大江戸かはらばんの仕事で
今日は午前中から霞ヶ関の文化庁を訪問させていただきました。
文化庁に伺うのは初めて。
旧庁舎の玄関にかかる看板に歴史を感じます。
ブログ
創作自由市場終了。
第21回創作自由市場が無事終了いたしました。
ありがとうございました!!
片身変わりの『夏草の詩』の衣装。
『おどりの寺子屋』一日体験教室。
今日は『おどりの寺子屋』別会(?)・一日体験教室が渋谷でありました。
7人の子供達が参加してくれましたが
その中にはこのブログでもお馴染み・『子供教室』のAちゃんや、Aちゃんのお友達のKちゃん
花柳智寿彦さんのお弟子さんのSちゃんとMちゃんの姿もありました。
着物の着方・帯の結び方にはじまり
立ち座り・お辞儀の仕方・歩き方・扇の使い方などなどをお稽古したのち
昨年の国立劇場大劇場での『おどりの寺子屋』第一回発表会で
幕開けの曲として踊ってもらった「うさぎ団子」をお稽古し
最後はご父兄の皆様が見守る中
小さな発表会をして終了。
盛り沢山の2時間でしたが
皆々元気に立派にやり遂げてくれました!
来年の『おどりの寺子屋』でまた会えるといいな~。
来週月曜日。
寒くなってきましたね~。
我が家では
その日の朝がどれくらい寒いか、を
ハチが朝方私のベッドに潜りこんでしがみつく強さと長さの度合いで計ります。
今朝などガッチリ腕にしがみつき
イビキをかきながらずーっと眠り込んでましたから
「あー、今日は寒いんだなー」と思いながら起床しました。
さて創作自由市場も来週月曜日、とせまりました。
先日の下ざらい後、微妙な音のこだわりがあって
創作自由市場で音響をやってくださっている清山さんに
長々相談にのっていただいたのですが
その際(私の作品とはまったく関係ないのですが)PAミキシングについていろいろお話をうかがいました。
当たり前のことですが
どの世界においてもプロの仕事のお話というのは奥が深く、興味深いものですね~。
清山さんとの出会いはもう10年以上前になるでしょうか、私の姉弟子の会でお会いしたのが最初でした。
音響さんとしての清山さんのお仕事に感動し、ソッコー連絡先をうかがい
以来私の作品の音をお願いするようになりました。
毎回毎回、「あと0・1秒っていうか、呼吸1吸い分くらい音をかぶせてほしい」だの
「もうちょっとスコーンと直接胸にくるような感じの音」だの
我ながらもう少し明確なボキャブラリーはないのか、と言いたくなるような訳のわからないリクエストにも
辛抱強く、かつ正確にお答えくださる清山さんですが
前回からは創作自由市場にもご参加いただき
心強いスタッフさんとしてお世話になっています。
演じる側にとって信頼できるスタッフさん、というのは何よりの財産。
総合芸術の代表格のような舞台公演で
いろんな要素が共鳴しあって思った以上の高揚感が得られた時ほど嬉しいことはありません。
『夏草の詩~太陽に焦がれて~』は短い作品ですが
私なりに昇華できるように大切に演じたい、と思っています。
ということで
第21回創作自由市場
於『座・高円寺』
来週月曜日
18時開場・18時30分開演
です。
皆様ぜひおいでくださいませ!
