしまう。

 

国会の論議であえてハズされるのは、たとえ戦略であったとしてもなんだかスッキリしないが

「踊り」という場では

緩急自在で、解き放たれた表現を

あぁいいなぁ…、あんなふうに踊れたらいいなぁ…と思う。

 

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そこ、ここ、に春。

庭のマンサクに花がつき始めた。

春の訪れとともに「まず、咲く」が語源とも言われるマンサク。

春を告げる役目の花、と思うと何だかいじらしい。

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そして、桜の開花宣言と前後するようにして届いた「はるか」というミカン。

爽やかな甘さで美味しい。

目にも鮮やかな黄色で、キッチンに菜の花が咲いたよう。

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さらに…

年がら年中春のようなのんびり銀次くんは、朝の日向ぼっこの場所を物色中。

本日はリビングのカーテンの中に決めたようです。

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家のあちこちに春を感じるこの頃。

 

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桜の中を。

染織家・中路道人氏原画の、今月の飾り扇は桜。

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梅がそろそろ終わり、桜に主役が変わっていく3月。
私の中での「桜」は、イコール「母の亡くなった日」。

もう随分前のある朝、入院先で亡くなった母を病院で引き取り、自宅に連れ帰るために家族と車を走らせていた。
その日は桜が満開で、うまい言葉が見つからないが、あえて言うなら「壮絶なほどに」美しく咲き誇っていた。
田舎のちょっとした山道だったこともあって、その時間人通りもなく、晴天の空の光を遮るほどに密集した白い花の大群が、窓の外に次々と押し寄せては通り過ぎていった。

そしていつの頃からか、この日のことを思い出す時は必ず
桜につつまれるようにして走る白い車を、高い空から俯瞰で見ている鳥の視点のような風景も目の前にひろがるようになった。
桜の間からとぎれとぎれに見える白い車
少しずつズームしていって
車の中にいる家族や私の様子
そして私の目、目の先にある桜…
最初からそうだったのか、だんだんそうなったのか
夢で見たのか、何度も思い返すうちに勝手にそんなイメージを作り出したのか
全く定かではないが
車の中から見る、ただひたすら美しく、迫力のある桜と
天空から見る、白い車を覆い隠し、抱き込むような桜
このふたつの桜の佇まいが、カメラのアングルが切り替わるように、何の違和感もなく交互に現れる。

不思議でもあり、鳥のような視点は、ちょっと愉悦感を覚えるようなものでもある。
そしてそれがそのまま私の中の「桜」のイメージになっている。

今年ももうすぐ、不思議で、ほのかな愉悦感をまとったような桜の季節が来る。

 

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春の暖簾。

テイクアウトのランチを買いに行って
欲張りすぎたせいか(?)荷物で両手がふさがってしまった。
その店には玄関引戸の鴨居から私の腰くらいまでの比較的長い暖簾がかかっていて
荷物を持ったまま腰をかがめて頭から強行突破するしかないかな…と一瞬躊躇していたところ
表からスッと暖簾が開いた。
見ると、20代前半(?)とおぼしき若い女性が店の外から暖簾をを持ち上げて、私が通りやすいように介添えしてくれている。
「ありがとうございます」とお礼を申し上げて通らせていただいた。
私が通り過ぎると、その女性も軽く会釈をして、薄手のコートをひるがえしながら入れ違いに店に入っていった。
 
私のような仕事をしているものには、長い暖簾は当たり前の、なじみのあるものだし
楽屋の出入り等で介添えをしていただいたり、してさしあげたりも日常のことだが
あの若い女性は役者さんとかなのかしら、
それとも日本舞踊や和事のお稽古をしていらっしゃるのかしら、
暖簾を持ち上げた手も美しく、
通り過ぎる側の人の邪魔にならないようにほどよき場所に身を引いて、
ごくごく自然に、かつ、合理的で無駄のない振舞いで入れ替わるように店に入っていったその女性の後ろ姿を
しばらく店の外から追ってしまった。
一瞬のことだったのでお顔までははっきり見ることができなかったが
「きれいな人だな」と思った。
そして美しい立ち居ふるまい、というのはその造形的な美しさもさることながら
そこに込められた人様へのさりげない心遣いも含めて「美しい」と感じるものなんだろうな、と今更ながら改めて思った。
 
春風に揺れる暖簾の向こうに鮮やかに消えていった女性の後ろ姿が
今でも心地よい残像となっている。
 
 

