11月6日、北沢タウンホールで
創作自由市場を開催します。
今回の私の作品は以前上演した<雨>の再演で
テーマは変えずに作品をリメイクし
初演では一人で踊ったものを二人立ちにしました。
タイトルは<AMEGAMI~雨神~>。
乾ききった大地や木々を
嬉々として揺り起こし目覚めさせる
雨神達の踊りです。
今日はその<AMEGAMI~雨神~>で使う音の編集で音響さんに来ていただき
音入れの作業をしました。
毎度のことながら
「この音とこの音をあと0.5秒早く重ねてください」
「もう気持ち耳に聞こえる音がはっきりするとありがたい」
「もう2秒音をのばしてください」などなど
私の細かな注文に魔法のように自由自在に答えてくれる音響さんに感動。
また専門家のお立場からいろいろと客観的なアドバイスもいただき
本当に感謝感激です。
前回の音入れ時よりさらにバージョンアップしたソフトで
約5時間で編集終了。
おつかれさまでした。
ブログ
はまりもの。
そのような幸せ、不幸せ。
チンケな小箱を後生大事にかかえこんで
中に残っている量を気にしながら
姑息な帳尻合わせに神経をすりへらし
おずおずと
箱から取出し差し出す愛情の貧しさ。
心という無限の宇宙で
汲めば汲むほど湧き出てくるから
少しくらい取りこぼしたところでおかまいなしで
両手両腕ですくい上げては
何度でもいくらでも
おしみなく差し出す愛情の豊かさ。
Sant′ Eustachio とかいうカフェ
イタリアに行ってたSさんが今日からお稽古場に復帰。
チョコレートをおみやげにいただきました。
サントなんとかっていうカフェ(イタリア語ではバール?)のコーヒー豆を
チョコレートでコーティングしたもの。
知っている人は知っている有名なチョコ
だとか。
香ばしくておいしい
!
飼い主バカ、全開!
私とハチのお誕生日は同じ9月14日。
正確に言うと
〈生まれたばかりのこんなネコがいて里親を探している〉という電話をいただいたのが
4年前の9月14日だ。
ハチは初対面の人間でも全く警戒しないどころか
会った瞬間から友好モード全開の愛されキャラだが
意外にもヤツの生い立ちは結構悲惨だ。
4年前あるペットショップの前に
へその緒がついたままの3匹の赤ちゃんネコが
ビニール袋に入れられ
母親の胎盤ごと捨てられていた。
ショップの店員さんが見つけ
あわてて処置をし暖めてあげたことで
なんとか3匹とも死なずにすんだ。
その3兄弟のうちの1匹が今のハチ。
とりあえずしばらくは緊急避難的にそのショップで育てるにしても
飼ってくれる里親を探さなければ、ということになったのだが
その店員さんのご友人が私のお弟子さんのKさんのお嬢様だった関係で
〈筋金入りの動物好き、の先生なら飼ってくれるかも〉ということで
私に白羽の矢が立ったというわけだ。
それから一ヵ月が過ぎた頃
ハチが我が家にや
ってきたのだが
その後の私の聞くにたえない飼い主バカっぷりはご承知のとおり。
そんなわけで悲惨と言えば悲惨なのだが
ハチの悲惨な運命は生まれてからの何時間か(?)のみで
ペットショップでも店員さん達にさんざん可愛い、可愛いとかわいがられ
我が家にやってきてからも
私の(ヤツにとっては時々やや迷惑なくらいの)過多な愛情に見守られ(または付き合わされ?)
