なにがどうなってるのか、境界線がよくわからない足と尻尾。
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金曜赤坂座・初冬の会。
金曜赤坂座・初冬の会に出演します。
このたびは初役の「おせん」。
小村雪岱の世界を少しでも感じていただけるよう、精一杯つとめさせていただきます。
私の持ちチケットは完売してしまったのですが、当日券が若干出るもよう。
ぜひお運びください!!
【ノバ・ボサ・ノバ】のピエロ。
コロナ規制が少しずつ緩和されていく中、行きたかった・観たかったコンサートや舞台に出向いている。
そんな折、何十年も前に劇場中継で一度観ただけなのに以来忘れることのてきなかった、宝塚花組・安奈淳さん主演の【ノバ・ボサ・ノバ】というショーの動画(中継フルバージョン)をユーチューブで見つけ、久々に観てみた。
ブラジル・リオのカーニバルの、わずか何日間かに繰り広げられる人間模様を描いたもので、登場人物が皆情熱的で刹那的で、ちょっとインチキくさくて愛おしい。
強烈なサンバのリズムとソウルフルな音楽に、狂乱と紙一重のようなトランス状態のダンスが続く中で幕切れとなる。
「夢と美の世界」が代名詞のような宝塚にあって、当時そのような類のショーというのはセンセーショナルなことだったらしく
今観ても新しいこの安奈淳さん主演の【ノバ・ボサ・ノバ】は、確か芸術祭賞か何か??を受賞し、宝塚の評価を「夢のように美しい少女歌劇団」以上のものにのし上げた、と聞いたように思う。
これをゼロから創り上げた鴨川清作さんはじめ、演出・音楽・振付等々のスタッフの方々と、絶頂期の安奈淳さんをトップに、黄金時代を築いた当時の花組のキャストの方々
ぶっ飛んた才能が集結するとこんなバケモノみたいに圧倒的な傑作が生まれるのか、と改めて思う。
当時私は特に宝塚ファンというわけでもなく、空前絶後の第一期ベルばらブームも「それなりに」乗っかって楽しむ程度だったと思うが
この安奈淳さんの【ノバ・ボサ・ノバ】は宝塚の枠関係なく、まだ田舎の少女(?)だった私の中にそれまでにない驚きと感動をもたらしてくれた作品だった。
そして年齢も経験も価値観も大きく変化しているはずの今観ても、その感動は薄れるどころかますます深かったことに驚かされる。当時の【ノバ・ボサ・ノバ】という作品が持つ革命レベルの斬新さとエネルギーに、まさに心揺さぶられる思いだった。
ただひとつ、当時とは感じ方が違ったことがあって
劇中要所要所に「3人組のピエロ」が登場するのだが、当時はそれほど気に留めてなかったように思うこのピエロ達に、今回は文字通り「心を奪われている」。
その奪われ方のレベルが我ながら尋常ではなく、役としてはそれほど大きくはないのかもしれないが、その何回かの短い登場シーンを繰り返し再生しては毎回号泣している。
ピエロが喜んでいるとき(たいていはハッチャケているのだが)も、泣いているときも、笑っているときも、踊り狂ってるときも、酔っ払っているときも、とにかくどのシーンを観てもなぜか涙が溢れて仕方ない。
なぜこんなに泣けてくるのか(もしや老化か!?)、自分でもわけがわからない。むき出しの心臓をガシガシ揉まれているかのような感覚になる。
しつこく観ていると三人三様ちょっとずつキャラクターが違い、そのキャラクターにそって同じ表現でも微妙にテイストが異なっていたり、踊り方にもそれぞれの個性があったりする。
曲がりなりにも踊り屋のひとりとして、「あー、なるほどここはこだわって何度も何度も稽古されたところなんだろうなぁ」などというマニアックな見方をしている部分もある。
演じているキャストの3人はどんな方達なんたろう…きっと素敵なんだろうなぁ…と思いを馳せたりもする。
が、そんな理屈がどうこうの話ではなく、とにかく三人三様のピエロ達が愛おしくて愛おしくて、好きで好きで仕方ない。
毎日毎日会いたいと思い、毎日毎日再生してしまう。そして毎回毎回年甲斐もなくウルウルになっている。
さすがに自分ても持て余し気味の心の揺れようだが
これも【ノバ・ボサ・ノバ】の持つパワーなのだろうか、と思う今日この頃。
今月の銀次くん。
葉っぱと同じ色の瞳。
「水仙丹前」・舞台写真。
今月の銀次くん。
力士!?
