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お食事会。

三人娘とそのご両親にお食事会にお招きいただきました。
楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまった、という感じです。
三人娘は私にとっては宝物のような子ども達。
これまでもこれからも特別な存在です。
まっすぐに健やかに、ゆっくり大人になっていってほしいな、と思います。
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【尾道きもの日和】開催中。

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弟子のYさんおつとめの着物染色工房『アトリエ翔』の作品展が
Yさんの故郷尾道市の西國寺本坊で開催中です。
もちろんハチの帯も出品されていますっっ(^○^)!!
尾道は猫の町、ということで
帯の太鼓部分のハチがパンフレットのマークにも使われています。

【尾道きもの日和】は尾道市西國寺本坊にて10月14日まで。


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袴の紐。

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弟子の三嶋亮太君とK君に
錦吾先生から袴を頂戴しました。
錦吾先生の御名前入り。
三嶋君もK君も先生の御名前にあやかって、ますます踊りが上達してくれるかもしれません~\(^o^)/。

ところで袴をしまう時の紐の始末って結構大変。
覚えちゃえばどうってことない超簡単なものなのですが、ちょっとややこしい。
たまたま居合わせた女性陣の弟子(寺島嬢とYさん)が覚えたいとのことで(偉いっ!)
急遽いただいた袴を使って『袴の紐の始末の仕方』講義(?)を開催。
なぜかハチが見守る中
二人とも真剣に袴の紐と格闘していました。


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『和しごとなりきり道場』。

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『和しごとなりきり道場』という、子ども達に日本で古くから受け継がれている職業を体験してもらうプロジェクトに
日本舞踊家の講師としてお招きいただき、参加してきました。

花柳智寿彦さん・藤間Tさんにもお手伝いいただき
元気な子ども達を前に75分の講座を2コマ。
終了後『楽しかった。またやりたい。』という子ども達の感想を聞いて
この中から将来日本舞踊家を目指してくれる子がいてくれると嬉しいな、と思いました。
於・谷中大雄寺。


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金曜赤坂座秋公演。

10月4日、『金曜赤坂座』秋公演に出演します。
今回は荻江【鐘の岬】を踊らせていただきます。
しっとりとした女の恋心がテーマの演目です。

鬘をつけず、衣装も自前の着流し、客席と舞台が至近距離、という
踊る方からすると、ある意味とても怖い形式なのですが
大劇場公演とはまた違った雰囲気をお楽しみいただけるかと思います。

於・赤坂黛アートサロン、19時開演。

ぜひお越しくださいませ。

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ハチのカード。

中学以来の友人Rさんが送ってくれた可愛いものづくしのお誕生日プレゼントに
ハチそっくりのこんなカードが添えられていました(^O^)。IMG00234

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Rさん、ありがとうー(^O^)/!!

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秋。

今月は町内の神社の秋祭りで
うちの前の公園の一角が町内会の集会所になっているらしく
そこからおみこしや山車が出発し、町内を練り歩いたのち、また戻ってきます。
その一部始終を見ることができる、いわば特等席がうちの公園に面した窓で
初めて見た時には、あまりの人の多さと威勢のよさにビビってしまっていたハチも
最近は慣れたのか、しっかり「高みの見物」をしていました。
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こちらは現在九州で子育て奮闘中の弟子、翠媛乃さんが送ってくれた葡萄。
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よく見ると一つ一つが桃のような形。
大粒で皮ごと食べられます。
美味いっっ!
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「大好き」。

ごめんね。
君とかわした大切な約束を
私は忘れてしまっていた。

何度でも
どんな形でも
必ず必ずまた会おうね、って言ったのに

君とまた会うためなら
次の神様との契約が
どんなに理不尽なものになったってかまわないからね、って言ったのに

私はあきれるほど新鮮に
あきれるほど無邪気に
君を大好きになってしまっていた。

初めて手にした君という宝物を前に
すっかり有頂天になった私に抱きしめられるたび
君はきっと
小さなため息をついていたんだろう。

ごめんね。
どんなに優しい思い出も
どんなに深い約束も
人生の「アガリ」にはひとつ残らず神様に返すのが
人間の大人の決まりだから。

でも
くやしいけど
はがゆいけど
どうしたって人間の大人にしかなれない忘れんぼの私だけど
幾重もの魂を抱いて愛し続けてくれている君に
絶対に絶対に負けないくらいたくさんの「大好き」を
「今の私」だけであげられる自信はあるんだよ。