ハチのまわりにはいつもホワホワとたくさんの愛情が浮遊していた(と私は勝手に思っている)。
ハチはだから他者に愛されることも
また自らの愛(?)を主張することも
あたりまえのようにごく自然に受け入れる陽気で甘えんぼのネコになった。
ハチのまわりではいつも
愛情がいっぱいつまったシャボン玉みたいなものが楽しそうに飛び回っている。
時々お得意のネコパンチで割ってしまうのだが
次々に新しい愛色のシャボン玉が生まれてくる。
そしていつのまにかハチ自身が
そのシャボン玉の発信元になってしまった。
だから
おこがましくもハチを幸せにしてあげてるつもりの人間が
ふと気付くとハチにやさしい気持ち
をもらってたりする。
私の中のハチの佇まいはそんなイメージ。
ハチ、お誕生日おめでとう。
秋の味覚。
浴衣ざらい終了。
終演後お食事会に行く前に撮影。
皆々浴衣ざらい前と後では比較にならないくらい上手になりました。
用意した席が足りなくなるくらいたくさんのお客さまに来ていただきうれしいかぎり。
花柳錦吾先生、常盤津文字東久先生にもご出演いただきました。
本当にありがとうございました。
浴衣ざらい終了・2。
浴衣ざらい終了・3。
浴衣ざらい終了・4。
浴衣ざらい終了・5。
残暑と風邪。
お流儀の講習会。
今日は久々にとびきりの残暑でとにかく暑い。
講習会といえども舞台の上は照明があたっているためますます暑い。
こうして汗をかき
肌襦袢を着替えてもまた汗をかき
風邪の完治はいつのことやら・・。
ところで〈風邪をひいたまま仕事をしているタクシードライバーは傷害罪だ!〉と言い放った知人がいる。
極論だとは思うが
確かに狭い密室に不特定多数の乗客を迎え入れる仕事で
人様にうつす病気をかかえているというのはいかがなものか、とは思う。
以前も書いたが私など風邪がこじれて救急車さわぎ、というパターンが一度や二度ではないから
やはりそんなタクシーには乗りたくないと思う。
が、一方でうつされるほうの自己管理にも問題があるわけで
風邪をひいて具合が悪い時のつらさというのもいやというほど理解できるし
同情のひとつもしたくなるというものだ。
要はお互いの自覚の問題ということだろう。
風邪をひいてしまった方は
人前でつらさをアピールするより
一刻も早く治す最大限の努力をすべきであり
そのまわりにいる方は
はからずも風邪をひいてしまった当人をいたわる気持ちと
さらに風邪をうつされないための自己管理を徹底させる。
知人が乗り合わせたタクシードライバーは
例えばやむにやまれぬ事情で
どうしても仕事を休むわけにいかず
風邪をひいているにもかかわらず
密室にお客様を迎え入れている申し訳なさ、みたいなものでも感じられれば
またちがった言葉も言えたのだろうが
マスクもせず狭い車の中で当たり前のようにゲホゲホやられたそうで
うつされた方が寝込んで仕事にいけなくなったらどうする気だ、と
〈傷害罪だ!〉というまったくもって思いやりのない一言が口をついて出たということだ。
理解できなくもない話だ。
・・などなどつらつら考えている暇があったら
私もとっとと完治させなきゃー。
誰かにうつしでもしたら大変だ・・。
アメニモマケズ・・。
ド根性系お弟子さん・2。
しつこいなぁ・・。
寝込むほどじゃない体調の悪さが続いている。
風邪の後遺症なのだが
あまりのしつこさに閉口する・・
。
同じしつこさでも
こちらが根負けするまで
自らの要望を主張してくるハチの
〈遊ぼー、遊ぼー、そんなのほっといて今すぐ遊ぼー。〉
〈起きてー、起きてー、おなかすいたのー、たいくつなのー、今すぐ起きてー〉攻撃なら
可愛いばっかり
だが。
浴衣会間近。
間近にせまった浴衣会。皆々奮闘中(!?)。
そんな中
Kさんが懇意にしている書道家のH先生に
浴衣会の看板の字を書いていただきました。
いろんな人達のお力添で
浴衣会がよりあたたかみのあるものになっていきます。
感謝。
奮闘中・2。
《匂い》。
いつだったか友人とテレビを見ようとスイッチを入れたら
いきなりジャック・ニコルソンの顔がドアップで画面に映し出された。
なにかの映画だったと思うが
そのドアップを見た瞬間
友人が《なんかこいつって軍人みたいだな》とつぶやいた。
ジャック・ニコルソンは別に軍人の扮装をしていたわけでもなく(バスローブ姿だったか?)