子供教室だより。
Sちゃんの愛犬・クンクンが二度目のお出迎え。
今日は『京の四季』のお稽古の他に
足拍子の稽古のために『村祭り』に合わせて作った踊りをやってみたのですが
簡単な振りとは言え
一回で覚えてしまった子供達にはびっくり・・・。
子供達にとっては当たり前のように思える、音や動きへの反応の早さは
大人から見ると驚異的なもの。
生まれてからまだ日にちがたっていない、ピカピカの心と身体なんだなぁ~と
実感させられます。
あの子。
君がこんなふうに
世界一愛されている間
あの子は
自転車置場の隅にうずくまって
冷たくなりはじめた初冬の風をよけながら
長い夜を過ごしている。
気まぐれな親切をあてにして
疑う選択肢すらもたないで
そこそこ満たされたちっちゃなお腹を
時々思い出したように繕いなから
お日様の沈んだ長い長い夜を過ごしている。
そうやって生きていくことを楽しめるような
そんな育ち方などしてないのに
ある日突然そうやって生きていくしかなくなったあの子は
君と同じようにうんと人なつっこくて
君と同じくらいやわらかな身体をしている。
君がこうやって
フカフカのベッドで暖まりながら
可愛い寝息を紡いでいる間
少しだけ右足を引きずるあの子は
自転車置場の隅で
どんな夢を見ているのだろう。
尊敬する人。
最近テレビを見ていると
つくづく敬語が乱れてるな~と感じる。
ニュース、とまでは言わないが、例えばコメンテーターとして出演しているような人達が
「お亡くなりになられる」だの
「おっしゃられる」だのと
平気で発言している。
かく言う私も正しい日本語を使えない一人なので
偉そうなことは言えないが
仮にも公共の電波を使って人様のありように意見を述べ、それでギャラをもらっている人達や
脚本があるドラマで台詞を言っているはずの俳優が
基本中の基本のような敬語をシタリ顔で堂々と間違えて使っているのを聞くと
なんだか下手くそな踊りを自信たっぶりに見せられているような不快感にみまわれてしまう。
一方
ここ何日か、久々にある友人と連絡をとりあわなくてはならない機会があって
電話やメールでいろいろと話をしたのだが
元々聡明な彼女のこと
聞くべきことは聞き、話すべきことは端的に話す、という感じで、話が速やかに進行する心地よさに加えて
事が一つ片付くたび
「ありがとう」とごく自然に言う彼女がとても清々しく、素敵な女性に思えた。
言うべき時に言うべき言葉を正しく美しく言える、というのは
何でもないことのようだが
本当にカッコイイと思う。
それだけ私も含めて言葉を粗末にしている人が多いということなのかもしれない。
それどころか先日会った知人など
「人に謝る、とか絶対に嫌だから、何かあやまらなくちゃならないような時には連絡をバックレちゃうんだ~」と言って、愉快そうに笑っていた。
そういう人に限って
人様から感謝されなかったり
ちゃんと謝ってもらえなかったりすると
人一倍気分を害すようで。
なんだかカッコワルイなぁ・・と
自戒もこめてつくづく思う。
たかが言葉、されど言葉。
心のこもってない上っ面だけの言葉ほど虚しく、気分の悪いものもないが
正しい日本語を適時にかつ心をこめて美しく話せる人は
やはり人として心から尊敬する。
創作自由市場下ざらい。
終了後、若柳三十郎さんと。
私、意味不明の帽子かぶってますが。
11月28日
高円寺の劇場『座・高円寺』にて
6時開場、6時30分開演。
皆様ぜひぜひおいでくださいね!
女子フィギュアスケート。
NHK杯で、鈴木選手が会心の出来栄え、ショート1位!!
うれしいっ!うれしいっ!
滑走する鈴木選手の足元から
ご機嫌な音符が次々と生まれてくるような
そんなハンガリアン・ラプソディだった。
以前も書いたが
私は鈴木選手のファンで、ずっと応援している。
安定した確かな技術もさることながら
彼女のプログラムはとにかく魅力的なのだ。
どのプログラムも
理屈抜きで「もう一度見たい」と思ってしまう。
オリンピック代表で注目されるようになるより以前
エキシビションでピアソラのタンゴを滑る鈴木選手を見たのが最初だったが
まだ名前も知らなかった彼女のそのプログラムを
どこかで再放送してくれないかな~、としつこく願うほど
もう一度見たい、と思った。
亡くなられた壽楽先生が生前
「いい(踊り)、と、うまい(踊り)、は、いい、が上!」
とよくおっしゃっていた。
伝統芸能とスポーツでは違うかもしれないが
身体を使って何かを表現する、ということにおいて
「この人のパフォーマンスはとにかく理屈抜きでもう一度見たくなる」なんていうのは
最高の賛辞だ。
確かな技術に裏打ちされた、『魅力的な』パフォーマンス・・。
とおぉぉぉぉぉい道のりだが
舞踊家のハシクレとして
一歩でも近づきたい、と
鈴木選手の演技を見ながら思った。
明日のフリー、録画、録画!!
