四月並みのあたたかさ。
梅も終わらないうちから桜の話が出ている。
桜にまつわる忘れられないシーンが二つ浮かぶ。
一つは母が亡くなった日。
朝方逝った母を病院から自宅まで車で連れて帰った。
花酔いしそうなくらいの満開の桜の中を一時間程走った。
私はひたすら桜に見とれ
〈なんてきれいなんだろう・・〉と思っていた。
母の死を正しく(?)受けとめ
ゾッとするほどの喪失感に襲われるのは
まだまだその日からずっとあとのことで
その時の私は
哀しくもなければ寂しくもないただただ空っぽで何もない心の中で
桜の美しさを大事に大事に(妙な表現だけど)反芻していた。
さらに言えばそうやって反芻している自分を
もう一人の自分が見つめていた。
あの時の桜ほどきれいな桜にはその後出会ってない。
たぶん幸せなことなんだろう。
もう一つは先日亡くなられた壽楽先生。
先生が会主のおさらい会を拝見しに伺った。
トリは当然壽楽先生で演目は〈七福神〉だった。
その一つ前の演目が〈京鹿子娘道成寺〉だったのだが
その日は〈道成寺〉が終わって幕が降りても
ずっと太鼓の音が鳴り続けていて
つまり幕は降りたものの
まだ〈道成寺〉の舞台は続いているかのような雰囲気になっていった。
やがてスルスルと緞帳があがると
なんと〈道成寺〉の背景のままの舞台のセンターに
紋付袴姿の壽楽先生がお辞儀をして座られていた。
〈七福神〉なら鳥の子の屏風などをバックに踊るのが通常の演出なのだが
その時の壽楽先生は道成寺の桜の背景と
時折舞い落ちてくる桜の花びらの中にひかえていらした。
絢爛豪華な〈道成寺〉の衣裳のためのセットなのに
シンプルな紋付袴でも不思議と何の違和感もなかった。
私はそのような演出を拝見するのは初めてだったが
会場にも驚きと感動のざわめきが広がった。
先生の〈七福神〉を拝見させていただいている間
ふわふわとした甘い夢を見ているような幸福観につつまれた。
あの時
幕
があがって劇場がざわめく中
お辞儀からゆっくりと顔を上げられたあの時の先生のお顔
ふところに幸せの玉でもしのばせているかのような
あたたかくて慈愛に満ちた微笑みをたたえた先生のお顔が
今でも心に残って忘れられない。