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明け方の夢。

明け方、久々に亡くなった母の夢を見た。

自転車でちょっと遠くのスーパーまで買い物に行ってくる、と言う。
わかった、と母を送り出したあと
私も夕方から出かける用があるので、あのスーパーだと母が帰宅するころには私はいないな、ちょうどすれ違いくらいかな、などと思いながら
家中のブラインドやカーテンを閉めてまわっている。

ふと

何の脈略もなく、母は先に出かけた父と待ち合わせをしているのではないかな、と思いはじめる。

次の瞬間場面は飛んで、なぜか私はもう母には二度と会えないんだろうな、と思っている。

いじわるでヒステリックで見栄っぱりで、娘の将来についてなど、興味もなければ責任も感じていなかった母。
が、同時に本能的な(?)情にあふれてもいた母。
自分で自分をどう扱っていいのか、生きている間中答えを出せなかった母。
時折びっくりするほど怯えた目をしていた母。

夢の中で、私は(意外にも)そんな母を(そんな母でも)好きなのかもしれない、と思っている。

そのあたりで目が覚めた。

家族や銀次くんの眠りが一番深い時間。
寝息に癒され、安心した朝。

 

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今月の銀次くん。

どこででもくつろげる漢。

 

 

過日、緊急地震速報が鳴り響くなかでも微動だにせず、爆睡しておられました…。

 

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「区外」の子。

私は小学生のときに、両親の(?)意向で決められた学区外の学校に通っていた。

いわゆる越境通学というやつだ。

運動会になると、グラウンドに地区ごとのテントが立って

〇〇区、△△区と描かれたテントの下で、親や祖父母が、自分達の子どもや、ちっちゃい頃から見知っている近所の子ども達をはりきって応援していた。

昼休みになると、お隣やお向いのおっちゃんおばちゃんも一緒の、大町内会ランチを繰り広げている大きな区もあったように思う。

そんな中、私の住んでいた越境区のテントは(当然のことながら)立てられることはなく

では、圧倒的少数民族の、越境区の児童達とその家族の居場所はどこだったか、というと

「区外」と描かれたテントだった。

越境区、といってもその地域はひとつだけてはなく、いろんな越境区から、学年も性別も違う児童がひとりふたりと通っていた。

お隣の〇〇さんちの△△ちゃんが産まれたときは、そりゃおじいちゃんが大変な喜びようでねー、などというお互いのエピソードなど知る由もない、言わば寄せ集め・ひとくくりのテントだ。

「われらが区」という意識が希薄(というか持てない)せいか、他のテントに比べてなんとなく盛り上がりに欠けるというか、お行儀がよいというか、とにかくひとつにまとまっている感がある、とは到底言いづらいテントだった。

良くも悪くもお互いとても自由。

この時の「区外意識」が基になったのか、長じてからも、この「良くも悪くも群れずに、自由」の気質は、私の中にそこはかとなく、でもとぎれることなく居座っていて、

隣のテントは、にぎやかだけど大変そうだなぁ、こっちのテントは仲間は少ないけど自由でいいなぁ、という、言葉にするほどのこともない、フンワリした、でも揺らがない感覚がある。

たから即それが行動に反映されるか、というとそういうわけでもなく

何かにつけ、隣のテントをにぎやかだけど「大変そうだなぁ…」とつい感じてしまいがちな自分

「わ〜、しばりがないってめっちゃ楽しい〜」と思ってしまいがちな自分がいる、という程度のことだ。

にもかかわらず、なのか、たからこそなのか

「あなたも参加にしといたからね、絶対来てよ〜」「明日、来るよね?欠席とかなしだからね、皆待ってるんだからね〜」などという、当たり前の「INの人」扱いをされると

なぜか人様以上に嬉しくなってしまう自分もいて(もちろん大前提として、近所のおっちゃんおばちゃん程度にはお付き合いがあって好きな人達に限るが)

なかなかやっかいな性格だな、と自分でも思う。

そんなやっかいな性格とともに、それでもどうにかこうにか生きてきた私を

昔も今も変わらず「区外とか関係ないから」のスタンスで、当然の「IN」扱いをしてくれる友人達の存在を

歳を重ねれば重ねるほどありがたく、嬉しく思う。

 