酷暑の中で。
酷暑のバス停。
皆バス停近くの木陰に避難(避暑)しながら目当てのバス待ちをしています。
上を見上げると青々とした葉を広げた大きな木が、災害級の強い日差しを遮ってくれていました。
渋谷、という都会のど真ん中にたたずむ木が、頼もしく凛々しく思えた暑い暑い夏の日。
今月の銀次くん(とモカちゃん・マルルちゃん)。
あれ?銀次くんちょっと太った?と言われそうなショット😅。
お茶の先生のお宅の姫・モカちゃん。
先生のご友人の姫・マルルちゃん。
コロナ対策を充分に行ったうえで
お茶の先生のお宅で開催していただいた「ネコを愛でる会」。
自分のウチに天使のようなネコがいるにもかかわらず
それはそれで
人様のウチの天使とも遊ばせていただきたくなるのがネコ飼いの性(?)。
楽しい一日でした。
城南ブロック舞踊会。
今月の銀次くん。
逆さ好き。
傘(の呪い?)。
雨の季節。
ということはつまり
私にとっては傘を何本なくすか知れたものじゃない季節、ということになる。
こんなことではいけない(毎年言っている気もするが)と
今年は(あまり好きではない)折りたたみ傘を買った。
私にしてはそこそこお値段もはるヤツ。
とにかく晴れたら即(嫌だけど)バッグにしまってしまえば置き忘れもないはず。
齢〇〇にして一歩前進、のつもりで出掛けた。
…ものすごい突風にあって、半日もたずに骨が壊れた…。
今月の銀次くん。
真剣。
窓の外に虫がいます。
クランクアップ。
昨年暮れから携わらせていただいた映画のお仕事がクランクアップ。
最高のキャスト・スタッフの皆様と一緒にお仕事をさせていただき幸せでした。
情報公開になりましたら、またこちらのホームページでもお知らせします。
ぜひ劇場でご覧ください!!
芸名の「すい」。
錦翠美、の翠という字には、私なりの思い入れがあることはこのホームページの「プロフィール」欄でもお話させていただいてますが
実はその思い入れの他にも、芸名に翠の字をつかった理由があります。
私の先祖に某寺の高僧がおり、その僧としての名前に「邃」という字がつかわれていました。
出来損ないの末裔としては、僧として立派なおつとめをはたされたご先祖様にあやかりたく
ただマルッポいただくのは申し訳なさすぎて気が引けるので
「邃」の音のみを頂戴し
「翠」の字を芸名につかわせていただきました。
今日はそのご先祖様が眠っておられる地でのロケです。
末裔が未熟ながらもそれなりに頑張っている姿を見ていただけたらいいなぁ…などと勝手に思っています。
新幹線ホームの自動販売機。
新幹線のホームで、幼児二人とそのお父さんらしき男性がドリンクの自動販売機の前でそこそこ長いこと陣取り、ああでもないこうでもないとやっている。
どうやら父親はICカードでのドリンクの買い方を幼児二人に教えたいらしいのだが…
三人のうしろにはやはりドリンクを買いたがっている女性が並んていて
そこに、あきらかに彼女が乗ろうとしている新幹線が入ってきた。
父親は、背伸びしてもICカードのタッチ版になかなか手が届かない幼児に「ほら、もうちょっとだから。」と声をかけ
いよいよ新幹線がホームに止まりそうになると、「だめだなぁ〜。」と笑いながら幼児のひとりを抱き上げ、「ほら大きくなった。ピッとなるまで押してないと買えないよ。」と(近くのベンチに座っている私にも聞こえるくらいのまぁまぁの大声で)教えはじめた。
どう見てもイライラしていたうしろの女性はドリンクを買うのをあきらめ、慌てて新幹線にとび乗っていった。
もちろんホームに自動販売機はそこだけではないだろうし、よほどドリンクの好みが限定されてないかぎり、そこでしか買えないものでもないだろう。
が、であったとしても、わざわざ公共の乗り物のホームで、まだタッチ版に手も届かないような幼児に、自動販売機でのドリンクの買い方をレクチャーする、というのはアリなのだろうか。
仮にアリだとしても、今回のような状況になったとき、父親が教えるべきは「失礼しました。とうぞお先に。」ではないだろうか。
女性がとび乗った新幹線がホームを出ていったあと、親子三人は自動販売機の前に座り込んてなにやら大笑いしていた。
電車好きの親子が新幹線発着の様子を見に来て、その延長線でドリンクを買う練習もしてみたのだろう。
よくよく考えれば微笑ましい光景で、何もいちいち疑問を感じることでもないのかもしれないが
なんだかスッキリしない心持ちのまま、私も次の新幹線に乗り込んで出かけた。
明日からまたロケ。
「やっぱり どうしても おるすばんは なっとくできない」。
今月の銀次くん。
なんとなくQRコード。
【やんごとなき一族】。
フジTV・木曜夜10時
土屋太鳳さん主演
【やんごとなき一族】
第二話は本日放映。
見ましょう〜!!