ハチ、今年もただひたすらに
健やかに。
幸せに。

お誕生日
おめでとう。

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試写会。

所作指導を担当させていただいた映画が完成し
今日はその関係者に向けての試写会がありました。
気がつくとその世界にどっぷりと引きずりこまれていた、と言ったらいいのでしょうか、本当に魅惑的で贅沢なすばらしい映画でした。
公開は来年。
またそのおりにはこのブログでもお知らせしますので、皆様ぜひぜひ劇場でご覧くださいね!!

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今日のお稽古場から。

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子どもクラスは今日は久々に三人揃ってのお稽古になりました。
9月22日の浴衣会にしっかり間に合わせてきた三人。
さすがですね。
下の二枚の写真は本日入門したIさんお手製扇入れ。
おばあさまの羽織の袖を使って作ったそうな。
扇をしまってふたを被せた時に結ぶ紐も、そのおばあさまの羽織の紐!
これは面白い。

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コミュニケーション。

以前も書いたが
やっぱりイラッとしてしまうのは『道案内の下手な人』。

こちらが「今○○駅の●●口を出て、△△通りの▲▲という店の前にいるのですが」というかなり細かい情報を伝えているにもかかわらず
なぜかいきなり「はい(^o^)!◎◎(←まったくあたりに見当たらないビル)がありますか?」とくる。
あまりの唐突さに意味がわからず「は?」と尋ねると
「○○駅の××があるほうに出てぇ」と言う。
が、その店員さんの言う××というビルは何ヵ月も前に建て替えられて別の名称になっている。
目的のショップに行くには最寄り駅はそこしかなく、そのショップの店員さんが最寄り駅のそんな大きな情報を知らないはずはないだろうに、と思いつつも
「だから今(あなたが言うところの)昔××があったほうの●●口を出た、って言ったでしょうがぁ~」と言いたくなるのをグッとこらえて「はい、そちらを出て・・」と言いかけると、かぶせるように「あ、じゃあそこからしばらく行くと□□があってぇ」と言う。
私は確実にそのショップの近くであろう現在地からのナビをお願いしているのだか、どうやらその話はスルーらしい。
さらに何をどの位置に見てどちらの方向に「しばらく行く」のか、その説明は全くない。
仕方ないのでこちらから「●●口を背にしてどちらに行けばいいですか?」と訊くと
恐縮する様子もなく「あ、右ですね、右ー」。
現在地からのナビは諦めて、そんな説明を辛抱強く聞いていたら
ルートは違えど結局今私が立っている▲▲という店の前に出る、という話だった。
「あの、だから今その▲▲の前にいるのですが・・」と再度言うと
「あ、そうなんですか?じゃあそこから■■の看板を曲がって一軒目だからすぐでーす!」と相変わらずご陽気に言ったあげく、「お待ちしてまぁ~す」。
もうすっかり嫌になってしまい、そのショップには寄らずに帰った。
ショップまでの道案内を頼まれたらこう言いなさい、というマニュアルてもあるのだろうか。
道案内イコールそのマニュアルというスイッチが入ると
客が言っている言葉は耳に入らず、だから当然会話は成立しない。
さらに言えば『会話が成立してない』ということにその店員さんは全く気づいてもいない。
怒り狂うほどのことではないが、やはりそこで買い物をしようという気は失せる。
「一事が万事でしょう」と思ってしまう。
そして「やっぱり携帯に住所を入力してマップで自力到着するのが一番手っ取り早いかな」。