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借景。

ご近所さんの梅が満開になりつつある。

春近し、を借景にて実感する今日この頃。

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借景とは、本来は「日本庭園や中国庭園において、自然の山や樹木等を庭園の背景として取り入れて一体化させる造園技法のこと」らしいので

ご近所さんの梅を愛でる際の眼福を「借景」と言うのは、元々の意味としては正しくないのだろうが

美しい景色を「お借りする」という表現感覚は、なんとも奥ゆかしく思えたり

本来の意味を考えると逆に壮大なスケール感を感じたり

「借りる」というひとことに、いろんな思いをかきたてられる。

ところで華道は英語で

Flower arrangement

となるそうな。

生け花でも華道でも、いわゆるフラワーアレンジメントでも

訳してしまうと同じ

Flower arrangement。

が、それでは華道の「道」の部分が伝わらないという。

華道、とは花を生ける行為や技術のみをさすのではなく

その行為や技術をつきつめていくことにともなう精神性、の意味が含まれていて

そこを伝えようとすると

Flower arrangement

のひとことではかたがつかず

なかなかの説明が必要になる、と。

「華道」と「生け花」がどう違うのか

「道」の部分を伝えるとなると、そもそも日本語だって大変なことのように思う。

が、きっとその「大変なこと」の中に「何か素敵なこと」が潜んでいるのかな??と

華道に縁のない私は勝手に想像していたりする。

踊りも、教えて教えきれないもの、習って習いきれないもの、に心惹かれていくように思う。

なんでもマニュアル化・情報化の時代になってきて、それはとても便利で時短にもなるが

マニュアルにしようとしてしきれない部分、小さな媒体に情報として収めたくても收めきれない何か

そこをこそ

自分のものにしたい、という思いに

日々の地道な稽古のモチベーションがあるのかもしれない。

 

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今月の銀次くん・2。

ウサギになってみた。

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女子になってみた。

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銀次くんと遊ぶ、ではなく、銀次くんで遊ぶ…。

可愛くて可愛くてつい…。反省。

 

そして

陽だまり求めてコロコロ。 

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梅もほころんで

春はすぐそこまで。 

 

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絵。

染織家・中路道人氏原画の飾り扇。
1年12ヶ月の花が、12本の扇に描かれている。
今月は雪柳。ひとつひとつは小さくて可憐な花だが、団体戦(?)になるといっきに派手で力強い佇まいに変わる。

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ところで記憶に残っている「人生最初の絵」は
6歳違いの兄が描いだネコの絵だ。
当時住んでいた家の台所にあった水屋のガラス戸に
原稿用紙か何かに赤鉛筆(もしくは細字の赤マジック?)で描かれた兄の絵が貼ってあった。
二頭身くらいのネコがどっしり座ってこちらを見ている。
まだ私が幼稚園にも行かない頃だっただろうか。
長いことそこに貼ってあったのか
少しセピア色化した原稿用紙の風情や
人懐っこそうにこちらを見ているネコの表情まで鮮明に覚えている。

ネコの絵を描いた少年は
特に絵を習うということもなく
そのまま九州の片田舎で育ち
大学受験も間近になった高校時代のある日
突然「俺、東京芸大の美術に行く!」と言い出し
まわり中の大人たちをドン引きさせたあげく
本当に東京芸大に合格し、大学院まで進んだのち
今はその道の仕事をしている。

そう言えばあの絵はその後どうなったのだろう。
きっと引っ越しとかのタイミングで剥がされて処分されたのだろうが
〇十年という歳月が流れてもいまだに私の中に残っている(そしてなぜか私も兄もネコ飼いになった)。

存在が消えても
「心の中でいつまでも生き続ける」という感覚が
生き続けている期間が長い分だけ
自分の中で腑に落ちてくる一枚の絵。

 

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出会えたらラッキーなもの・2つ。

渋谷から電車で9分、という便利さにもかかわらず

稽古場最寄り駅・井の頭線永福町駅からは、富士山を望むことができます。

もちろんお天気が悪かったり、晴れていてもガスってたりすると

なかなかその雄大な姿を拝むことはできず

いろんな条件が揃ってはじめて

「頭を雲の上にだし、四方の山を見下ろす」富士山に出会えます。

私は弟子のお稽古でもよく

「富士山の裾野のようになだらかで優美な首肩のラインを作れるように、背中や二の腕の裏を使ってね」という言い方をしますが

見習いたくても見習えない富士山の神々しい佇まいに出会うと

自然と頭(こうべ)が垂れ

両手を胸で合わせてしまいます。

そして永福町駅では、「富士山待ち」をする同じような思いだろうカメラおじさん達をよく見かけます。

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そして

 