それとわかるセリフを言っていたわけでもない。
つまりなんの判断材料もなかったにもかかわらず
ただパッと見た瞬間
そう思ってしまったのだという。
友人に言わせると《そう思わされた》という感覚なのだそうだ。
そしてそれは大当たりで
ジャック・ニコルソンはまぎれもなく軍人の役だった。
そういえば私も以前ある生命保険会社(?)のCMで
(いい意味で)ものすごく獣くさくてセクシーなパフォーマンスをする男性を見て
突然《あ!(真夏の夜の夢の)パック!》と思ったことがある。
のちにその男性がリンゼイ・ケンプというアーティストで
真夏の夜の夢の日本公演で来日するカンパニーの代表であり
彼の役はまさにパックである、ということを知った。
受け手に対してなんの説明もなく
また受け手側になんの知識もない状態で
会った瞬間なんとなくそれらしらを感じさせてしまう存在感、というのは驚異だ。
日本舞踊ではよく〈匂い〉という表現が使われる。
《どこがどうっていうんじゃないんだけどなんだか匂いがちがうんだよなー》とか
《江戸前の匂いがしないんだよ》といった類のダメだしは
もちろん私自身もされるし
舞踊雑誌の評などでもよく目にする言葉だ。
曖昧模糊として難しいが
一番大切な
〈なんとなくそれらしいいい感じ〉。
未熟者の舞踊家としては
ジャック・ニコルソンの爪の垢でも煎じなきゃ・・。
男子リレー。
男子4×100㍍リレーが5位。
が、十分メダル争いにからむような5位。
2度もアジアレコードを更新した価値ある5位。
美しいアスリート4人に感動。
気が付いたらテレビの前で正座して観ていた。
日本人が短距離で世界を相手に戦える時代になってきた。
もううれしくてしょうがない。
朝原辞めちゃうのかなー。
北京で走ってくれないかなー。
世界陸上。
男子マラソン5位に始まって
ハードル為末の予選落ち
室伏もメダルを逃し
200の末次もファイナリストに遠く及ばす・・。
今年の世界陸上はかなりきびしいスタートになっている。
私は陸上競技を観戦するのが大好きで
特にトラック競技やマラソンは一旦中継を観始めるとフリーズしてしまう程だ。
したがって世界陸上の年やオリンピックイヤーは
大会がどこで開催されるかが私の健康上非常に重要なポイントになってくる。
《競技中継は絶対にライブ!!》にこだわっている私にとって
時差の著しい国での開催は相当つらいものになる。
時間が全く逆転するシドニーオリンピックの時は
連日の睡眠不足でヘロヘロになってしまい
ついには観たい競技のない日でも眠れなくなり
不眠症で病院に行くことになってしまった。
が、どうやらその年は私のようなアホがたくさんいたらしく
お医者さまも慣れたもので
《あー、オリンピックの観すぎでしょう。大丈夫、オリンピックが終わればいやでも眠れるようになります。実は私も毎日中継を観てて寝てなくてねぇ・・》なんて調子だった。
結
局導眠剤はいただけないし
オリンピックで睡眠不足のお医者さまの診断っていかがなものか・・と(自分のことは棚にあげたおして)そこはかとない疑問を持ちながら帰ったのを覚えている。
そんな調子だから
今年のようなホームでの開催はまことにありがたい・・のはずだったのだが
逆にリアルタイムで観られないことが多く
残念しきりである。
さらに残念なことに
日本勢の不調。
あとは女子マラソンに期待をしているのだが。
それにしても究極まで鍛え上げられた肉体が
より早くより強くの限界を見据えて躍動する姿の美しいこと!