ふと
こんなふうにしてフェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションは減っていくのかしら、とオーバーなことまて思ってしまった。
鶏が先か卵が先か、だが
情報手段の発達がコミュニケーション下手な人間を作るのか
ずさんなコミュニケーションの取り方にイラッとしたあげく
そのずさんさに文句を言ったり我慢したりして、お友達でもない人と無駄に関わるよりは
便利な情報手段があるのだからそちらを利用しましょう、となって益々その手段が発達していくのか。
なんだか負のスパイラルのように感じなくもない。
まあ、こんなことでイラッとするなんて私もまだまだ人間ができてない、自己反省をするいい機会と捉えましょう、というくらいの、心穏やかな人格であればいいだけのことなのだろうが。

そう言えば先日自転車で街を走っていたら
前方に道路いっぱいに広がって歩いている5人連れくらいの学生らしき集団が見えてきた。
後ろから近づいても自転車に気づくことなく笑いさざめいていたので
チリンとベルを鳴らして道を空けていただき、通してもらった。
「すみませーん」と声をかけながらペコッと会釈をして通りすぎると
後ろから「こちらこそ~」という女の子の明るい声が聞こえた。
なんだかその日は一日中気持ちがよかった。

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ドラマ。

この秋、またドラマのお仕事をさせていただくことになりました。
尊敬する大好きなチームのお手伝いをさせていただけるのは、なにより嬉しいことです。
今回はスポット的な関わりになりますが
所作指導の立場から、少しでもドラマのお役にたつように頑張りたいと思います。
詳細はまた追ってお知らせします。
ぜひご覧くださいね!


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風呂敷・2。

90b50e60.jpg以前このブログで紹介した『風呂敷バッグ』の作り方をバッチリ習得(?)したCちゃん。
渋い大きめの風呂敷に柿色の匂袋(チャーム?)を付けてお稽古着を入れていました(^o^)。
いい感じ!

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Rさん。

bc1a488c.jpg大学時代からの友人Rさんと久っびさの再会。

話がつきず、深く、濃い、楽しい時間かあっという間に過ぎてしまいました。
彼女は私にとって
一言でいうと『一緒にいるとなんだか私自身もいい人間になれるような気がする』と思わせてくれるような人。
彼女といると
私にもまだちょびっとはあるだろう、私の中のいい部分(ブラスのオーラみたいなもの?)が自然に目覚めていくような感覚になります。
その感覚は学生時代から今に至るまで変わりません。
彼女の放つおだやかで、でも真摯な空気感に
私の中の何かが反応しているのかもしれません。
「素敵だな」と思う女性。
そんな存在に私もなりたい、と素直に思います。

大切な友人の
明るい方へ、楽しい方へ、やさしい方へ、幸せな方へ、でも真摯な方へ、と向かおうとする、おだやかな空気の流れみたいなものがハチにもわかるのか
初対面にも関わらず
ウエルカムモード全開のみならず
お腹なでなでポーズまで披露したあげく
のどをゴロゴロ鳴らしていました。

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T君。

1b57fd81.jpg高校の後輩・T君。

同窓会で私と同じテーブルになったのが運のつき
彼には『後輩だから』というただそれだけの理由で
とんでもないミッションを言いつけ(させていただき)ました(^o^)。
先輩という立場を利用した、ほぼパワハラとも言えるその(私の秘密の?)ミッションのために
日々東奔西走してくれているT君を慰労するために
今日はビアガーデンに行ってきました。
なんの恩も義理もない私のために
忙しい仕事の合間を縫って頑張ってくれているT君
その調子でますます頑張れっ!!
立ち止まると、事のそこはかとない理不尽さに気がつくから、立ち止まってはいけないっ!!
わがままなねーちゃんをもった弟の宿命と思って全力投球してくださいねっ!!


眠ってます。

エディ君も
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ハチも
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なんだか目が大変なことになっていますが
これでも一応二人とも『就寝中』です・・・。

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副作用?