こちらは翡翠。

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育休中の弟子が、0.5才の子どもを連れて公園を散歩している時に偶然遭遇し

あわててスマホのシャッターを押した、とのこと。

近くにいた老紳士に「あんた、いいタイミングだったね〜」と言われたそう。

狙って待っていても遭遇できなかったり

やっと出会えてもなかなかカメラにおさめられなかったり

その美しさ故「飛ぶ宝石」と称される翡翠ですが

実は「清流のハンター」という異名も持っているほど

俊敏でアグレッシブなところもある鳥です。

 

遭遇も含めて、撮影の難しさではトップクラスの翡翠をスマホで撮影できたとは

コロナ禍でも元気に生まれてくれた赤ちゃんの未来も幸せいっぱい、のはず。

「幸せの青い鳥」からのちょっとした祝福だったのかもしれません。

 

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幸せのハガキ。

毎年いただく年賀状がとても素敵で、いつからかその方からのお葉書が楽しみになっている。

「笑門来福」など、お正月にふさわしいおめでたい言葉が
闊達、且つ、どこかユーモアを感じさせるタッチの毛筆で
のびのびと、ハガキいっぱいに書かれている。
そしてこれまた楽しい落款とともに、必ずご自身のひと言も添えてくださる。
その方のお立場やお仕事を思うと
相当にお忙しいだろう、ということは容易に想像できるが
どうやってこんな年賀状を書く時間をひねり出しておられるのだろう…と思う。
寒く、澄んだ空気の新年の朝
ポストから年賀状の束を引き出し
冷たくなった手で一枚一枚年賀状を読んでいく中にその方の福々しい筆を見つけると
あぁ、新しい一年もきっと楽しくなるなぁ…と感じる。
いまや「年賀状の意味は生存証明のみ」などと言われてしまうこともあるが
こんな素敵な思いを一年の初日に抱かせてくれる年賀状は値千金だと思う。
感謝。

 

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今月の銀次くん。

縦縞じゃなくて横縞なので、ちょっとプリズン感が出にくいのですが
悪いことをしたあげく、牢屋に入れられてしまったような佇まいの銀次くん。
銀次くんなりに精一杯の悪人顔をして、やさぐれ漢(おとこ)の雰囲気を出そうとしています。

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そして

銀次くん的には超完璧に隠れているつもりらしいのですが
どうしてもどうしても長いしっぽだけ取り残されてしまう、可愛いかくれんぼ。

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花を買う。

まったく自慢できた話ではないが

私は植物が苦手だ。接し方が下手すぎて我ながらあきれる。

動物(犬猫)に対してのほぼ無駄なレベルの興味と向学心を
ちょっとでもいいから植物に向けられないものか、と
かりにも着物にたずさわる仕事をしている身としては常々思う。

そんな植物ダメダメ人間の私が
一年ほど前から
近所のお花屋さんで月に2、3度ほどの割合で花を買うようになった。

きっかけは昨年の早春。
商店街の小さなお花屋さんの前を通りかかった時に早咲きの桜が目にとまり
まだまだ十分に寒かったこともあって
その寒さの中の桜の佇まいにふと心惹かれて購入し、家に連れて帰った。
小さな枝3本ほどだったが
それから2、3日後の大雪の日にはその桜で雪見酒をしたりもした。
頑張って頑張って割と長く咲いてくれていた桜も散って
飾っていた花瓶が空になって
玄関スペースに花瓶だけを置いた時に
「なんだか寂しくなったなぁ…」と感じた。
重度の植物音痴の私としては不思議な感覚だった。

以来
我が家には四季折々、とまではいかないまでも
それなりになんとなくとぎれることなく
小さな花達がいてくれる生活になった。
犬猫に対しては何の照れもためらいもなく
「かわいいねー!えらいねー!かしこいねー!」という褒め言葉が(客観的に考えると)ちょっと(かなり)恥ずかしいオーバーアクションとともにいくらでも口をついて出るのに
花に対しては「かわいいなぁ」と思ってもなかなかそれを口に出しては言えない。
なぜだかイケナイコトをしているかのような照れくささがある。
それでもその折々に一生懸命(まさにこの「一生懸命」という言葉がぴったり!)咲いている花々を見ると
すごいねー、きれーだねー、とコソコソっとつぶやくようにはなってきた。
すると気のせいかもしれないが
その声に花が応えてくれて
より長く美しく咲いていよう、としてくれる(ように見える)。
犬猫ほどの直接的でわかりやすいコミュニケーションではないが
その控えめな強さや
迷いのない潔さを
いとおしく思ったり、カッコいいなぁ…と感じたり。
今までなかった感覚が自分の中に生まれてくる、というのは
新鮮でもあり
姿形(香りも!)の美しさ、可愛さ以外にも
折々の花々がさずけてくれるものは大きい、と思う。