あくび。
君は時々
そんな顔をするね。
何もわからないまま生きる私を
そしてきっと
何もわからないまま死んでいくだろう私を
憐れむような
愛おしむような
そんな顔をするね。
そんな時の君は
生き様が深いしわに刻まれた老人のようにも
碧みがかった真っさらの瞳をした赤ん坊のようにも見える。
私は君をうんと愛しているし
君もきっとそうでいてくれてるのだろうけど
君の愛し方は
私のとはちょっと違うのかもしれないね。
小さな身体に大きな宇宙を受け入れて生きている君の瞳には
かわいそうでかわいい生き物として
私がうつっているんだろうね。
パソコンの変換キーを叩いている私の横で
言葉すらもたないまま神様と文通している君が
また
あの顔で私を見つめると
退屈そうに
あくびをした。
こんなふざけた(?)顔して写ってますが
独自の素敵な世界を持っている若柳三十郎さん。
今回の創作自由市場に『いつもと同じ』という作品を出品しています。
私は自分の作品の他に
三十郎さん振付の作品も踊らせていただきます。
今日は午前中その『いつもと同じ』のお稽古でした。
お稽古が終わって、ランチでの一枚。
カメラを向けて、「ブログに載せるからふざけた顔して~」とリクエストしたら
本当にふざけた顔をしてくれました。
普段はブラッド・ピットそっくりです(←嘘です)。
自分の作品よりドキドキです(@_@)。
三十郎さんの世界を壊さないように頑張らなくちゃ~。
創作自由市場。
日時~11月28日・18時30分開演
劇場~座・高円寺
今回の私の作品は、太陽に向かってまっすぐに伸びていく夏草のイメージがテーマです。
私にしては珍しく、比較的短い作品になりそうです。
それからもうひとつ、若柳三十郎さん振付の作品を踊らせていただきます。
三十郎さんの世界をうまく表現できるように頑張ります!
花柳錦翠美作品・・
『夏草の詩~太陽に焦がれて』
若柳三十郎作品・・
『いつもと同じ』
皆様、ぜひおいでください。
子供教室だより。



おさらい会が終わって今日が最初のお稽古日でした。
ちょっと雨模様の日曜日でしたが
子供達は元気、元気!
『京の四季』のお稽古を始めた三人娘のVサイン(^^)vショット。
おさらい会の時に子供達にもらったお花も元気!
手前の黄色い花はなんていうんでしょうね?
きっと菊の仲間なんでしょうが
夜空に上がった大きな花火のように見えませんか?
可愛いですね。
おさらい会。
開演前のスナップです。
おさらい会・2。
『おどりの寺子屋』始動。
来年の『おどりの寺子屋』開催にむけて
企画実行委員会が動き始めました。
今日は昨年も大変なご尽力をいただいた、目黒区選出の都議会議員・伊藤ゆう先生の事務所を訪問させていただき
来年の『おどりの寺子屋』開催に関していろいろとご相談にのっていただきました。
私達の、拙いボキャブラリーの羅列のような要領を得ない説明にもかかわらず
即座に、さらに驚くほど的確に内容を理解してくださる伊藤先生には
毎回本当に『すごいなぁぁ』と感動してしまいます。
『かぐや』・イン・シンラドーム。
7月に国立劇場で上演した新作舞踊公演『かぐや』が
時間を20分に短縮し
出演者も6人にして
九段下の科学技術館内シンラドームで再演され
私も出演させていただきました。
国立劇場ではスクリーンを使用した、冒頭と最後の宇宙の映像ですが
今回はドームの天井に映し出されたりして
国立劇場とはまた違った効果や雰囲気がありました。
イタリアからのお客様がたくさんおみえになっていて
客席と上演スペースの距離が近いこともあり
かなり緊張しましたが
貴重な体験をさせていただいた一日でした。
出番前、出演者の皆との楽しいショット。
きっと、何度でも。
また
絶対に会える
と思うから
「さよなら」が言えるんだよね。
ずっとずっと
気が遠くなるほど待って