https://www.fujitv.co.jp/yangoto/introduction/
【やんごとなき一族】。
フジTV・木曜夜10時
土屋太鳳さん主演
【やんごとなき一族】
第二話は明日放映。
見ましょう〜!!
https://www.fujitv.co.jp/yangoto/introduction/
ロケ地より。
夜は東京の真冬並みに冷え込みます。
しかも屋外でのナイター撮影。
防寒をしっかりしていざ出陣。
まずカイロは必携。
和装コートにマフラー。
今回はその上にさらに衣装部さん特製「着物用ホンチョ」もお借りしました。
風を通さない素材で、裏側には10枚ほどカイロを貼ってます。
風邪をひくこともなく、無事帰京できそうです。
本日よりロケで某地へ。
昨夜荷造りをしていたら
いつの間にかちゃっかり銀次くんが収まってました。
一緒に行きたかったのかな?
でも、君はお留守番だよ。
よく見るとおしりがなんとなくハート型。
今月の銀次くん。
いろいろはみ出してます。
本人的には納得しているのか…??
桜の頃に。
亡くなった母の夢を見た。
私にしてはめずらしく内容を覚えてないが
寂しそうにしている母がいた。
最期まで親子としてしっくりと折り合うことのなかった母だった。
私が何をどれ位どう感じて日々過ごしていたのか、興味も関心も持たない母だったが
それゆえ私も到底母という人を理解できなかった。
が、長い時が経ってふと
母は興味も関心も持たなかった、のではなく、持てなかった、のではないか、と思ったりもする。
うまく言えないが、母は思考や理屈よりも感覚や感情(のみ)で生きていたような人で
母には母の心の葛藤や苦悩があって
心の整理がつかない日々の連続だったのだろうと思う。
ただ、その葛藤や苦悩の原因を分析して解決する、という回路が自分のなかに存在しなかったがために
もっとも身近にいた娘に自らの苦悩をぶつけるか
ただ為す術も武器も持たないままあきらめていくしかなかったのかな、とも思う。
ぶつけている、とか、あきらめている、とかの自覚すらないままに。
良くも悪くもあまりに無防備な生まれたての赤ん坊、みたいな人だったのかもしれない。
赤ん坊は泣けばたいてい回り中の大人が飛んでくるが
母のそばにはいったいどれくらい飛んできてくれる人がいたのだろうか。
そもそも母の叫びは回りに届いていたのだろうか。
母の心の痛みに耳を傾け、寄り添ってくれる人がひとりでもいたら、母も私も違う人生を送ったのだろうか。
なんだか母が随分大変な人生を送ったかのような文面になってしまったが
母は母でそれなりに幸せな人生だったのだろう、と思いたい私もいて
いまだ母とのわだかまりを解決できずにいる心の狭い私は
すでに母よりも長く生きてしまっている。
何を言いたいのか、とりとめのない話になったが
母が逝った桜咲き誇るこの時期は
生前の母のどうしようもない孤独を思う。
撮影所の桜。
本日、満開。
今月の銀次くん。
リビングの窓から見えるお隣さんとの間の塀は
どこぞの猫ちゃんのお散歩コースになっているようです。
本日も塀を通っていつものお出かけ。
銀次くんがめっちゃ真剣にお見送りしてました。
もしかしてお散歩猫ちゃんは女のコなのかな?