そして今では
「花を飾る」「花を愛でる」前の段階の
「(自分や家族のための小さな)花を買う」というのが
植物音痴の私にとって
贅沢で楽しい時間となった。

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【翡翠〜かわせみ〜】の扇。

以前作った「翠の会」の夏扇。

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私のテーマカラーのグリーン地に
「翠の会」のロゴにもなっている翡翠が翔んでいます。
今回の創作自由市場での私の作品【翡翠〜かわせみ〜】で使った扇は
この夏扇のデザインを舞扇にうつしたもの。

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並べるとこれくらい大きさが違います。

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bluedesignのデザイナー・冨高和哉氏と
天保三年創業の扇屋さん・京扇堂さんhttps://www.kyosendo.co.jp/
にご協力いただきました。

 

※東京都「アートにエールを!」サイトにて

【翡翠〜かわせみ〜】配信中!!

↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

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新年の銀次くん。

「おしょうがつ の ごちそう は ぼく」。

自分で折敷に乗りました。

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そして

 

写真を撮られながら寝てしまいました。

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亡くなった先代猫のハチくんとは血縁でもなんでもない銀次くんですが

生まれてから2年間、一度も「シャー💢💢」という威嚇声をあげたことがない、のんびりヘタれの甘えんぼう気質は、なんとなく次男坊のようで

私の中では

ハチくんは「ハチ兄ちゃん」、銀次くんは弟、みたいな位置づけになっています。

我が家に来たばかりの頃は、野良猫上がりにありがちなヘルペスウイルスとの戦いでひと月で6回も動物病院に通ったり

歌舞伎座舞台が間近にせまった日の夜中、突然「チェリーアイ」という症状が出て、あわてて動物病院の救急に駆け込んだり

いろんなことがあった(そしてハチくんの一生分の医療費をわずか半年で軽く凌駕してくれた(*_*)(*_*))銀次くんですが

今ではあれはなんだったんだろう…というくらい元気(すぎ)になりました。

ちょっとくらいイタズラで手がかかっても、このまま健やかで幸せでさえいてくれれば、飼い主としては言うことはありません(^o^)。

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※東京都「アートにエールを!」サイトにて

【翡翠〜かわせみ〜】配信中!!

↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

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稽古場。

今年もこの稽古場でたくさん汗を流そう。

コロナで予定していた舞台が延期や中止になってしまった昨年。

今もまだ緊急事態宣言下で先行きは不透明だが
何が起きても
どんな時でも
私の踊りの出発点はここだ。

粛々と、誠実に、稽古を重ねる。
ただそれだけ。

稽古場にはそこを使う者の精神が宿る、と思う。

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※東京都「アートにエールを!」サイトにて

【翡翠〜かわせみ〜】配信中!!

↓↓↓↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

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身体のオーナー。

踊りで長く酷使している膝や腰の具合を調整するために

2週間に1度のペースで理学療法士の先生のところに通っている。

その時の膝や腰の状態に合ったトレーニングメニューを先生に考えていただき

そのほとんどは自宅でもできるので、家でしっかり(?)自主トレをし

2週間ごとに先生のところに伺って状態を診ていただくのだが

その時によく

ヒトの(私の)身体の筋肉・骨・腱・関節等々の機能や動きについて

時には人体模型を使って説明してくださったりする。

先生のお話を聞いていると

踊りで美しい形を作るために

身体中のさまざまな機能がどのように影響し合いながら動いているのか

その驚くべき繊細さと複雑さに

今更ではあるが、改めて気付かされる。

その働きっぷりは健気でさえあり

まるでそれぞれの機能がそれぞれの場所で

自分の能力を充分に(または正しく)理解してほしいと、一生懸命主張したがっているようにも思えてくる。

よくも悪くもこれまでこの身体で踊ってきて

これからもこの身体とともに踊り続けていく。

健気な働き者の身体を愛おしみ、感謝しつつ

自分の身体の内なる主張に丁寧に耳を傾けられるオーナーでありたいとしみじみ思う。

 

※東京都「アートにエールを!」サイトにて

【翡翠〜かわせみ〜】配信中!!