まさに動く芸術品だ。
少女。
前を行く小学校2、3年生くらいの少女が
乗っていた自転車ごと転んだ。
すぐに火がついたように泣きだし
一緒にいたお友達数人が心配そうにのぞきこんでいる。
膝から血を流していたので私もなんとなく気にかかりながら通り過ぎようとしたその時
泣き叫んでいる少女の意外な声が聞こえてきた。
《お母さんに怒られるー、お母さんに怒られるー!!》。
転んで怪我をした痛さよりそっちか・・と
ちょっと拍子抜けしたような
ちょっとせつないような気持ちになった。
母親に《お洋服をよごしちゃいけません》とでもきつく言われてるのかな、
にしては買ったばかりのドレスでもない普通のTシャツにスカートだけど・・、
いつもお転婆が過ぎてて母親が手を焼いてる子で、
今度泥んこになって帰ってきたら承知しない、とか言われてるのかな、
転んだ痛さより母親に叱られる恐怖が先にたって泣く少女の気持ちとはどういうものだろう・・、
わずかの間にいろんなことを想像してしまった。
そしてふと自分の子供の頃を思い出した。
小学校に上がる前のある日の午後
気がつくと子供用の蚊帳の中にいた。
どうやらお昼寝をしていたらしい。
起きて家の中をあちこちさがしたが誰もいない。
ふと窓から外を見ると
空き地のむこうの道で
兄が買ってもらったばかりの自転車に乗る練習をしていて
それをそばで母が見守っていた。
《あそこに行こう》と私は思い
同時に《戸締まりをしなきゃ》と思った。
が、私がごくごく小さいころはまだ今のようなサッシの窓ではなく
鍵もねじ込み式のめんどうなものだった。
したがって大人の背丈程の大きな窓は子供にとっては途方もなく重く
運良く閉まっても今度は鍵をかけるのに時間がかかった。
どうしても閉まってくれない重い窓と格闘するうち
私はわんわん泣きだしてしまった。
そこに母と兄が帰ってきたのだが
《戸が閉まらない、戸が閉まらないー!》と泣き叫んでいる私を見て
二人はどう思ったのだろう。
その後のことはよく覚えていない。
うまく言えないが
あの時私は自分に腹が立っていたのだ。
窓がうまく閉められない自分に。
そしてなにより
戸締まりなんかを気にして
すぐに母と兄の元に飛び出して行けない自分に。
さらにそんな自分の気持ちを母と兄にちゃんと説明できない自分に(なんとまぁ可愛くない子供でしょうね・・)。
そんな小さな子供にそんな微妙でややこしい(?)感情があるものか、と思われるかもしれないが
確かに私はあの時自分がはがゆくて仕方なかったのだ。
もちろん今だからこそそのはがゆさの理由や内訳を言葉にして説明できるのだが
当時は重い窓に手を掛けて悪戦苦闘しながら
ただただ心の中で
《(こんなのほっといて母と兄のところに)行けばいいのに、行けばいいのに!!》と
そればかりを繰り返していただけだったのだが。
その自分へのはがゆさに
目覚めた時の心細さや
少しずつせまってくる夕暮れの心もとなさがないまぜになって
泣きだした私の口から出たのが
《戸が閉まらない、戸が閉まらないー!》だったように思う。
自転車で転んで膝を怪我したあの少女は何を思って泣いていたのか
お友達にかこまれて泣きじゃくる少女の声を聞きながら
くだらないことを考えてしまった。
ドライアイス。
先日創作自由市場(於・北沢タウンホール 11月6日夜7時より)の打ち合せで若柳公子さんの稽古場にうかがったのですが
差し入れに持参したアイスクリームの箱に入っていたドライアイスを見て
なぜか大興奮
の公子さん。
ドライアイスに水をそそいだ時に流れだす煙(?)が大好き
なんだとか。
この日もアイスクリームそっちのけで
さっそくボウルに入れたドライアイスに水をそそぎ
煙の中でご満悦
の様子でした。
舞台ではあんなにかっこいい踊りで魅せてくれる公子さんの
意外に(
)可愛い一面です
。
新国立劇場。
お弟子さんのSさんが主演をつとめる新国立劇場でのオペラを拝見してきた。
役柄にぴったりの
Sさんの濁りのない美しさ!