なんだか何を食べても味がにぶい。
味覚がぼけた気がする・・、とふと思い
ネットで調べてみたら
風邪などで薬を飲みすぎると
亜鉛不足になって味覚障害っぽい症状が出ることがある、とのこと。
そういえば
このところズルズルとひきっぱなしだった風邪。
人様にうつしては申し訳ないのだが
寝込むほどではないし、休むわけにはいかないからと
病院で処方してもらった薬を飲みながらバタバタと過ごしていた。
が、そんなふうだから良くなったかと思うとまたぶり返したりして
結局また同じ薬を出してもらい
なんだかんだで3週間ほど薬が手放せなかった。
で、気がつくと何を食べてもなんだかな(~_~)、という感覚。
風邪が抜けてきて、薬を止め、食事メニューに気をつけるようになって
やっと味覚が戻ってきた、という気がするこの頃。
たかが風邪薬、と言えども
やっぱり副作用があるんですね~。


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翠の会・子どもクラス。

AちゃんとSちゃんが風邪でお休み。

チビAちゃんの『ガッツリ個人稽古』の日だったのですが・・。
前回・前々回とお休みだったチビAちゃん、しばらくぶりに会ってみると
すっかりお姉さんになってました(^o^)。
ご挨拶からお着替え・お片付けまでバッチリで
お稽古もしっかり集中して、最後まで元気にやり遂げました。
子供の時間と大人の時間は長さが違うんじゃないか、と思えたほどの
わずかの間に驚くばかりの成長をしたチビAちゃんでした\(^-^)/。
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浴衣・帯ともチビAちゃんが自分一人で着付けました。正しく着ているので、今日はどんなに踊っても著しく着崩れるということがありませんでした。
立ち姿も決まってますね38

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エディ君の寝室。

a2b52031.jpg弟子のCちゃんの愛犬・ノンノンちゃんがちっちゃい頃
1、2回使ったか使わないかのキャリーバッグが
ノンノンちゃん成長につき
いまや頭が入るのがやっと(?)というくらいになってしまい
役に立たなくなったキャリーバッグを処分するか・・、
いやいやほぼ未使用だしちょっともったいない気もするので、誰か使ってくれる人いないかな~ 、
などというCちゃんの話を聞き
このブログでもおなじみの『アトリエ剏』さんで飼われているミニチュアダックスフント・エディ君を思い出しました。
ミニチュアダックスの中でも小柄なエディ君なら
キャリーどころかちょっとしたお休み処くらいにならないかしら、と思い
早速お話ししたところ「ぜひに」と言っていただいたので
Cちゃんに持ってきてもらい、エディ君にお届けしました。
が、ほぼ未使用とはいえ
個体の匂いや好みもあるだろうし、はたして気に入ってくれるかどうか・・、
という心配も若干あったのですが
キャリーをセットしてみると
エディ君はさっさとキャリーの中に入ってあたりまえのように陣取り
しばらくして爆睡まではじめてくれました\(^-^)/。
その後
いまやエディ君の寝室として立派にお役をはたしているノンノンちゃんのキャリーです。
めでたし、めでたし。

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今年も世界陸上。

世界水泳が終わったと思ったら、世界陸上が始まった。
スポーツ観戦(特に陸上!)好きの私にとって、『睡眠不足との戦いの夏』が来た、という感じだ。

表現手段が違うだけで
自分の世界やそれまで背負ってきた人生みたいなものを
なんらかの形で人前でパフォーマンスする人、という意味では
競技者と舞踊家は似ているなぁ、と思う。
筋書きのない競技というドラマの、最高のパフォーマンスを観た時の感動は
だから素晴らしい舞台を観た時のものと近い、と思う。
その競技を極めた選手のインタビューや世界観みたいなものを聞くと
優れた芸術家や哲学者の話のようたな、と感じることがある。
意識的であるにせよ、無意識であるにせよ
またその人、その人によって見え方や見せ方が様々あるにせよ
その根底には、自己の内なる世界を徹底して見つめ続けているような感覚があるように思う。
それを踊りや絵や音楽で表現するのか
走ったり泳いだりで表現するのか、の違いこそあっても
競技と芸術・芸能はある意味ではとても近いところにあるような気がして
観ているとやたら興奮してしまうのだ。

まぁそれに
安部総理じゃないが、鍛え上げられた人間の身体が、より高く、より速くと躍動する姿は
なんといっても美しいっっ!!
きっと生で観たら、もっともっとぶっ飛びそうな迫力と美しさなんだろうなぁ、などと思ったりする。