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「五月雨」。

7月9日(日)
16時30分〜
国立劇場小劇場にて開催される
【日本舞踊ダンサーズネットワーク・結成11周年記念公演】に出演します。
私は18時過ぎの出演になるかと思います。

演目は長唄「五月雨」。五月雨降る中、想いにふける女の踊りで
比較的短い曲ですが、色気・風情・情緒などがたっぷりと織り込まれた、花柳流にとって大切な演目のひとつです。

ぜひご来場ください!

お申し込みは下記フォームより。

https://kinsuimi.com/contact

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いろいろまとめて更新。

かなりのご無沙汰。

ご無沙汰の間に
熊本で大学の同級生に会ってきました。

良くも悪くもとんでもなく無邪気な時代を一緒に過ごし
今さら何を気取ることも構えることもなく
恥ずかしくも(?)楽しい思い出話に花を咲かせることができ
そしてこれからの生き方をポジティブに見据えるための力を与えてくれる
大好きで素敵なふたりです。

 

こちらは高円寺で開催された「高円寺大道芸2023」。

一日中、街のあちらこちらでいろんな大道芸がくり広げられていましたが、その中で、麿赤兒さん率いる舞踏集団・大駱駝艦のパフォーマンスや
「逃げ恥」のオープニングテーマでもお馴染みのチャラン・ポ・ランタンの路上ライブなどを観てきました。
チャラン。ポ・ランタン、歌もアコーディオンも楽しくて、元気で、不思議な世界観があって、30分の持ち時間があっという間でした。

最後は、路上ライブらしく歌いながら木戸銭?(投げ銭?)用の虫かごを持って見物客の中を回っていましたが、あっという間に虫かごは千円札でいっぱいに。もちろん私も即入れさせてもらいました。
こんな楽しい30分をいただいて、タダで帰っちゃ申し訳ない、素敵なライブに感謝、感謝の思いを込めて投げ入れました。

パフォーマンスとお代の本来あるべき姿、もっとも清々しく、かつ、理想的・根本的な意味を見たように思い、ふと我が身のことを振り返ってしまうような一瞬でもありました。

 

最後は、今月の…ではなく、先々月の銀次くん。
無理やり節分モード。

「すごく、いや」だったそうです…(銀次談)。

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謹賀新年。

明けましておめでとうございます。

今年も精進してまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

銀次くんも兎年モード。

 

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「おせん」。

金曜赤坂座・初冬の会で「おせん」を踊らせていただきました。

ご来場くださった皆様、ありがとうございましたm(_ _)m。

夜の部・出番前楽屋で。

 

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金曜赤坂座・初冬の会。

金曜赤坂座・初冬の会に出演します。

このたびは初役の「おせん」。

小村雪岱の世界を少しでも感じていただけるよう、精一杯つとめさせていただきます。

私の持ちチケットは完売してしまったのですが、当日券が若干出るもよう。

ぜひお運びください!!

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【ノバ・ボサ・ノバ】のピエロ。

コロナ規制が少しずつ緩和されていく中、行きたかった・観たかったコンサートや舞台に出向いている。

そんな折、何十年も前に劇場中継で一度観ただけなのに以来忘れることのてきなかった、宝塚花組・安奈淳さん主演の【ノバ・ボサ・ノバ】というショーの動画(中継フルバージョン)をユーチューブで見つけ、久々に観てみた。

ブラジル・リオのカーニバルの、わずか何日間かに繰り広げられる人間模様を描いたもので、登場人物が皆情熱的で刹那的で、ちょっとインチキくさくて愛おしい。

強烈なサンバのリズムとソウルフルな音楽に、狂乱と紙一重のようなトランス状態のダンスが続く中で幕切れとなる。

「夢と美の世界」が代名詞のような宝塚にあって、当時そのような類のショーというのはセンセーショナルなことだったらしく

今観ても新しいこの安奈淳さん主演の【ノバ・ボサ・ノバ】は、確か芸術祭賞か何か??を受賞し、宝塚の評価を「夢のように美しい少女歌劇団」以上のものにのし上げた、と聞いたように思う。