魂だけの宇宙になるまで待ち続けて
それでも
『私』が『私』のまま
『君』が『君』のまま
同じ記憶を抱いて巡り会うことが
絶対に絶対にないのなら
どんなみっともない悪あがきをしたって
「さよなら」なんて
死んでも言うもんか、と思ってしまう。
でも
ふと何かの折に
ずっとずっと
気が遠くなるほどの昔
愛しくて愛しくてたまらない君を見ながら
今と同じことを思っていた私を
心のどこか
耳をふさいだまま聞く音楽のようなもどかしい場所で
感じることがあるんだ。
私はすごく『人間』になっちゃって
神様からはうんと離れたところまで来ちゃったから
毎日毎日わからないことばかりで
きっとそれは死ぬまでそうなんだろうけど
君は魂そのもの、みたいな命だから
きっと神様とも町内会くらいに近いんだよね。
一年で一番まぁるくてまばゆい月を
神様からこっそりゆずってもらったような君の金色の瞳には
たよりない記憶の海で溺れそうになっている私が
どんなふうに映っているのだろう。
百万の言葉と忘却を引き換えにした愚かで臆病な私を
君は許してくれてるのかな?
ちゃんともう一度
君のことを誰より愛した私を
君は評価してくれてるのかな?
私は今度もきっとまた
いつか来る君との別れの刹那
「さよなら」を言えずに
グズグズと往生際の悪い抵抗をすると思うんだ。
『忘却』は自ら望んだことなのにね。
困ったことに
神様との取り引きはなかなか変更がきかないから
当分私はあきれるほど『人間』でいるしかなくて
ということはつまり
捜し当てる苦労はいつもいつも君になっちゃうんだけど
だけど
見つけてさえくれれば
私は必ず
何度でも
君を
愛していくからね。
子供教室だより。
今日は発表会前の最後のお稽古。
3曲で約15分ほど踊るのですが
今日はそれを3回通してみました。
3回も通しで踊った、というのは立派なこと。
集中力と踊りの成長は必ず比例します。
楽しみな三人娘ですね。
写真には写っていませんが、今日はシェリー・メイが一緒でした。
ハチ・イン・浴衣。
ハチが錦吾先生宅を二度目の訪問。
おなじみお孫ちゃんのHちゃんの浴衣を拝借して着せてみました。
ちょっと(かなり)迷惑そうですが・・(^_^;)。
アトムの色鉛筆。
強く記憶に残っている人生最初のプレゼントは
卵色のケースに鉄腕アトムの絵が描かれた12色セットの色鉛筆。
まだ小学校にあがるかあがらないか、くらいの時の誕生日に
兄が買ってきてくれた。
よほど嬉しかったのか
そのプレゼントを買って家の庭に自転車で戻ってきた兄の姿まで鮮明に覚えている。
色にまつわる記憶はどういうわけかたくさんある。
私は父と二人だけで『お出かけ』したことがあまりないのだが
その数少ない(というか唯一?)『父と二人のお出かけ』が
小学校3年か4年の冬休みだったと思う。
その日私は冬休みの課題である、今で言う【自由研究】に取り組んでいた。
休み中に読んだ「母をたずねて三千里」という小説の中で
印象に残ったシーンを視覚化し、絵に描くというもので
読書も絵も好きな私には楽しい作業だった。
その時私はパレットではなく大きなお皿に絵の具を溶き
お皿の中央でいろんな色を混ぜ合わせて
自分なりの色を作っていたのだが
パレットの代わりにお皿、というのは
のちに美大に行き、さらにそのまま絵が職業になった兄のやり方の影響で
24色とか36色セットの絵の具ではなく
少ない色数のセットを使いこなしてみる、というのも(実際使いこなせていたかどうか、は別として)
同様に兄のやり方の見よう見まねだったように思う。
絵の完成が近づいた頃
突然父が映画に行こう、と言いはじめた。
あまりにも珍しいことだったので
私は絵を途中にしたまま出かける準備をすることにした。
そのあと映画館で父と見た映画はさっぱり覚えていないが
絵を描いていた部屋を出る直前