鬼のカクラン(!?)。
熱は下がったものの風邪がなかなか抜けない。
咳のしすぎで胸は痛いし
鼻のかみすぎで頭はぼーっとしてくる
。
いつもの高熱との長期戦もつらいがこの状態もそこそこしんどい・・
。
人様に移してご迷惑をかけたりしないうちになんとか完治させたいのだが
。
上下で同じポーズ。
夏風邪。
久々に風邪をひいた。
私はいったん風邪をひくとおおごとになるパターンが多い。
だからひかないようにひかないようにかなり神経質に気をつかうのだが
ここ何日かの猛暑と忙しさについに負けてしまった・・。
で、やっぱり出た、寒いくらいの高熱。
夜になって少し落ち着き
理解できる範囲の熱に下がりはじめた。
まいったなぁー。
暑い!!
朝方
稽古場に行く時には
3歩歩くだけで汗
が吹き出してくるような暑さでも
夜
帰り道では
ずいぶんしのぎやすくなってたりするのだが・・。
今日の暑さはどうしたことか
。
夜もかなり遅い時間だというのに
足を1歩踏み出すごとに
堪え難いほど不愉快な汗
がじっとりと体中に滲んでくる。
口に出したからと言って涼しくなるものでもないが
とにかく暑い
!!!
暑すぎる
!!!
うれしいこと。
心が呼応しあってるなぁ、
心が仲良くよりそいあってるなぁ、
と思える時ほどうれしいことはない。
その相手が
人間でも
動物でも
踊りでも。
浴衣会プログラム。
間近にせまってきた浴衣会のプログラムができあがりました
。
人前で踊る、ということのいい意味での緊張感が
出演するお弟子さん達をみるみる上達させているようです
。
〈その帯はどういう結び方をしているんですか?〉
着物で街をウロウロしているとよく声をかけられる。
残念なことに(?)女性か外人ばかりだが。
そのほとんどは私の親のような年代の御婦人方で
たいていは
〈着物はやっぱりいいわねー。〉というもの。
着物を着ることが著しく非日常じゃない世代の人達にとって
私のような(彼女達から見ればまだ若い)年頃の女性が着物を着ている、
しかもここ一番の晴れ着としてではなく日常着として着ている、ということが
なんとなく声をかけたくなる理由らしい。
ところで最近はそういう御婦人方ばかりでなく
私よりはるかに若い世代の女性達に話し掛けられることがしばしばある。
とくに夏、浴衣に半巾帯の時。
彼女達の声のかけ方はストレート且つ具体的で
〈すみません、その帯はどういう結び方をしてるんですか?〉
〈そういう浴衣はどこで売ってるんですか?〉
〈その着物はなんていうんですか〉などなど。
最近ファッション紙などでも浴衣が特集されたりして
日頃着物とは無縁の若い女性達も
洋服に近い感覚で浴衣を楽しむようになってきたことの影響だと思うが
着物が仕事着の舞踊家としては
こういうふうに話し掛けられることはとてもうれ
しい。
着物を着ることが
《苦しきことのみ多かりき》の修行のようになってしまってはつまらないし
楽しさがなければ着る意味がないと思う。
美しく着る、
美しく立ち居振る舞う、のはその次の段階の話だ。
多少乱暴な着方をしてようが
個性的なコーディネイトをしてようが
まちがいなく若い彼女達は着物を楽しんでいる。
それがどのような楽しみ方であっても
少なくともスタートラインに楽しさがなければ
次の段階への興味も産まれない。
声をかけてきてくれた若い女性達の中で
一人でも二人でも
着物を着た時の美しい所作、
つまり日本舞踊に興味を持ってくれたらいいなぁ・・、と思う。


。





にもめげずお稽古にやってきた
(?)のお弟子さん