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良い字幕。

映画の翻訳・通訳の第一人者・戸田奈津子氏がご自身のインタビューで
「お客様の意識が字幕にいって考えてしまうようなら、その字幕は良くないってこと。良い字幕(翻訳)なら、お客様は画面の字幕を意識することなく、すーっと台詞が入っていく」と言っておられた。

なるほどな、と思う。

理屈や意味をグダグダ考えることなど忘れて
ただただひたすらにああ素敵だな、と思える踊りに出会った時ほど
幸せなことはない。

【眉間にシワをよせて『読んで』いる字幕】のような踊りを踊ってるようじゃ、またまだ未熟ということだろう。
なんとも耳が痛い(>_<)。 もっともっと
心と身体を研ぎ澄まして。
やわらかく。
どこにでも、何にでも。
翔んで。
楽しんで。
自由に。

理想はふくらむのだが・・。

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浴衣で納涼会。

弟子のYさんおつとめの着物染色工房「アトリエ翔」さん主催の、『浴衣で納涼会』におじゃましてきました。
同じく弟子の寺島嬢とC君も参加。
C君、今日はおニューの甚平着用です。
台湾の現代アートの男性や、カメラマンをめざしている女性、着付けの先生や、美男美女のご夫婦など、総勢12名で飲んで食べて笑って、気がつけば4時間。
楽しかったです。
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超低空飛行。

いったん持ち直した体調がまたまた絶不調。
今度はどっから見ても紛れもない立派な「風邪」だ。
そしてこれまでも何度か書いたが
私はなかなか風邪をひかないかわりに、一旦ひくととにかく治らない。
たかが風邪、とお気楽に言ってられないくらいの「オオゴト」になるか
超低空飛行が延々続くかのどちらかだ。
私の仕事は(とんな仕事てもそうたが)身体が動かせないとそもそも成立しない部分が多い。
その年その年の風邪の特徴に関係なく
「風邪=入院が必要なほどの高熱」という誠にありがたくないメカニズムが身体に組み込まれているらしい私にとって
「風邪をひくこと」はつまり「満足に仕事がてきないこと」に直結する。
なのでとにかく風邪ひきそうたな、と思った時点で即病院に行くか
それでもひいてしまった場合は
最短で治すようにするのはもちろんのこと、少なくとも「オオゴト」パターンではなく「超低空飛行」パターンでいってくれるよう、ありとあらゆる努力をする。
おかげで(?)最近は「風邪からの発展系救急車騒ぎ」はめっきり減り
「傍目にはそれとわからない体調の悪さの連続」パターンに落ち着いている。
が、考えてみればそれも人様からすれば迷惑な話だ。
いくらインフルエンザではないにせよ、いくらマスクをしているにせよ、
風邪のウイルスを持参しなからウロウロしていることには違いない。
早く治さなければ、治さなければ、と思う今日この頃。

ところで「風邪をひいた時(体調が悪い時)はお互いさま」という言い方をよくするが
どうもその意味を履き違えているのではないか、と思える人かいる。
私はその意味を「風邪をひいた時の身体的つらさ、仕事がままならないつらさは嫌というほどよくわかる。だからあなたがつらくてどうしてもできない部分は私が全力でカバーする。あなたは全力で最短で治す努力をしてください。出てこられる程度の体調なら決して無理をせず、他人にうつさない最大限の処置をしてください。」と捉えている。
が、なかにはその意味を「風邪は誰だってひくのだからうつしあうのはお互い様」とばかりに
マスクもせず、ケホゲホと辺りかまわず咳き込んで
医者は嫌いだからと行こうともせず
あろうことかそんな自分を心配・同情しない、または(そんな状態でも出てきた自分を)称賛しないことに腹をたて
「お互い様なのに」と不満をもらす。
何か履き違えてないだろうか。
そういえば以前大病をして自宅で療養している頃(人様にうつす病気ではない)
嫌いではないのだが、なぜかなんとなくどこかが苦手、と感じる知人がお見舞いに来てくれた。
当初来るはずだった日の前日軽い風邪をひいた彼女は予定を日述べし
4、5日たったころ「錦ちゃん、やっと風邪完治!もう絶対にうつす可能性もなさそうだから、明日あたりお見舞い行きたいのだけど、都合はどう?」というメールが届いた。
今でもアバウトな文面を覚えているくらいだから、当時私がどう感じたかはわかっていただけるだろう。
仕事のやり方の違いなどで、彼女のことは相変わらず若干苦手ではあるが
彼女の当たり前感漂うそのメールを読んだ時
私は良識や節度みたいなものをしっかりしつけられた育ちの良さ、みたいなものを彼女に感じた。
そして彼女へのその感触は今でも続いている。