これをゼロから創り上げた鴨川清作さんはじめ、演出・音楽・振付等々のスタッフの方々と、絶頂期の安奈淳さんをトップに、黄金時代を築いた当時の花組のキャストの方々

ぶっ飛んた才能が集結するとこんなバケモノみたいに圧倒的な傑作が生まれるのか、と改めて思う。

当時私は特に宝塚ファンというわけでもなく、空前絶後の第一期ベルばらブームも「それなりに」乗っかって楽しむ程度だったと思うが

この安奈淳さんの【ノバ・ボサ・ノバ】は宝塚の枠関係なく、まだ田舎の少女(?)だった私の中にそれまでにない驚きと感動をもたらしてくれた作品だった。

そして年齢も経験も価値観も大きく変化しているはずの今観ても、その感動は薄れるどころかますます深かったことに驚かされる。当時の【ノバ・ボサ・ノバ】という作品が持つ革命レベルの斬新さとエネルギーに、まさに心揺さぶられる思いだった。

ただひとつ、当時とは感じ方が違ったことがあって

劇中要所要所に「3人組のピエロ」が登場するのだが、当時はそれほど気に留めてなかったように思うこのピエロ達に、今回は文字通り「心を奪われている」。

その奪われ方のレベルが我ながら尋常ではなく、役としてはそれほど大きくはないのかもしれないが、その何回かの短い登場シーンを繰り返し再生しては毎回号泣している。

ピエロが喜んでいるとき(たいていはハッチャケているのだが)も、泣いているときも、笑っているときも、踊り狂ってるときも、酔っ払っているときも、とにかくどのシーンを観てもなぜか涙が溢れて仕方ない。

なぜこんなに泣けてくるのか(もしや老化か!?)、自分でもわけがわからない。むき出しの心臓をガシガシ揉まれているかのような感覚になる。

しつこく観ていると三人三様ちょっとずつキャラクターが違い、そのキャラクターにそって同じ表現でも微妙にテイストが異なっていたり、踊り方にもそれぞれの個性があったりする。

曲がりなりにも踊り屋のひとりとして、「あー、なるほどここはこだわって何度も何度も稽古されたところなんだろうなぁ」などというマニアックな見方をしている部分もある。

演じているキャストの3人はどんな方達なんたろう…きっと素敵なんだろうなぁ…と思いを馳せたりもする。

が、そんな理屈がどうこうの話ではなく、とにかく三人三様のピエロ達が愛おしくて愛おしくて、好きで好きで仕方ない。

毎日毎日会いたいと思い、毎日毎日再生してしまう。そして毎回毎回年甲斐もなくウルウルになっている。

さすがに自分ても持て余し気味の心の揺れようだが

これも【ノバ・ボサ・ノバ】の持つパワーなのだろうか、と思う今日この頃。

 

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酷暑の中で。

酷暑のバス停。

皆バス停近くの木陰に避難(避暑)しながら目当てのバス待ちをしています。

上を見上げると青々とした葉を広げた大きな木が、災害級の強い日差しを遮ってくれていました。

渋谷、という都会のど真ん中にたたずむ木が、頼もしく凛々しく思えた暑い暑い夏の日。

 

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今月の銀次くん(とモカちゃん・マルルちゃん)。

あれ?銀次くんちょっと太った?と言われそうなショット😅。

 

お茶の先生のお宅の姫・モカちゃん。

 

先生のご友人の姫・マルルちゃん。

 

コロナ対策を充分に行ったうえで
お茶の先生のお宅で開催していただいた「ネコを愛でる会」。
自分のウチに天使のようなネコがいるにもかかわらず
それはそれで
人様のウチの天使とも遊ばせていただきたくなるのがネコ飼いの性(?)。

楽しい一日でした。

 

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城南ブロック舞踊会。

8月21日(日)
国立劇場・大劇場にて
日本舞踊協会東京支部城南ブロック舞踊会が開催されることになりました。
 
私は夜の部で
 
二世・花柳壽楽振付
長唄「水仙丹前」
 
を踊ります。
 
人間国宝であられた私の大師匠、故・花柳壽楽先生振付による「水仙丹前」を踊る幸せと怖さを噛みしめながら
今の私に精一杯の舞台を努めさせていただこうと思っています。
 
ぜひご来場ください!!
 