銀次くん、残念だけどその恋は実らないと思うよ〜💧💧。
今月の銀次くん・2。
最近留守がちで極端に在宅時間が短い私に対するストライキなのか
呼んでも無視
口をきかない
私以外の家族だけを出迎える
抱っこしてもプイッと離れて2階に駆け上がる
などなど…
ちょっと(かなり)泣きたくなるくらいのスネスネ攻撃を仕掛けてきます…。
銀次くんは今の家に引っ越してきてからすぐにコロナに突入したので、「皆ずっと在宅」が当たり前、というふうに刷り込まれてしまったようです。
寂しいよね、銀次くん。
…というよりこんな不当で理不尽な扱いは許しがたい、かな。
家にいるときはいっぱいいっぱい一緒に遊ぶから、ご機嫌直してね〜💦💦。
撮影所のランチ。
撮影所でちょっと早めのランチ。
感染症拡大防止のため、基本黙食、レストランの席もスクール形式になっています。
クランクアップまでの3ヶ月、毎朝体調報告をし、定期的なPCR検査を受け
コロナにかからないよう、持ち込まないよう、細心の注意を払い
免疫力をマックスに保ちながらのお仕事です。
今月の銀次くん。
置物化。
雪の日の階段で。
東京が再び大雪。
雪で凍った駅の階段を用心しつつ降りながら
病で早世した友人のことを思い出す。
友人、といっても10歳ほど先輩で
人生の紆余曲折を乗り越え、某会社の社長にまで上りつめた、日本舞踊とは縁もゆかりもないバリバリのビジネスマン。
日々を楽しむことが上手で
向上心と情愛にあふれた、とても愉快な人だった。
彼の愛読書は徒然草で、ある時その中の「高名の木登り」について話してくれたことがあった。
ある木登りの名人が弟子に高い木に登らせて枝を切らせていた。
とても危険だと思える高さの時は何も言わなかったのだが
屋根の高さくらいまで降りてきたところで「落ちるなよ。気をつけて降りろよ。」と声をかけた。
「これくらいの高さになればそれほど危険はない。なぜわざわざこのタイミングで声をかけたのか?」と問われた名人は
「目がくらむような高さにいる時は登っている本人自身が怖いと思っている。そのときは何も言いません。けがは、もう安全だ、と思ったところになってするものです。」と答えた。
彼はこの教訓を社長として一個人として
いつも心に留めるようにしていると言っていた(そのわりに私の知っている一個人の部分に限って言えばどこか抜けているところもあって、そこがまたご愛嬌でもあったのだが)。
また「横断歩道を渡る時、青だから安心、は間違い。交通事故は、信号なんかかんけーねーというクレイジーなノリの人や、信号を遵守する能力のない人のところで起きる。青の時こそ気をつけるんだよー。」
とも言っていた。
どれも、九州生まれでウインタースポーツをまったくやらず、雪に不慣れな私のためにあるような教訓だな、と思いながら
階段の最後の3段をソロリソロリと降りてみる。
「努力をするのは当たり前。天才っていうのは、努力の仕方を知ってる人のことなんだよー。」とも言っていた。
そもそもの能力のなさにくわえて、ピンボケかつ無駄な努力をグズグズしてしまうタイプの私には、いろんな意味で考えさせられる言葉だなぁ…などと思う。
雪が降り続くこんな日は
心の中で今も生き続けてくれている、大切な友人の存在を感じる。
「いつの間にか」。
出先からの帰途、夕方5時にもかかわらずまだ空が明るい。
いつの間にか日が長くなってたんだなぁ、と気づく。
そういえば、入門したての頃はあきらかに着物に着「られて」いる感のあった弟子が
稽古を重ねていくうちに、いつの間にか自分の体格や雰囲気にあった素敵な着物姿を披露してくれるようになっていて
それどころか
たとえば挨拶をするとか、人様に何か物を手渡すとか
着物でのなにげないしぐさがとても美しく、かつ、理にかなったものになっていたりする。
たぶん本人は無意識なんだろうな、と思うが
この「無意識に」というのはとても大切なことで
それだけ自分の中で「着物でいること」が咀嚼できている、と言える。
師匠としては
日が長くなったなぁ、の「いつの間にか」よりも
何倍もうれしい「いつの間にか」だな、と思う。