2009年 5月 の投稿一覧

創るということ。

歌舞伎座が終わり

稽古場は来月の浴衣会に向けてあわただしくなってきました。

8月には創作の舞台(8月25日於・赤坂区民ホール)、

さらに9月5日には

所作指導を担当させていただいた草剪剛さんと新垣結衣さん主演の東宝映画《Ballad》が全国公開されます。

今年の後半をより密度の濃い半年にできるように

《自分が自分であること》をいつもいつも心に置いて

大切に過ごしていこうと思っています。

ところで創作の舞台が近付くたび

亡くなられたある先生からいただいたお手紙の一文を思いだします。

《何かを創りだすというのは本当に大変なことですよね。でもそれでも創らずにいられない。だって【創る】って素晴らしいことですもの。》

私は今でもこの言葉を思い出すたび胸が熱くなります。

何かを0から創りだすというのは本当につらくてしんどいことなのですが

でも同時に幸せなことでもあります。

先生のおっしゃる《創るって素晴らしい》の真意を

若輩者の私がどれほど理解できているのかははなはだ疑問ですが

自分の世界を生み、育て、伝えることの意味を追求していく、ということは

自分自身を追求していくことにつながるような気がします。

まだまだ気が遠くなる程未熟な作品しか創れない私ですから

お恥ずかしいかぎりで

あまりわかったふうなことは言えないのですが

自分で0から創ってみてはじめて

長く愛され、受け継がれていく古典の素晴らしさ、難しさが理解できることもあると考えています。

創作の勉強は

古典の研究とともに

私にとって大切なものです。

《創るって素晴らしいことですもの》という先生の言葉を

いつか自分の言葉として

胸に秘めることができる日が来るといいなぁと思っています。

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パソコンハチ。

5ef5b641.jpgパソコンを触っていると
《パソコンじゃなくて僕を見て~ん》と邪魔しにくるのは
猫の習性なのでしょうが
ハチもしっかりご多分に漏れず、です。
それにしても
昔はキーボードの範囲内に納まったのになぁ・・。
今や超ハミダシ状態。
大きくなったものです~。
写真ではわかりにくいと思いますが
ご想像のとおり
ワケのわからない画面になっています・・。

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じゃあね。

顔を見ないで行くね。

きっと愛されるから。

うんと幸せになれるから。

怖がらないで

待っておいで。

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朝の道。

重い荷物を持って

家を出る。

アア

オモイナァ

思う。

でも

本当は

本当に重いのは、

よく晴れた朝の道を歩きながら

考えている。

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《あ~、困っちゃったな~》。

電車に乗って

近くに赤ん坊が乗り会わせた時

私はよく
彼らと秘密の交信(?)をする。

などというとすごそうだが

要するに赤ちゃんと目かあったら

目だけで(まぁ結局顔なのだが)いろいろと表情を作ったりして

それに反応する彼らと声なしのコミュニケーションをするわけだが

たいていそのうち

赤ちゃんのほうが

ウニャハハ~と天使のような笑顔で笑い始めたり

《それわかんない》とか

《それはイマイチだな》とか

《それなら僕もできる~》とか

信号を送ってくれるようになる(ように私には見える)。

もうそうなったら

電車に乗っている5分なり10分なりが楽しくてしょうがなくなって

他の乗客の方々にご迷惑がかからないよう配慮しながら

こっそり彼らとのアイ・コンタクトを楽しむわけだが

たまに

たまたま隣に居合わせた、赤ん坊にとってのお婆様くらいの年代のご婦人などが
《可愛いいわねぇ~》と話しかけてくることがある。

それだけならいいのだが

すっかり【おばあちゃま】の立場で

《あら、もう歯が生えてるのね、●●ヶ月位かしらね?この年代の子は〇〇〇で、△△△に気を付けないとね、うちの孫もね・・》と

ガチガチの保護者トークが始まると

《あ~、困っちゃったな~、どうしよう~》と思ってしまう。

私はただ電車に乗ったほんの数分の間

赤ちゃんとの単純な交信を楽しみたいだけなのだが(幸い脳みその程度もさして赤ちゃんと変わらないし)