↓↓↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

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謹賀新年。

明けましておめでとうございます。

新居に越してから2回目のお正月。

我が家の新人・2代目猫の銀次君も元気に新年を迎えることができました。

ブラインドの影でウリ坊みたいになってますが…。

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今年も精進してまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

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翡翠〜かわせみ〜。

創作自由市場が東京都の「アートにエールを」プロジェクトに選出され

無観客公演ではありましたが

11月7日に開催することができました。

当日の舞台を映像編集して

本日より「アートにエールを」のサイトで配信されています。

URLはこちら。

↓↓↓↓↓

https://youtu.be/lX4ReS-RM1s

ぜひご視聴ください❗❗

 

さて、今回の私の作品タイトルは「翡翠〜かわせみ〜」です。

実は以前から

自分の名前でもっとも思い入れのある字(音)である「翠」をテーマにした作品を創りたい

と考えておりました。

ホームページにも書かせていただいてますが

「翠」はそれ自体「かわせみ」を表す文字です。

生命力と再生を意味するかわせみの艷やかなブルーグリーンの羽は

そのあまりの美しさから「飛ぶ宝石」と称されています。

私の芸名の「錦翠美」には

いつか自分もそんな迷いやにごりのない

生命力に満ちた

艶のある踊りが踊りたい

という思いが込められています。

現実はなかなか込めた思いどおりにはいきませんが

自分の原点は忘れずにいたいと思っています。

今回は「アートにエールを」からの時間制限があり

第二景のみのアップになります。

以下プログラムに掲載した

作品に寄せる私のコメントです。

↓↓↓↓↓

 

第28回創作自由市場

花柳錦翠美作品

「翡翠〜かわせみ〜」より 第二景【祈り】

月の降る夜

清流のほとりにどこからともなく一羽の翡翠(かわせみ)があらわれます

『飛ぶ宝石』と称されるその美しい羽は生命力と再生を意味し

翡翠はそれゆえ吉祥を告げる瑞鳥として

古代より神聖な役を担ってきました

月降りそそぎ

水面きらめく今宵

翡翠はその地に恵あれ・幸せあれと祈りながら舞い踊ります

今回は第一景【飛来】

第二景【祈り】

第三景【帰還】の中から

第二景【祈り】のシーンをおおくりします

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歌舞伎座。

来る7月29日・30二日間に渡って

花柳流二代目花柳壽輔五十回忌・三代目花柳壽輔十三回忌追善舞踊会が

歌舞伎座に於いて開催されます。

私は

30日夜の部3番

女流舞踊家6人による大和楽【河】に出演します。

ぜひご来場ください。

チケットお申込みはお問合せフォームより。

お問い合わせ

 

 

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明治神宮秋季例大祭・奉納舞踊。

11月2日、明治神宮秋季例大祭にて、長唄【外記猿】、を奉納させていただきました。

快晴の中、社殿の前に設けられた神前舞台で、神様に向かって踊らせていただく【外記猿】。

身の引き締まる思いと、ただただひたすらの感謝の念。

ますますの精進を誓った忘れられない一日となりました。

 

客殿をお借りして支度をしたのち、祝詞をあげていただくために社殿に移動。

客殿からお清めへ

玉串を奉納し、祝詞をあげていただいたのち、控室となる幔幕で囲まれたスペースで出番を待ちます。

アナウンスが入り、幔幕を出て、長いうすべり(花道)を歩いて神前舞台へ。

花道

花道・2

神前舞台の階段を上がり

階段

神様に礼をしたら、長唄の演奏が始まります。舞台下手にスタンバイ。劇場の舞台なら見えない部分です。

舞台袖スタンバイ

神様の御前、日の光と木々の緑の中で踊らせていただきました。

鞭・横向き

鞭・3

扇

四つ竹・アップ四つ竹・3

扇・2

劇場なら見えない、舞台後見座での表情。自分でも初めて見る自分の顔です。

後見座後見座・2

「稽古しよう。」「進めば進むだけ痛感する自分の未熟さを乗り越えるための近道はない。ただひたすらに稽古しよう。真摯に踊りと、自分と向き合おう。」

当たり前・今更のようなシンプルな気持ちが、胸を突き上げてきました。

 

すべてに感謝。

 

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