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暑中御見舞申し上げます。

夏風邪だか熱中症だか
とにかく久々に突然絶不調になった。
微熱に喉の腫れに絶え間ない吐き気、さらに病院の待合室のソファーに座っていられないほどのだるさ(なので待ってる間もソファーに横たわっていた)。
あまりのだるさに点滴と血液検査まですることになり
久々にガッツリ系が来ちゃったなぁ、という感じだった。
幸い点滴が効いたのか
夜中になってからようやく食欲が出て、起き上がれるようにもなった。
そのうちどうにもならないだるさもなくなったので、お稽古にも復帰し
一日で回復した私って以外とタフじゃん~(^o^)などと自画自賛、
検査結果も問題なく、一安心だったのだが・・。
今度は花粉症のような水っ鼻とくしゃみ。
いったい何がどうなっているんだか。
ううぅ~。
皆様も御身お大切に。

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飼い主バカとバカな飼い主。

7f189a19.jpg大人達の稽古日でしたが、合間を縫って子供クラスのSちゃんとチビAちゃんの臨時稽古。
いとこの二人ですが、今日はお揃いのワンピースでした。
チビAちゃんは本日久々に(寺子屋以来かな?)オデコをだしたお団子をひろうしてくれました。
子どものオデコってなんだか可愛いですね。

ところで今日初めて夜お稽古に来た弟子を、なぜかハチが熱烈歓迎。
いきなり膝に(頭に?)乗るは、あとをついて回るはで
ある意味大変といえば大変でした(^O^)。
何かハチの琴線にふれることがあったのでしょうか?
いつもいわれなき非歓迎ぶりを受けている寺島嬢が聞いたら歯ぎしりしそうな話ですが(~o~)。

ところでその弟子がうちに来る時の電車での話。
彼女の隣が、母親二人にその子供二人、という四人連れだったらしいのですが
子供二人(男の子と女の子)が靴をはいたまま座席に立って大騒ぎをしていて
が、母親は自分達のおしゃべりに夢中でとがめようともしない。
我慢できなくなった彼女が席を変わろうとしたその時
女の子のほうが勢いあまって倒れこんできて
彼女はしこたま鼻の頭を打ってしまった、とのこと。
その時の母親の行動が信じられないのですが
母親は彼女をまったく無視して、謝罪もせず、子どもにも謝罪させなかったどころか
女の子の手をグイと引っ張って引き寄せると(その間も自分たちのおしゃべりはやめない)
子ども達を自分たち二人(つまり母親二人)の間にやはり靴のまま座席に立たせ、相変わらず大騒ぎする子ども達の向こうとこちらから大声でおしゃべりの続きをはじめたそうです。
あんな母親に育てられた子どもってきっと大人をなめきった子になるんですよねっっ!と彼女はいまだ怒り収まらず、の勢いで話していました。
そしてそんな傍若無人で最悪な親子に一言ももの申せなかった自分にも腹がたつ、と。
まったくそのとおりだな、と思います。
子どもに対する母親と一緒のレベルで語ってはいけませんが
もうひとつ最近よく聞く話が、ペットに対する飼い主の意識の低さ。
溺愛するあまり、しつけらしいしつけや健康管理をせず
その結果咬みグセのある犬になってしまったり、あきらかに心臓に負担をかけるレベルの肥満体になったりする。
「可愛いからつい甘やかしちゃって・・」と(あろうことか)笑いながら言ったりする飼い主がいますが
笑い事なのだろうか?といつも思います。
私からすると、そんな飼い方は飼い主のエゴと怠慢による虐待に見えてしまいます。
周知のとおり、私もかなりデレデレの溺愛タイプの飼い主なので、偉そうなことは言えませんが
例えばハチが歩くのも苦しそうなくらいの肥満体になったり
やたらと人に噛みつき、大怪我を負わせ、まったく他人に可愛がられないような猫になったりしたら
もうかわいそうでいたたまれないだろうな、と思ってしまいます。
ハチには、やっぱり軽々と元気であちこち飛び回ることができる健康な身体であってほしいと思うし
皆に愛され、可愛がられる、人が大好きな猫であってほしいと思います。