そこで母親トーク、お婆様トークをされても

ちょっと違うんだよなぁ~と思ってしまうのだ。

いくら可愛いくても

言ってしまえば通りすがりの赤ん坊のことだ。

通りすがりの赤ん坊から話を広げて

一般的な母親の立場のトークができるほど

私は自分が母親なんたるか、子育てなんたるか、が理解できているとは思えない。
と言うより
子育ての経験のない私ごときが理解できるほど

母親業はたやすいものではないだろうし

また同時に彼女達の味わう幸福感に関しても

私レベルが想像できる範囲など

たかがしれているだろう、と思っている。

わからない、知らない世界の話に関しては

まずは敬意を持ってひたすら聞かせていただき

何か意見を求められたとしても

あくまでも自分はその世界には素人である、という立場をユメユメ忘れずに

自分の感じたことを素直に、だが控え目に申し述べさせていただくのが礼儀だ、という考え方がガッツリ出来上がっている私は

【母親業】というまさに【私の知らない世界】の代表格クラス(?)の話になると

ほぼ条件反射的に【聞かせていただく】の姿勢になってしまう。

ただ電車で隣合わせただけのご婦人の話であっても、だ。

《あ~そうなんですか》《は~なるほど~》と超まじめに聞いてしまう(それどころか本当に《なるほどそうなんだ~》といたく感動、感心してしまう)。

これが縁ある赤ちゃん(例えば友人とか弟子の子供達)の話なら全くスタンスは別で

彼女達の母親としての話なら

敬意の他に
(彼女達にとってはたぶん少々迷惑なくらいの)最上級の関心を持って聞きたくなるので

いくら聞かせてもらっても聞き足りないくらいなのだが

《おっ!今日はこの赤ちゃんゲット(?)!ちょっと交信して楽しも~っと。》くらいの
癒しタイムのテンション(つまり元々たいした緊張感もない私がさらにポワ~ンとリリースしきっている)のところで

一転ただ隣合わせただけの赤の他人の話をつい超真面目に聞いてしまう、というのは

やっぱりかなり疲れることなのだ。

だったら話を聞かなきゃいい、というのが最良の答えなのはわかっているのだが
そこはそれ、パブロフの犬の哀しさ、袖すりあう程の縁も面識も関心もない赤ん坊のおばあちゃまの話であっても
差し出されれば反応してしまう。

全く学習能力なし、の自分に頭を抱える始末。

だから、思う。

《あ~、困っちゃったな~、どうしよう~》。

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歌舞伎座下ざらい。

28d382a6.jpg三代目家元先生のご命日である昨日
追善公演の下ざらいが歌舞伎座でありました。
夕方築地の稽古道場に集合し
衣装に着替えて車で東銀座の歌舞伎座へ。
芝居がはねてからの開始ですから
舞台に立てたのは午後10時過ぎ
解散は深夜でした。
4代目家元先生を始め
振り付けの先生、理事の先生、委員の先生、
本当にたくさんの方達のお力添えとご指導、ご協力があってはじめて舞台に立てているのだ、ということを
ひしひしと感じた一日でした。

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もうハイハイできるよっ!!

1eda86cc.jpg創作自由市場のアイドルH君は
もうハイハイもつかまり立ちもできるようになりました~。
H君のお母さんも今回の歌舞伎座の《季の移ろい》に出演してます。
彼女は29日の出演で
28日の私とのダブルキャストになります。
H君がこれだけかわいいということは
そうです、お母さんも文句なしの《美形》ですよ!