振り返って見た自分の絵の色調は鮮やかに記憶に残っている。
赤や黄色や緑、といった絵の具そのままの色はひとつとしてなく
ブルーグレーやサーモンピンク、それこそ日本舞踊で使う手ぬぐいの色である『瓶のぞき色』など、今考えると小学生にしては面白い色使いだったように思う。
この絵はその後学校からちょっとしたご褒美をいただくことになるのだが
たぶんその理由は色だったのではないかと思っている。
同じ頃
巷ではいわゆる『合成繊維』というものが出回り
比較的安価なこともあって学校でもパステルカラーの可愛いセーターやスカートが流行っていた。
が、母はその頃自分が編物にはまっていたこともあって
セーターと言えばウールのもののみ
スカートも叔母や母の知人に縫ってもらった、混じりっけのない布でできたジャンバースカートとかだった。
今の私なら村八分にされるくらい自慢しそうな話だが
当時の私はその価値がわからないどころか
取っ替え引っ替え皆が着てくるピンクや水色の洋服が羨ましくて仕方なかった。
なぜなら母が着せてくれる洋服は素材はよかったかもしれないが色は渋い色ばかりで
その中でもブラウンと焦げ茶が基調のチェックのジャンバースカートとカーキのカーディガンは
私がもっとも恥ずかしく感じる組み合わせだった。
『けっこうオシャレじゃん』と今でこそ思えるのだが
ベビーピンクのカーディガンを着ているクラスメイトと比べると
間違っても自分のいで立ちが可愛いとは思えなかった。
小学校の頃の自分を思い返すと
私は自分のことを『あまり女の子らしくない女の子』と感じていたようなフシがあって
多分にそれは
あのブラウン基調のジャンバースカートとカーキ色のカーディガンが原因ではないか、と思う。
ベビーピンクのカーディガンを着ていない自分=女の子らしくない、という単純な理屈なのだが
絵では渋い色を使っても
自分が着る服の色は別だったのだろうか。
ところでアトムの色鉛筆だが
その後その色鉛筆を使ってどんな絵を描いたかは覚えてないが
同じ長さできれいに並んでいた色鉛筆が
それぞれが短くなって並びがデコボコになった様子は
今でも写真のように記憶に残っている。
子供教室だより。
10月30日の発表会にむけて
三人娘のお稽古にも熱が入ってきました。
今日もダッフィーはじめ三匹のぬいぐるみが見学(?)に来てました。
チビAちゃんは学校のバザーだったそうで
キャンディーのネックレスをしています。
三人が三人とも
どうしてこういちいちいちいち可愛いんでしょうね~(^0^)/。
最近は可愛いだけじゃなくて
なにげない会話のふとしたやりとりに(子供どおしのやりとりだったり、大人とのやりとりだったりいろいろですが)
(いい意味で)ハッとさせられることがよくあります。
子供は大人が想像する以上にいろんなことを考え
ちゃんと自分なりのこだわりを持って行動しているんだな、と気づかされます。
以前も書きましたが
『子供』とか『ポテンシャル』とか『無限大』とかは
すべて同義語のような気がしてきます。
モノクロ写真じゃないですよ~。
グレーのアスファルトの道路と完全に同化している、グレーの毛並みの猫。
近所でよく見かける猫で
まちがいなくノラちゃんなのですが
人間(少なくとも私)が近づいても
逃げないどころか身体を擦り寄せてくる
警戒心ゼロの変なコです。
今日も道路の真ん中で気持ち良さそうに爆睡していて
そこそこ車の出入りもある道なので
『危ないよ~』と声をかけたのですが
『車のほうがよければいいんじゃん』とでも言いたげな表情をチラリとむけたきり
寝返りをうってほぼ仰向けになり
再びふかーい眠りの中へ。
写真下に写っているのは足袋を履いている私の足なのですが
ここまで近づいても寝続けている、ちょっと危なっかしいくらい人懐っこいグレーちゃん。
もしかして飼い猫だったことがあるのかな?