電車で大騒ぎする女の子と男の子は
お洒落な洋服を着て、靴も流行のもので、綺麗な顔だちをしていたらしいのですが
あまりと言えばあまりの行儀の悪さとあつかましさに
これっぽっちも「可愛い」とは思えなかった、と彼女は言います。
私には子どもがいないので、母親にはなれませんが
自他共に大いに認める飼い主バカではあります。
が、まちがっても飼い猫をひいきのひきたおしの結果不幸にするような「バカな飼い主」にはならないようなしなければ、と改めて思いました。

そういえばこのブログにチョクチョク登場してもらっている着物染色工房「アトリエ翔」の江戸っ子社長さんが
飲食店で走り回って大騒ぎする子どもと、それをやめさせようともしない親についに堪忍袋の緒がきれて
「子ども達を静かにさせろっ!親が悪いっ!」と怒鳴ってしまった、という記事をご自分のブログに書かれていました。
すると「よくぞ言ってくれました!」「そのとおり!」系のコメントが続々届いていました。

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○○にとっての。

お天気に恵まれた今年の七夕
おそらく彦星様と織姫様の、年に一度の会瀬は無事かなったのだろう。
年に一度会えるか会えないかの恋人、なんて随分寂しいなぁと思っていたら
星の寿命は何億光年ととてつもなく長いのだから
その寿命からいけば「一年に一度」なんていう頻度はかなりのもので
つまり彦星様と織姫様は「なかなか会えないせつない恋人」どころか
「間を開けずにしょっちゅう会ってるかなりラブラブの恋人」ということになる、という(笑い?)話を聞いて
なんだか妙に納得してしまった。
人間にとっては長いように感じる時間でも
星にとってはとるにたらないあっという間の時間なのかもしれない。

そう言えば、「たった半日」留守番をさせられただけで
家中にイタズラをしてしまう困った犬の話を聞くことがある。
そんな時の犬は
家族を探して家の中をさんざんうろうろし
誰もいないことがわかると
「どうして自分も一緒に連れていってくれないんだ」
「なんでひとりぽっちにするんだよ」という不満と寂しさで胸がいっぱいになり
してはいけない場所でわざと粗相をしてしまったりするらしい。
人間にとっての「たった半日」が
犬にとっては耐えられない長さのものであり
あとで叱られるとわかっていても
その「耐えられない」気持ちをイタズラという形で現そうとするのだろう。

「○○にとっての●●」ということに関して
度を越した無理解や無関心が原因で起こるトラブルは以外に多い。
例えば家庭や学校で虐待やイジメを受けている子どもにとっての絶望、苦痛
(贅沢品として盛夏にエアコンを取り外すことを市に強要された)生活保護受給老人にとっての身体的限界、などもそうだ、と言えなくもない。。
「まさかそれで死ぬとは思わなかった」というのが、加害者の立場になった人から漏れてくる本音としてよく耳にする言葉だ。

チャゲアスのASKAさんのソロ曲の中に「君にとって大事なことが いつからか 僕にはそうじゃない あんなに好きだった君なのに」という歌詞のものがある。
大好きな人にとっての大切な日や事柄が
自分にとってもそうであるとストレートに感じられる、
理解できないまでもそれを尊重し、寄り添っていこうと心から思えるのは
「自分にとっても」幸せなことだな、としみじみ思う。

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