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銀杏の木の陰で。

朝から夏のような強い日ざし。

バスを待つ間

バス停近くの銀杏の木が作ってくれる陰に入って

気持ちのいい風にあたりながら

天然の日傘に感謝だなぁ~なんて思っていたら

なんとなく銀杏の木が頼もしく感じた。

日ざしを遮るビルや建物など何もなかった大古の昔には

人間と木はきっと普通に会話できたんだろうな、とふと思った。

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うれしかったこと。

昨日思いがけないことがきっかけで
思いがけない人と
思いがけずつっこんだ話をした。
そして
私自身の未熟さゆえ、なのだが
ここ何年か私が感じている疑問、苦痛、怒りなどを
さりげなく、そして深く理解してくれていることを知り
本当に心が溶けていくようにうれしかった。
解決や答えは自分で出していくしかない、ということに変わりはないが
少なくとも私の中の葛藤を聞く耳を持って聞き
正確に理解し
具体的ではあるが安易な答えでお茶を濁すのではなく
理解した上でただ強くあれ、と言ってくれるその人に心打たれるものがあった。

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一週間ぶり。

しばらく更新をしてなかったら
友人から《風邪をこじらせているのではないか》というメールをいただきました(^-^ゞ。。
ご心配をおかけしてすみません、体調もすっかり回復し、かわいげがないくらい元気にしておりますのでご安心ください(^-^)v。

バタバタと忙しく過ごしているうちに歌舞伎座公演も近づき
さらに来月には稽古場の浴衣会もひかえています。
弟子達もそれに向けて稽古、稽古の日々です。

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嘘。

今、傷ついてないふりをしたね。
君は臆病だから
傷ついたことを認めるのが怖いんだよね。
いつもいつも
他人にではなく
自分自身に
一生懸命嘘をついている。
こんなことなんでもないよ、と言う君のその目が
勇気を忘れてしまった
考えることを捨ててしまった
囚われ人のような弱い光りを放っている。

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優しい呪文。

久々に風邪をひいた。

お天気に恵まれたゴールデン・ウィークだというのに

かろうじて寝込まない程度の体調で

グズグズと予定をこなしている、という感じだ。

ところで

今の図々しい体格の私からは想像しづらいと思うが

子供の頃の私はとにかく病弱だった。

そのうえよく怪我もした。
三輪車ごと溝につっこみ
額をバックリと割って縫ったり

給食当番で重い食器を運んでいて

その食器ごと転んで
唇の下をザックリと切ってまたまた縫ったりと

女の子にあるまじき頻度で

(たいした造りでもないが、一応は女性として)大事な顔の切った張ったをやっていた。

ある日学校からの帰り道にまたまた転んで

すりむいて血が滲む膝の痛みを我慢しつつ家に帰った。

家には兄だけが在宅していて

二階にいたその兄にむかって階段下から
《さっきね、そこで転んでね・・》と説明しはじめたとたん

火がついたようにわんわん泣きだしてしまった。

あわてて階段を降りてきた兄が

どうやら転んで膝に怪我をしたらしいことを察して薬箱を持ってきた。

当時ヨーチンという赤チンよりもよく効く塗り薬があって

それを傷口に塗ってくれたのだが

これがとにかくめちゃくちゃしみる。

ますます大泣きする私をなだめるために

子供の頃から絵が上手でのちにその絵が職業になった兄が

ヨーチンをつける細い刷毛で

私の傷口の下、むこうずねあたりに漫画らしきものを描きはじめた。

それがおかしくて可愛くて

いつの間にか私はクスクス笑いはじめてしまった。

あれは兄流の《痛いの、痛いの、とんでけー》だったんだな、と思うが

そう考えると《痛いの、痛いの、とんでけー》という呪文は効かなくもない、ということだ。

呪文に効力、魔力があるとは言わないが

その呪文を自分に唱えてくれる人の暖かさに癒されるのだろうと思う。

この人は私を守ってくれる、という絶対の安心感が

多少の怪我の痛みなら本当に消し去ってくれるのかもしれない。

ところで風邪。

今や呪文を唱えてもらえるような年齢をはるかに越えてしまっているので
さっさと自分で治さなきゃね・・。

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