だったら少し哀しいかな~。
本人(本猫)が幸せならいいんですけどね。
子供教室だより。
今日は久々に三人揃いました!!
10月30日の発表会には
三人で三曲踊ります。
発表会、という具体的な目標が出来て
子供達の成長も加速してきた感じで
入門してからまだ一年もたっていない、ということをうっかり忘れそうになります。
スクスク、という音が聞こえてきそうな三人娘ですね。
迎えに来てくれたSちゃんの愛犬クンクンちゃんと一緒に一枚。
クンクンちゃん、見事なカメラ目線!
愛の分数。
気恥ずかしくなるくらいの愛を
伝えられるうちに
伝えられるだけ。
だけど
伝えたい愛 分 の
伝えられる愛 では
いつもいつも
分母が大きすぎて
もどかしくて
しかたない。
君に負けないもの。
君もどうやら
私のことが大好きらしいけど
私の君への愛に比べれば
君の気持ちなんか
とるに足らない
ちっぽけなものだからね。
わがままくらべではかなわないけど
好きくらべなら
絶対に負けないからね。
はち、今年もひたすら
健やかに
幸せに。
お誕生日
おめでとう。
江戸解き友禅。
江戸解き友禅絵師・伊藤幽水先生の工房を見学に伺ってきました。
御所解き、はよく聞くのですが
江戸解き、は国内でも手がけている作家はほとんどいない、とのこと。
粋で大胆、それでいて繊細な先生の作品をたくさん拝見させていただき
眼福・眼福の一日でした(買えません、もちろん(^_^;))。
江戸解き、とは模様ではなく、絵画なんだな、と実感。
実は先生は高校の先輩。
こんな身近にこんな先生がいらしたとは感激です。
お忙しい中、出来の悪い後輩のとんちんかんな質問に、根気よく答えてくださいました。
携帯の写真ごときでは失礼千万なのですが
掲載の許可をいただいた、淡い萌黄色の地に海老を大胆に描いた帯。
雅叙園にて。
『おどりの寺子屋』でお力添えいただいている、伊藤ゆう先生主催のワインパーティーが目黒雅叙園でありました。
ワインパーティー、と言っても
飲めや歌えやの、いわゆる『パーティー』ではなく
このたびの東北・関東大震災のことを中心に
政治ができること、議員ができること、民間の企業ができること、などを
現総理大臣補佐官の手塚先生はじめ
様々なゲストの方達と語り合う、というもの。
感じ入ることも多々あって
2時間があっという間でした。
告別式。
友人の、あまりに早すぎる旅立ちを見送る、など
一生しなくてすむものなら、と
心から思う。
Kさんの愛読書。
先日亡くなったKさんの愛読書を買って読んでみた。
『何百年も前に書かれた随筆だけど、今十分役立つ実用書だから、君も読んでみるといいよ。』と、生前よくおっしゃっていた。
読んでみると、なるほどその意味がよくわかる。
パソコンも携帯電話もない時代の筆者が
まるで平成を生きる人間を観察し、語っているかのようで
深い洞察力と、驚く程の合理性とユーモアにあふれたコラム(?)になっていて
まさに今の時代を生き抜くための実用書だ。
もっと早くに読んでいれば、Kさんとまた違う話もできたかな、とも思うが
何かの折にKさんが『あ、でも君にその本を読まれちゃうと、僕があたかも自分が考えたかのような顔をして偉そうに言い聞かせている話が、実は全部その本からのパクリだってバレちゃうから困るなぁ』と言われたのを聞いて、大笑いしたことを思い出す。
書きなぐったような、拙い私のブログを
いつも熱心に読んでくださっていたKさん、
本、読ませていただきましたが
パクリでもなんでもなく
その時その時の私の気持ちに一番響く話をちゃんとチョイスして
私にも理解できるように
Kさん流の解説を加えながら、かみ砕いてお話ししてくださっていたことがよくわかりました。
これからは自分でチョイスし、自分で考えてみますね。
勇敢で機知にとんだ生き方を心から尊敬します。
本当におつかれさまでした。