 
チケットはお問い合わせフォームより。
↓↓

https://kinsuimi.com/contact

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傘(の呪い?)。

雨の季節。

ということはつまり

私にとっては傘を何本なくすか知れたものじゃない季節、ということになる。

こんなことではいけない(毎年言っている気もするが)と

今年は(あまり好きではない)折りたたみ傘を買った。

私にしてはそこそこお値段もはるヤツ。

とにかく晴れたら即(嫌だけど)バッグにしまってしまえば置き忘れもないはず。

齢〇〇にして一歩前進、のつもりで出掛けた。

 

…ものすごい突風にあって、半日もたずに骨が壊れた…。

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クランクアップ。

昨年暮れから携わらせていただいた映画のお仕事がクランクアップ。

最高のキャスト・スタッフの皆様と一緒にお仕事をさせていただき幸せでした。

情報公開になりましたら、またこちらのホームページでもお知らせします。
ぜひ劇場でご覧ください!!

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芸名の「すい」。

錦翠美、の翠という字には、私なりの思い入れがあることはこのホームページの「プロフィール」欄でもお話させていただいてますが
実はその思い入れの他にも、芸名に翠の字をつかった理由があります。

私の先祖に某寺の高僧がおり、その僧としての名前に「邃」という字がつかわれていました。
出来損ないの末裔としては、僧として立派なおつとめをはたされたご先祖様にあやかりたく
ただマルッポいただくのは申し訳なさすぎて気が引けるので
「邃」の音のみを頂戴し
「翠」の字を芸名につかわせていただきました。

今日はそのご先祖様が眠っておられる地でのロケです。
末裔が未熟ながらもそれなりに頑張っている姿を見ていただけたらいいなぁ…などと勝手に思っています。

 

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新幹線ホームの自動販売機。

新幹線のホームで、幼児二人とそのお父さんらしき男性がドリンクの自動販売機の前でそこそこ長いこと陣取り、ああでもないこうでもないとやっている。

どうやら父親はICカードでのドリンクの買い方を幼児二人に教えたいらしいのだが…

三人のうしろにはやはりドリンクを買いたがっている女性が並んていて
そこに、あきらかに彼女が乗ろうとしている新幹線が入ってきた。

父親は、背伸びしてもICカードのタッチ版になかなか手が届かない幼児に「ほら、もうちょっとだから。」と声をかけ
いよいよ新幹線がホームに止まりそうになると、「だめだなぁ〜。」と笑いながら幼児のひとりを抱き上げ、「ほら大きくなった。ピッとなるまで押してないと買えないよ。」と(近くのベンチに座っている私にも聞こえるくらいのまぁまぁの大声で)教えはじめた。

どう見てもイライラしていたうしろの女性はドリンクを買うのをあきらめ、慌てて新幹線にとび乗っていった。

もちろんホームに自動販売機はそこだけではないだろうし、よほどドリンクの好みが限定されてないかぎり、そこでしか買えないものでもないだろう。

が、であったとしても、わざわざ公共の乗り物のホームで、まだタッチ版に手も届かないような幼児に、自動販売機でのドリンクの買い方をレクチャーする、というのはアリなのだろうか。

仮にアリだとしても、今回のような状況になったとき、父親が教えるべきは「失礼しました。とうぞお先に。」ではないだろうか。

女性がとび乗った新幹線がホームを出ていったあと、親子三人は自動販売機の前に座り込んてなにやら大笑いしていた。
電車好きの親子が新幹線発着の様子を見に来て、その延長線でドリンクを買う練習もしてみたのだろう。
よくよく考えれば微笑ましい光景で、何もいちいち疑問を感じることでもないのかもしれないが
なんだかスッキリしない心持ちのまま、私も次の新幹線に乗り込んで出かけた。

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